2017/06/17

花の命は短くて・・・

占いの館で占い師の仕事をしていた時、
相手がいるいないに関わらず、恋愛相談は圧倒的で。

中でも、
「どうしたら、恋人ができるでしょう?」
みたいなのは結構多かったんですが、

そう真剣に仰る、その方の手をふと見ると、
爪の中が真っ黒だったり・・・
ぐいっと身を乗り出した時の口臭に、
「うっ!」と呼吸を止めさせられるときもあったり…
あと、セーターが毛玉だらけだったり、
「襟足汚れてますよ」とか、「毛抜き使ってますか?」とか、
「ヒゲは剃りましょう」と言いたくなるような方も。

彼氏が欲しいといいつつ、恋がしたいといいつつ、

「それ以前の問題ですよ、お嬢さん!」

なんて言いたくなる人は多かった。

うん。
誰かに自分を好きになってもらいたいなら、

「それ相応の努力はしましょうよ」

って感じ。

今のままのアナタがいいといってくれる人が大多数なら、
ありのままのあなたを愛してくれる人がいるんなら、
とっくの昔に現れてて、
年齢=恋人いない歴にはならないんですぜ、マジ。

別に自分を偽れってことではなくて、
自分の見た目の短所や長所を知って、
より良く見せる努力って必要です。

お洒落以前に清潔さは当たり前。
食事で臭いのきついものを食べてしまった後の口臭と、
口腔内のケアをしていない人の口臭ってやっぱ違います。
たまたま汚れてしまった服と不潔な衣類や身なりも違うし。

肌のケアとか、ムダ毛の処理とか、そーゆーのも大事。
指毛もです。ワッキーの毛もそう。夏はとくに。
耳の後や耳の中の汚れ、見えてるんですってばよ。
鼻毛もね。鼻くそもちゃんと鏡でチェックしてね。
(アタシは目ヤニよくくっつけてるオバサンですけど)
髪の毛ゴワゴワでキューティクルはどこ行った感じで、
ひっつめてて、んでもって洋服がかび臭いとか最悪やん。
※余談ですがデリケートゾーンも洗う習慣もってね

なんたって、

「口が臭い女に、
 男が惚れると思うなよ!」

・・・です。

そしてその次に、
自分に似合うファッションやメイクをしましょうよ。
ヘアスタイルもそう。

貞子ヘアは似合ってる人はいいけど、昭和過ぎ。
ゴスロリや奇抜なファッションは似合う人には個性的でも、
顔が麗子像なのに・・・顔無しかコケシなのに、
(麗子さんは麗子さんでコケシはコケシで魅力がありますが)
市松人形がフランス人形の服着たって滑稽なだけなのに。
平たい顔の一族顔で金髪に染めててもなー むむ

どうして自分をわざわざ不細工に見せて、
元々の可愛さとか持ち味とか殺して台無しにするんだろう。

「もしかして、
 笑いをとるためにそんな恰好してる?」

って子もいたりする世の不思議。

そりゃ、中身はもちろん一番大切です。
でも、それは中身を知ってもらう機会(距離)があってのこと。
まず最初は見た目から。何よりも恋には第一印象が肝心。
だから人は見た目も大事なんです。

中身が魅力的な子はコミュ能力だけで恋人作れるけど、
コミュ能力のない受け身な子は、
自分の中身も外見も磨かないことには何も始まりません。

縁結びのお守り買って、パワースポットで願掛けしたり、
占いで未来の可能性や出会いを期待する以前に、

「お洒落しろや、ゴラァ!」

と、私は言いたい。

まず、自分の顔やスタイルの欠点を知ること。
そして同時に自分の顔やスタイルの綺麗なとこを探すこと。
自分を綺麗に見せるメイク、自分に似合う色、スタイルを研究し、
身体のラインを美しくみせる服や靴を身に着けること。
ヘアスタイルもそう。
いかに自分を魅力的に見せるか、自分の良さを引き出すか、
個性を際立たせて、好印象を異性に持ってもらう工夫をするか。

エチケットやマナーを知ることも、箸の持ち方とか、歩き方とか、
そういった所作も含めて、自分を高める努力って損のないこと。

そうした努力のひとつもしないで、
やっすい100円ショップで買えるほどの価値の女のままで、
誰かに自分を好きになってもらおうなんて、

100万年早いんじゃあ~!

と私は思ったりする。



まあ、私も人の事は言えませんがね。
化粧はほとんどしないし、お洒落でもないし。
ファッションセンスも決していいほうではない。
(ただPTAのおばさんにならないよう、
イタイ人にもならないよう、気を付けてはイマス)


例えば先日たまたま、
ファッションのアドバイスを求められたのだけど、
その方はとても小柄な方でなおかつ童顔でもあるので、
トラディショナルなカジュアルをかっちり着たり、
ちょっと個性的で奇抜なデザインの服を着ちゃったりすると、
どうしても「子供服」を着てるようにしか見えないのね。
しかも、肌が小麦色なもんで、
落ち着いた色、ダークカラーを着ると、
顔色悪い人つーか、肌が汚く見えちゃうの。

だからまあ、肌を綺麗に見せる色を選ぶ必要があるし、
それだけでなくて、子供服に見えないようなデザイン、
年相応の落ち着きを出せる服を選ばないと、だったり。
あと、その方は首がとても細くて、首から肩のライン、
とくに鎖骨がとても綺麗だったから、
その長所を目立たせるカットソーなんかいいわけ。

欠点を隠すのも大切だけど、
その人の身体の一番綺麗なところを見せると効果的だから。

このあたりはその昔、ハリウッドで
スタイリストをしていた人の著書からの受け売りなんだけど。
(エリザベス・テーラーやグリース・ケリーとかの)

自分の胴が長いとか、手足が短いとか長いとか、
あんまり知らない人が多いよね。
そして顔やスタイルに文句をつけつつ、
自分の身体の何処が一番美しいかってのについても、
知ろうとしない人は意外と多いんだ。

人の第一印象は、まず顔で、その中でも目に人は目が行く。
ファンデーションでいくら隠しても首の色は隠せない。
自分の顔色を美しく見せる生地の色を知らない人も多い。
(ただ色って、素材や染め方(プリント)次第で随分違うから、
実際は出来上がった洋服としての全体で考えないとですが)

自分が他人にどんな表情を見せているのか、
自分の顔の表情が他人にどんな印象を与えているのか、
それを知ろうとする人も少ない。
芸能人やサービス業の人は、鏡に向かって、
自分の表情を研究し、笑顔の練習をし、
放送後のビデオチェックなんかも怠らないけど。

化粧直しは熱心にしても、
口元を歪めて他人の悪口を言っている自分の醜い顔や、
意地悪な目つきを直そうとする人はあまりいないし。

ボトム…スカートの長さもそうね。
足の一番太くなっているところまでの丈を選んで、
(ものすごく細い脚の人なら問題ないけど)
わざと自分の足を薩摩大根並みに太く見せている人多いよね。
靴もそう。ふくらはぎの太いところからのロングブーツとか。

ちゃんと全身鏡観ようよーって感じ。

なんかねー 

電車なんかで私はよくそんな風に、人間観察をするですよ。
ファッションチェックとかしてたりしてっっ。
スマホ持ってない人だし、本も疲れるから読めないので。

あの人、仕立ての良い服着てるのに、靴が残念だとか、
惜しい、バッグだけがダメぢゃん、あともう一声…とか。
ヘアスタイルがファッションに合ってないとか。
そのストッキングの色は酷すぎないですか?とか…
そのメイクはいつの時代のですか?
大映ドラマのイジワルキャラですか? 
ひょっとしてその服はバブル当時のを改良したものですか?
ああ、幸せ薄い女の典型的な見た目ぢゃん!
せっかく顔だちが整っててキレイで、磨けば光るのに、
ジミーにおばさんファッションにボサ髪でなんてもったいない、
なんでもっとなんとかしようと思わないのよ~
とかとか…

ねーちゃん、パンツ見えてるよ! 足開くなよ。
その長さのスカート履くなら、足は組みましょうよ。
斜めに傾けてちゃんと足は閉じようよ~
もしくはひざ元にスカーフ置くとか、バッグで隠すとか、
女子なんですから恥じらいもって配慮しましょうぜ。

電車内、化粧するブス、しない美人・・・なんて標語を作ったり。


うん…

とにもかくにもね。

開運の石とか、アイテムとか縁結びスポットとか、
こうすれば彼氏が出来るとかの行動や何かに頼る以前にね。

もっと自分に興味を持って、外見を魅力的に装うこともしてよ!
中身もだけど、見た目ももっとみんな何とかしようよ!

そういうとみんなお金がないとかいうけど、
値段じゃないんですよ。お金かければいいってもんじゃないの。
やっすい服でもね、いいの。
問題は似合うかどうか、着こなしの仕方ひとつなの。
組み合わせなの、コーディネイトなの。

ユニクロだってGUだって、なんだってね。
その辺のバーゲンの服でも、見つけられるのよ。
アクセサリーも100円、300円ショップでも見つけられるし。

でも、
好きな服、着たい服と、自分を美しく見せる服って別だからね。
自分が着たい服を着る冒険が出来るのってせいぜい20代前半まで。
後は年齢とか自分なりの個性を加味しないと、残念なことになる。

とにかくね。女性が一番きれいな時期って、
何もしなくても輝いていられる時期って、10代と20代なのね。
その時期に、自分が一番美しい時期に、
美しく装っておかないと後悔するし、人生無駄にする。
30代以降はある程度、年相応のスタイルを確立しないとだしね。

そして恋愛のチャンスも10代、20代ならたくさんあるわけで、
30代過ぎて、他人に紹介してもらわないことには、
異性との出会いがないという人は、
自力での出会いは不可能に近く、ほぼ無理。
ぶっちゃけ100%ない。酷いこというけど、
そういうドリーム入ったお花畑の人、実に多いんで。
誰か王子様がって待ってたって、絶対来ない。
出会い系とかヘンなナンパくらいしか、声かからない。

社交的で多趣味で同性の友人も異性の友人も、
たくさんいる人なら別だけど。

ただ、何かが人生に起こるのを待っている人はまずない。
だから、努力しないと始まらない。

とりあえず、
見た目をなんとかすることから、始めたほうがいい。
中身を変えるのも勿論必要だと思いますけど。

と、いう訳で

己を磨け! メスとして!!

花の命は短いのだから

2017/06/13

レイキ受講の感想

クライントさんより
臼井霊気のアチューンメント(伝授)の感想を頂きましたので
単独で紹介(掲載)しておきます。

またこうした体験(体感的なもの)は個々によって異なりますので、
すべての人にあてはまるものではなく、
伝授を受けたすべての人がこのような変化をするとは限らない、
とだけ、お伝えしておきます。とにもかくにも個人差がありますので。
※ちなみにこの方のお祖父様は元々一般人(農業従事者)だったのですが、
とある出来事があって、行者さんの修行をすることになり、
心霊治療家として多くの方々の相談にのってらしたとのことでした。


 ☆  ☆ ☆ ☆  ☆  ☆ ☆ ☆  ☆ ☆ ☆  ☆  

アルマ様

こんにちは。
セカンドから1か月を過ぎましたが、
途中経過のご報告をします(^-^)


ここ最近だいぶ変化を感じます。
靈氣で・・・というか、自分自身の内面に変化があります。
セカンドアチューメント後、その日は、気分が気怠く、
”自分など大した人間ではない感”みたいなのが色濃く迫ってきて、
なんだろうな~このダルダルな気分は・・・と思いましたが、

翌日はすっかり気を取り戻し、
その次の日から部屋の模様替えをし、祭壇を充実させ、
家の中の各部屋の機能をすっかり様変わりさせていきました。

1週間後くらいから、
ようやく遠隔ヒーリングを開始し、レイキボックスに祈りを封入し、
その後は、気づけば、毎朝早く起きて、瞑想を日課にし、
チョロチョロと遠隔やらなんやらやり続けております。

ちなみに母によると、眠くなったり、
シャキッとして体が軽くなったり、変化があるそうです。
(母は特別受け取りやすい人のような感じもします・・・
 直接の時は100%寝てますし。)


レイキボックスを開けて確かめると、
「朝早く起きられますように」等、すでに叶ったものがちらほらあり、
また、心境が変化したためにこれは要らんわというものもあり、
今日、ごそっと入れ替えしました。

また、夫には、
あなたの病気のおかげで靈氣に出会えたことを感謝している等々
よく述べていたのですが、最近は、
彼の調子の良い悪いがあんまり気にならなくなり、
(申し訳ないけど・・・^^;) 
毎朝一番に私の部屋から遠隔ヒーリングをしていたのを
とうとう現在2日続けてやっていません。
執着が離れたという感じでかなあ・・・


実は一昨日あたりから、
瞑想や内省で、思いがけない自分が出てきまして、
”悪は許すまじ”という感覚で、
よく考えれば、刑事もののドラマが大好きなのだから
元からそんなタイプだったのでしょうが、
明らかに、魂の奥底から湧き出る感じで
祓いたい!祓わなければ!という強い使命感み たいな喜びみたいな・・・
で、何を?と考えてるんですが、
特にその辺に対象物があるわけでもなく・・・
でも、夫の病気云々のことなど、
大したことでもないみたいな感じで吹っ飛んでしまいました。

今朝、母と話をしていたら、
祖父はエクソシストだったんだそうです。和風のやつです。
悪魔祓いというか、邪気祓いというか、
それが本筋で、毎日地域のための祈りとかをやっていたそうで、
病気を治すとかお告げをするとかは二次的な需要だったそうです。

今まで話をよく聞いていなかったんだなと思うとともに、
ということは、あれ?
ひょっとしてこの感覚は血筋ですか?とやや思った次第です。


瞑想中にたまに、
坊主頭のちょっと凛々しい青年かおじさんが浮かんでくるのですが、
私はその人がとても好きでして、ま、ただそれだけの事なんですが、
ワイン派の私が日本酒を買ってきて飲んでみたり、
まんじゅうが食べたくなったり、ここのところ「和」の気分です。
そういえば、いつもいるこの部屋は和室です^^!


余談ばかりで失礼いたしました。
来週末のサードアチューメントとても楽しみにしています。
またその後も精進のために、レッスンを受けていきたいと思っていますので、
今後ともどうぞよろしくお願いいたします!

2017/06/03

世の哀しみを減らすために私自身が出来ること

先週のことですけど、数年ぶりかで映画を見てきました。
映画を見るのは好きですが、今はTVを所持していず、
PCでDVDを見るにも徒歩圏内にレンタルショップがないこともあり、
とんとご無沙汰でした。映画館も行かなくなると情報入らずで。
視力のこともあり、字幕を見るのが無理というのもありましたが…

その映画を見ようということになったのは、
当日の午後、渋谷にて開催されている、
抱きしめる聖者アンマのダルシャンに
一緒に行こうという話になっていたので、
ちょうどその映画のことを知った友人が是非見たいが、
休みがその日しかなく、タイミングよく同じ渋谷で、
上映時間もピッタリ合ったからなのでした。

映画のタイトルは「ライオン~25年目のただいま」

どういう内容かも、誰が出るのか、何の事前知識もなく、
その後はどうせ一緒に行動するのだから、お付き合い程度に、
たまには映画もいいかな位の軽い気持ちでした。

インドが舞台と聞き、アンマはインド人なので、
偶然にも今日はインド一色だね、なんて調子で。

たまたまレディースディだったのでラッキーと思いきや、
この映画を見た事自体もラッキーでした。
友人が誘ってくれなかったら、作品のことも何も知らず、
見逃していたことを考えると、必然とも言え、友人に感謝です。

まあ、その・・・色々と考えさせられる映画でした。

どういう内容の映画だったかをかいつまんで説明すると、
インドの貧しい母子家庭(兄妹4人)に育った五歳の主人公が、
誤って回送列車に乗り込み、そのまま寝てしまい、
1200km以上離れたコルコタの町に着いてしまい、
言語が通じない事から、迷子になり、
さらにストレートチルドレンになってしまうものの、
親切な人に出会えたことからなんとか警察に保護される。
が、五歳という年齢で親の名前や出身地を言えないことで、
身元が分からず、コルコタの新聞にて尋ね人広告を出すも、
1200km離れた町には届かず、結果孤児院へと。
しかし、そこで運よくマザー・テレサの教育を受けた女性が主催する、
海外への養子縁組を斡旋する人権団体を介して、
オーストラリアはタスマニアの愛情深い里親の元に引き取られる。
が、海外留学をしてインド人の同級生たちと交流をしたことから、
故郷や実の家族に自分の無事を伝えたいという想いが強まり、
フェイスブックやグーグルアースを通じて、五年もの歳月をかけ、
幼少期の記憶から自分の出身地を探し出すことに成功し、
インドへ旅し、家族と再会する‥というもの。

実話がベースになっていますが、
ドキュメンタリーではなく、映画として形作るため、
はしょっているところや脚色しているところなど、
そこはそれ、映画という原作を元にした二次創作だから、はい。

友人はこの映画のテーマ
(インドという貧しい国の実状や養子問題)
の重さにズーンとなってしまいましたが、

私のほうはその辺りは想定内というのかな・・・
わりかし第三国の問題に関して事前知識もあるのと、
もっと悲惨な民族浄化物をたくさんこれまでに見てきているので、
(「ルワンダの涙」とか「キリングフィールド」とかetc)
臓器目的の人身売買のための誘拐とか、
孤児院の職員が小児性愛者に子供を「貸し出し」するシーンとか、
現実にあることとして受け止められちゃったりしますね。
今さら感情が動かない自分のことを冷酷な人間だなとも思うし。

インド映画はこれまでも、
サタジット・レイ監督の「大地のうた」とか、
ボリウッドに代表されるマサラムービー「ムトゥ」とか、
そういう牧歌的なものやはちゃめちゃな娯楽もの。
一番好きな「きっと、うまくいく」
それ以外にもみ終わった後、ズーンと来る「女盗賊プーラン」とか。
オリビア・ハッセー主演の「マザー・テレサ」とか「カーマ・スートラ」とか、
アメリカで制作されたインド人監督のものも見たりしましたが・・・
国単位の見た本数としては少ないほう。
それでインドという国のすべてを理解出来たかというと、
それはありえないし、一部しか覗き見していないわけで。

ただ非常に混沌とした国で、のんびりとした面がある一方で、
カースト制度により、未だに非人道的で理不尽な人種差別や、
女性蔑視、ありえない常識やルールがあるのは、
近年伝えられる海外ニュースからも察せられるかな。
数字のゼロを発見し、数字に強い天才的な人も排出し、
IT大国でもあったりするけれども…
サイババみたいな奇跡がカリスマ的な人気を博していたり、
貧富の差は激しく、ガンジス川では死体も洗濯物も一緒くたで、
路上生活者や物乞いなど、野良猫のように餓死する人も多々。


話を映画に戻すと、
この映画の「25年も迷子で家族に会えなかった」という話を、
「え?どうしたらそういう話になるの?」と、
列車で遠くに行ってしまっただけで親元に戻れなくなることが、
信じられない、想像がつかないという反応をする人が多いらしい。
得てしてそれは先進国に住んでいる人のセリフで。

まあ、日本という全国統一が成されて何百年も経った国ではそうか。
日本の鉄道網も警察も優秀で、言葉も統一されているし、
新聞も全国で発売されるし、テレビもそう、全国ネットがある。
ほとんどの人が「情報」を手にすることができる。
なので、今の日本ではまず起こり得ないこと。

インドは州によって言葉が違い、公用語でさえ何種類もあること。
治安がとても良いとは言えない国で、
地域によっては警察も公務員も腐敗しきっていて、
刑務所に収監されたほうが暴力やレイプにさらされる危険が高いこと。
貧富の差が激しく、子供の誘拐事件は年間で8万人もあるが、
その子たちの行方を捜したり、気にしたりする人は少ないこと。
道端で餓死する人やストレートチルドレンが死んでいたって、
野良犬程度の扱いであったりすること。

今のインドは知らないが、少なくとも映画の主人公、
実体験をした原作者が迷子になった当時のインドではそうだった。


さて、私がこの映画をして脅かされ、感動したのは、
主人公に起きた幸運的な奇跡の数々と、
幼少期の想い出を覚えていられたという事実。
あと、人の幸福、子供の幸せってお金じゃないんだなってこと。

養父母の元で養子になったのは、主人公のサルーともう一人、
マントゥッシュという同じインド人の男の子なんだけども。
彼はとても精神的に不安定で、いわゆるトラウマを抱えており、
フラッシュバックから暴れて、素直に親に甘えられず、
成人してからはドラッグに溺れて自堕落な生活を送っていた。
このあたりは映画にドラマ性をもたせるため、
かなり大げさにしているみたいだったんだけども。

彼がそうなっちゃったのは
実の家族から虐待を受けていて、なおかつ、
インドの孤児院に居たとき、性的な虐待も受けていたから。

対してサルーは、とても貧しくて、毎日お腹を空かせていて、
とても不衛生で酷い環境で育ったのだけども、
母親は子供達を分け隔てなく、かつ惜しみなく愛情を注ぐ人で、
子供達のために過酷で辛い仕事を頑張る人だったんですね。
だから、兄たちも弟を可愛がり、とても家族思い。

養父母もとても素晴らしい人たちで愛のある人たちだった。

同じ養子として、同じ環境に引き取られ、
愛情深い養父母に育てられたというのに、
二人のその差はどこから生まれてきたんだろう?
もちろん、元々の資質、性格の差もあるでしょうが。

でも、サルーの場合、五歳になるまで、
面倒見のよい兄たちと子供想いの母親の懐の中、
物質的には恵まれて無くても、
そうした愛の記憶があったから・・・
というのが大きかったんではないかと。

マントゥッシュは子供が一番親の愛を必要としている時期に、
自己肯定が創られる時期(第一チャクラと第二チャクラ)に、
十分な愛を受けられなかったどころか、悲惨な体験をして、
ズタズタにされてしまったから、その後も傷を抱えたのかと、


まあ、そんなこんなで思うことあれこれ。

さて、インドで年間8万人の子供たちが行方知れずになるけど、
先進国たるアメリカでは23万人だったりする。
こちらは人身売買といっても、児童ポルノの犠牲者がほとんど。
中には猟奇的殺人事件の犠牲者になっていたり、
離婚して親権を取れなかった親による誘拐も含まれているけど。

臓器売買目的の誘拐はインドだけでなくて、
インドネシアやタイ、フィリピン、南米などでもたくさん。

ストレートチルドレンはロシアにも南米にもアジアにもてんこもり。
アフリカでは児童労働や児童婚、子供兵士の問題などもある。

かと思えば、お金のために人を平気で殺す人たちもいる。
つまらないことで感情を害して、
ゲームのように人の命を奪う悪鬼のような人たちも。

衣食住足りて人はようやっと他人のことを考えられる余裕が出るという。

だがどうだろう。
衣食住足りていても、人の欲望に際限はなく、貪欲さはますばかり。
お金のために、お金を得るために、稼ぐために、
人は人であることを見失って、大切なものを忘れて、捨てていく。
豊かになったモノ余りの国では、孤独死も過労死も自死も増えるばかり。

テロは無くならないし、中東の和平は遠く、
アメリカはパリ協定から逸脱してしまった。
中国の大気汚染は深刻で、災害からの教訓もどこ吹く風。

相変わらず世の中は問題でいっぱい。


こうした世の中の現状を考えるとき、
自分は何が出来るんだろうって再び考えた。

インド映画を見て、考えて、そして
奇しくもインドからやってきた、
抱きしめる聖者アンマの慈善活動などを改めて見直して。

今の自分が出来ることって何だろう。

それは私自身を活かすこと。
私にしか出来ないことをすること。

もちろん、募金のような金銭的なサポートも微力ながら、続ける。
生徒さんたちとの祈りの会も続ける。

そして、後はやっぱり、私自身がきちんと自分の人生を生きること。
自らをきちんと成長させていくこと。
後は本当に、地道で些細な力でしかないんだけども、
スピリチュアルセラピストとしての仕事を通して、
クライアントさんの問題解決の助力になっていくこと、
そのために知識を吸収して、勉強して、自らを鍛錬して高めて、
人に分け与えることができる力を常に蓄えて、備えておくこと。

この仕事を一生懸命するしか能がないのです。
クライアントさんの過去生を解放したり、
その人が望む未来を創造するために邪魔になっているものを取り除いて、
その人がその人らしく生きられるように、
生き生きと、本当の自分の人生を生きられるように、
一期一会のセッションでの出会いを大切にして、
限られた時間の中で全力を尽くして、
(いつでも全力を尽くせる状態でいられるよう自分を磨いて)
とにかくホントそれしか出来ないんだよなって、
この仕事を通して、世の中の不幸や悲劇のタネを、
少しでも、ひとつでも無くしていく努力をするしかないのです。

それしか出来ないし、それを頑張るしかないって、
改めて想いを強くした今日この頃の私でありました。

2017/06/02

見えなくなって見えてきたこと

気が付けば、
前回の記事(お知らせですが)を書いてから二ケ月近く経っていました。
読み物的なものとなると、実に四ケ月ぶりになりますね。 

書きたいこともこのブログに即したネタもそれなりにあったのですが、
筆を取る気力というか、考えを文章にまとめる集中力が萎えていました。
おそらく視力の問題が大きいように思います。 

どうしても視野欠損というのでしょうか・・・文字が一部見えないんですね。
例えば、4桁に並んだ数字とか、真ん中が重なって3桁に視えちゃう。
そんな風に読み飛ばしてしまう文字があったりするわけです。紙はとくに。
死角のように見えない部分が出来てしまうので、しんどいのですね。
目の痛みも相変わらずありますし、一年経ってだいぶ慣れてはきたものの、
見えづらいのには変わりがありません。暗いところだと鳥目状態ですし。 

まあ、あーだこーだ言っても始まりません。
歳を取ると、どっかしら体にガタが来て不具合が出るのが肉体というもので。
 (鍛えてないとか日頃の不摂生とかも反映され)
そして・・・健康を害することによって、
身体機能の衰えとか損傷とかを体験することによって・・・
その状態を経験し、類似のハンデを負っている人々の置かれている世界や、
彼らの不自由さを知ることになります。 
肉体的マイノリティの人々のフラストレーションだとかを。

例えば、傍目にそれとわかるハンデを人は理解して対応できるけれど、
一見して健康にしか見えない人には健常者として接しますから、
そこでトラブルや誤解なんかも発生してしまうわけです。
まったく目が見えない人は他人からも分かり易いけど、
なまじ私みたいに弱視というわけでもなく中途半端に見えている人間もそう。

耳が聞こえないとか一語も言葉を発せない聾啞者は理解できるけど、
重度の難聴とか、高音部が聞き取りにくいとかの聴力に問題のある人や、
話せないわけではないけど、声を出す事に困難がある人もいるわけで。 
パッと見で理解してもらえず、
なまじ健康な人と変わりが無いように見られてしまうから、
相手からしたら、眼鏡をかけているのに「視えない」とが分からない。 

私の場合、暗いトコだともう真っ暗なんですよ。
いつも行くところだとか通いなれたとこなら分かるけど、
数メートルくらいの距離しか見えないので砂嵐の中にいるみたい(笑)
昼間でも距離感は未だつかめないし、急に目の前に人が現れる感じ。
右目に映るのは凹凸鏡の世界なんだけども、
友達や会う人に「他の人と同じようには見えてはないんだよ」って説明しても、
皆そこのところはいちいち覚えていず、忘れてくれちゃうから、
もうめんどくさいので、適当に話を合わせちゃいますしね。
まっすぐ歩けないのでぶつかっちゃった日には、
事情を話すより、誤ったほうが早いし。
見えない理由を話すより、「あれなんて書いてあるのー?」って聞いちゃう。

だって私の目で見えている歪んだ世界を理解してもらおうと思っても、
それは無理なことだし。
もっとも、それは霊的かつ不思議な体験のほうで散々経験しているから、
今さらって感じではあるのですけどもね。
なので見えないときにはまあいいやで流すか、
わかんないから適当でいいやになります(笑)

拡大鏡は買ったし、PCも文字を大きく出来るのでそこは何とか、ですし。
印刷物の文字、書物が読めなくなったのはサビシーですけどね。
ここらへんは老眼になったならば同じだし。 
もちろん、こういう不自由さは身体に障害を持っている人ならなおの事。
世の中は健常者であることが基本として社会が成り立っているので、
少数派の、それぞれ固有のハンデを抱えている人は、
この社会の中で適応していくしかないのだなあと思います。 

またまた私事で恐縮ですけど、 私はお箸と鉛筆は右利きですが、
それ以外は左利きだったりするのです。
お金を扱う時は左利きなんで左利き用の財布を使うことになるし、
切符や定期を扱う時は左利きです。なので自動改札機が使いづらい。
エスカレーターも左利き視点だと右側歩くのは歩きづらいし。
(本当は歩いちゃいけないんだけどさ)

あと、生徒さんで最近膝を痛めて松葉杖状態になった人がいるのだけど、
彼女曰く、「エスカレーターのスピードが早すぎて、乗れない」 

ああ、巣鴨商店街に面した地下鉄のエスカレーターがゆっくりなのは、
お年寄りや身体の不自由な人に合わせていて正解なのだな、と思ったり。 

そういう意味でも、世の中って流行もそうだし家電も町の作りも何もかも、
健常者や若い人(20代~30代)たち働き盛りを中心に回っているのだな。
グローバルスタンダードってなかなか広まらないのねん、とも。 

だって、
郵便局や宅配便の不在票なんて文字小さいしさー 年寄り読めないよ。
携帯(とは今はもう言わないか)の機種とかもそう。
50代、60代以降の消費者は対象外だもの。
まあ、50代はまだついていけるのかな。 
税金や給料の指標も
公務員とか大手企業のサラリーマンの所得が基本ですものね。

全ての世代、全ての職業、そして全ての五体満足ではない人も含めた国民・・・
確かに各々違って幅広いから、
全員を対象とした「ものづくり」も「街づくり」も難しい。
だから平均値を出して、一番人口の多いところ、
平均値のところを基準にするしかないのですけどもね、実状として。

ただ、平均値のところから外れたマイノリティの人がいることを、
多くの人たちが周知してくれるようになってくれればそれで良いとも思う。 

「左利きだから、それは使いづらいんだよ」
「耳がね、拾えない音域の音があるんですよ」
「視力に問題があって、夜だと辺りが見えなくなるんです」

 って誰かが言ったとき、

「なんで?」ではなく、
「ああ、そうなんですね」と… さりげなく、受け止めてもらって、
事情を察してくれるだけでいい。 そんな優しい社会になるといいな。

2017/04/14

お知らせと案内など

またしても、しばらく放置していました、ここ。

書きたい内容はそれなりにたくさんあったんですけれども、
なかなか時間的にも精神的にもゆとりなく、気が付けば四月半ば。


さて、
私はスピリチュアルな方面の友達(ちょっと言い方がヘンだ)とか、
同業の友人ってほとんどいないんです(何しろ話とか色々と合わない)。

その私の数少ない10年来の信頼できる友人が、
最近ようやっと重い腰を上げて(何度もお尻叩いていたんですよ)、
サイトを開設してくれましたんで、ここでご案内をば。

Blossom-Works

ちなみにブログは 魔女の見習い よもやま歳時記

よかったらどうぞご利用下さいませ。

ようやく由美子さんがやる気になってくれて、アタシャ嬉しいです。
今までやれーやれーうるさく、ぶーぶー言ってきた一人なので。
彼女は才女で、知識も豊富な美魔女です。
私なんかより遥かに色んな事に通じてて詳しいですし、
私が勉強している霊的真理の道では先輩なのです。

皆さま、是非っっ!



それと私のほうでは、

5/7(日)に
マネーレイキ1(全3回のうち、プラテクショナーレベル)
のグループアチューンメントを開催します。
13時30分~17時頃くらいまで 
通常料金1万円ですが、グループワークなので5000円

このエネルギーをアチューンメントしたら、
お金持ちになる、お金を引き寄せられるというような、
成功術を教えるものや引き寄せ的なものではなく、

お金に対する負の感情や思考、トラウマ、
お金にまつわる問題を浄化(クリーニング)するための
ヒーリングツールとしてのエネルギー伝授です。

とくに伝授に関しての条件はありません。
どなたでも受講できますが、
エネルギーワーカーなら、ベストです。

今のとこ3名で、あと3名まで枠があります。
申し込みはサイトの問い合わせフォームか、
FBのページかメッセにて。

初夏のアバンダンス祭り



2017/02/05

月の呪縛, 解放の呪文

先日、占星学のワークショップを開催したんですが、
その時、
「月はその人のお母さんとの関係をも表していて、
お母さんがどんな母親であったかというより、
その人自身が自分のお母さんをどう見ているのか、
どのような人だと思っているのか、
自分から見たお母さんの印象を表している」
というような話をしました。

あとシンクロなのか、ちょうどバーストラウマと
母子の関係性の話なども身近で出ていたりして。

占星学的には、
0歳(受胎時)から7歳(幼児教育)くらいまでは、
月の支配下(年齢枠)にあり、
母親の影響を強く濃く、受け取る時期だったりします。
離れていても母親の感情を受け取り、その身に吸収し、
母親の感情を外に映し出して、表現する
ツールのような役割をするのですね。
まるでモニターのように。

だからこの時期、母親が穏やかで心安らかに、
満ち足りた日常を過ごしていることは、
子供の精神の安定と心身の健康のためには必須。
この時期に母親が不安定で心の均衡を崩していると、
子供の心に何かしらの影響を与えることになります。

そして、物理的には既にないものの、
3歳までは目には見えないへその緒がまだ繋がっていて、
その糸を通って、母親の感情が子供に流れ込みます。
そうして、母子は感情そのものを共有していたりする。
肉体としては既に分離したのに、未だ一部といった具合に。
だから、少なくとも子が3歳まで、
母親のメンタルバランスが安定してることってとても大事。
この時期に肉体的な接触(ハグ、ボディタッチ)をたくさんして、
母親が精神的にリラックスして過ごすことって、
その後の人格形成にも影響を及ぼします。

児童心理学のことは私はよく分からないのですけど。
占星学やスピリチュアルズム的にはそうですね。

0歳児から7歳頃までの間、
母親のメンタルが不安定かつ精神的に抑圧されていて、
なおかつストレスや不満を過度に抱えていて、
幸福感や満足感を十分に得られていなかったりすると、
それはそのまま、子供の心に吸収される。

つまり、
母親の不幸は、そのまま子供への呪いになるんです。

当時の母親の心理状態、抱いた負の感情が、
そのまま子供のトラウマになり、
その後の人生に影を落とす呪縛となるということ。



月は感情の模倣を示しています。
子供は、母親の気質、感情の在り方をこの時期、
学んでいくことになる。
感情の表し方を。母を見習って、そのままコピーして。
そして、女性はこの時期模倣した母性をモデルに、
そのような母親像を自分の外側に創り上げていく、
母親のような女性に、真似するかのように育っていく。
(男性は結婚した後、妻にこの月のイメージの母親を求め、
自分の太陽に父親のセルフイメージを投影します)

困った刷り込みです。悪しき負の連鎖ですねー


とはいうものの、
現代では1歳過ぎると保育園は当たり前で、
専業として育児をスタートさせることができる人は、
経済的にもなかなか難しいという時代背景があり、
理想的な環境での子育てをしようにも無理があります。

まあ、共働きにしてもシングルマザーにしても、
大事なのは、両親が揃っているとか、
経済的に不自由しない環境を提供することよりも、
母であるその人が幸せであるか否か、でしょうか。
両親の仲が良くて、家庭円満なら直よし、ですが。

そして、何よりも、自分を生んでくれた人が、
自分の誕生を心から望み、喜んでくれているかどうか、
そこも母と子の信頼や絆が育つのには大切なポイント。

そうすれば多少、躾が厳しくても、言葉足らずでも、
その感情の記憶が根っこにあれば、
何処かで「自分は望まれて生まれてきた」
「愛されてる」って、自己存在を肯定できるものです。

でもって、成長してお互いの絆に溝や亀裂が生まれても、
修復されるための土台が、残ってるって感じでしょうか。


ここからはほぼ自分語りになるかな…。

私の月は魚座にあります。
私の母親のイメージは、
自己憐憫と被害者意識の強い、精神的に弱い人。

今もそうですね。愚痴が多いです。
一緒にいると毒ばかり吐いているので、
しんどくて疲れます。2時間が限界ですね。

誕生日は戦前で、
当時は生まれても死ぬ子が多かったので、
すぐに出生届が出されることはなく、
数か月経って"生きている"から、
大丈夫だろうということでの届け出。
なので、正確な誕生日が判りません。
その年に生まれたということだけ。
父は祖母が言うには、旧盆の中日に生まれたけど、
出生届を出したのは翌年の正月明けだったり。
だから、占いでの父母との相性は判らないですね。

昔は生まれても育つのは確実ではなかったですから。
死産も多く、出産の事故も当たり前で。
育っても、病院や医師が近隣にいなかったがために、
手遅れになって死んだ人も多かった時代のこと。
そういう意味では、昨今の医療事情というのは
格段に進歩していて、素晴らしいですね。

父の兄弟姉妹のうち死んだ子もいるし、
母のほうにもいますね。珍しいことではなく。

でも、まあ今は無事に生まれて当たり前、
な時代になっているから、
何かあると、すべて医師の責任になってしまって、
助けてもらったとか、手を尽くしてもらったとか、
そういう感謝をすることが少なくなっていて、
現場の人のプレッシャーは半端ないだろうなって思います。


私は「三丁目の夕日」の頃に生まれて、
戦中や戦後に比べると人々の生活水準は上がって、
世の景気も良く(朝鮮戦争やベトナム戦争特需)、
少しずつ日本が豊かになっている、そんな時代でした。

それでも今の時代と比べると、貧しかったです。
でも、一部の人を除いてみんな貧しかったから、
貧乏なのがさほど恥でもなかったです。

幼稚園に入る前までは、
お風呂のないアパートに住んでいたので、
毎日お風呂に入ることは出来ず、
食事も粗末なものでした。
ご飯のおかずがなくて、漬物と味噌汁だけ、
そんな日もしょっちゅう。
お肉が買えないので魚肉ソーセージで代用したり、
お腹いっぱいにご飯を食べることなんてできず。
小学校に上がってからは給食が栄養源で。
だから、食べ物を残すなんて考えられませんでした。
だって食べたくても無かったんですもの。
休んだ日の給食はクラスメイトが、わら半紙に包んで、
学校帰りにその人の自宅に届けるのが当たり前の習慣。

洋服だって滅多に買えません。
私の場合、下着まですべて姉のお下がりでした。
鉛筆やら文房具もです。
鉛筆は短くなったのにキャップをつけて、
使えなくなるまで使っていました。
消しゴムもノートも何もかも、モノはすべて貴重でした。

少しずつ、年単位ごとに、
みんなの生活が向上して、ちょっとずと差が開いて、
だんだんと貧乏なのが恥ずかしくもなっていく、
そんな時代でしたが。

実際、うちは貧乏ではあったんですが、
決して父の稼ぎが悪いというわけではなかったんですね。
むしろ高度成長期で、時代は建築ラッシュ。
皇居の内装の仕事にも参加してたから、
実は高給取りだったんです。当時で月収70万くらい。
なのに、どうしてそんなに貧乏だったのか…

父が自分の姉妹たちにお金を渡していたからです。
とくに父の妹。この4人家族たち…
ほぼ我が家に居候だったんですね。
家は別でしたけど、朝から来て夜までいて、
朝ごはん、昼ご飯、夕飯まで食べて、風呂も入ってく。
ヤドカリというか寄生虫みたいなもんです。
ようするに、父にとっての家族とは、
自分の生家の人間であり、自分の兄弟姉妹の縁者のみ。
私や母といった妻子は、彼の家族ではなかったんです。

そして、私の洋服や持ち物をすべて持ち帰られてしまう。
従妹(長女のほう)は私のひとつ下でしたから、
サイズが合うわけです。靴なんかも。
決して豊かとは言えない母方の祖父母が
なけなしのお金で買ってくれたものも、
私自身がお年玉を貯めて購入したものも、
全部従妹のものにされてしまう。
父が勝手にあげたりする。
これはずっと実家を出るまでやられました。
アルバイトで不在の時に持ち物を近所の子にも
あげてしまわれたりして、取り返すことも出来ず、
泣いたことが何度もありました。

それだけでなく、父はよく職人仲間をよんで、
飲めや騒げやの宴会をする。自分の見栄のために。
その食費、酒代がハンパなかったんですね。
お客さんや従姉妹たち一家のために並んだご馳走が、
私や母の口に入ることはありませんでした。
(姉だけは長子ということで食事は特別。
この時代に「飢え」を経験しているので、
私には食べ物に強い執着があり、
美味しいものを食べることに目がないのかもしれない(笑)

そんなんで家計はいつも火の車でした。
父がそうやって、自分の妹家族のため、見栄のため、
散財をするので、稼いでいるというのに貯蓄はなく、
ボロを着て、お腹を空かせていました。

なので母は、家計のために、
内職をしてミシンを踏み、保険の外交をして、
それでなんとかしのいでいたんですね。
中卒だったから、そういう仕事しかなかったのです。

そういう状況下で母が心を病み、
子供に対して暴力を振るうようになってしまったのも、
仕方がないかなあ、と思います。
離婚したくても出来ませんわね。
離婚や母子家庭にはまだ厳しかった時代です。
中卒で資格や経験、頼れる実家のない人には、
婚姻を継続する以外には生きる道はなかったのでしょう。
まして一人ならまだしも、子供を抱えていては無理です。

2chではよく見る話です。
ああ、うちだけでなくて、似たような人いっぱいいたんだ、
あるある、わかるわかる、そーなのそーなの同じ、
と、今でこそ思いますが・・・


高校に入学してから(実際は春休み)、
アルバイトを始めて、初めて洋服や靴を買えた時、
とても嬉しかったのを覚えています。
コートも買ってもらえず、寒くて凍えていたので。
(それでも父親に勝手に他人に上げられちゃったリして)
暖房もなかったから、バイトして自分で買いましたしね。
生活費も少しは入れてたし、定期代とか、
すべて自分で賄ってましたよ。
確かに遊びもしたし、趣味のものも買ったけど。

この仕事を始めてから、
セッションの金額が万単位だったりとかするので、
労力を対して使ってないわりに高いお金をもらってる、
普通の人が一時間いくらで働いているのか知らないでしょう?
あなたが一回のセッションで稼ぐお金は、
私の時給の何時間分だと思う?
みたいなことをその昔、言われたことがあります。
お金の価値を、苦労をまったく知らない人みたいに
その人は私のことを思っていたのかな。

確かに医師や士業の人たちほどではないにしても、
専門職とはいっても特殊だから、
実質、高給取りに見えるのでしょうね。
対して労力を要していないのに、高い料金を取って、
暴利をむさぼってる職種とでも。

でも、実家はそんなんで、
ネグレクトみたいな放置はされなかったものの、
経済的には困窮していて、
自分で必要なものは自分で稼ぐしかなく・・・
高校時代はアルバイトばかりで、
ひたすら働きまくるって、そんな感じ。

一日4800円稼ぐために、
そのバイトを確保するために期日に電話して、
朝早くからパン工場で流れ作業、
お昼を節約するために無料のパンと水でしのぐ、
そういうのもたくさんやってきましたけどね。

いちおう難病指定の疾患持ちだったけど、
働かない訳にはいかないんで。生きていけないんで。
時おり倒れながらも、休むことも多々あったけど、
それでも死にもの狂いで頑張ったかな。

アニメーターの仕事してた時は、
放映スケジュールに間に合わせるため不眠不休で、
徹夜を何日もして、お風呂にも入れず、
どんなに頑張っても、給与は8万弱。
家賃払って冷蔵庫もテレビも無い生活。
三食100円のラーメンに同僚と10円ずつ出し合って
購入したもやしのみの食事がメイン。
週に一回だけホカ弁でのり弁買って、
月に一回の給料日だけ定食屋で焼き魚定食を食べる。
夏は素麺。西武の優勝セールで投げ売りしてた、
キャベツだけ入ってるお好み焼きを食べ続けたり、
栄養失調状態になり身体中に斑点が出たこともあった。

なのにお金を稼ぐことの苦労を、意味を、
まったく知らない人に見られてしまうこともある。
そう見る人もいる。
(どうも自分一人で生活したことのない人ほど・・・
本当のお金の苦労をしたことがない人ほど、
そう思い込む傾向にあるのは何故なんだろう)

それはそれで仕方がないし、
その人の問題とも言えますかね。

まっ、いいけど。

ところで、7歳までは母親のコピーというか、
子供は母親の感情を吸収し、外の世界に表現する
母親の心の代弁者だと先に書きましたが。

私もまさにそうだったかな、と思います。
兄が亡くなって、母が離婚を決意し、
姉を連れて家を出たものの、
私を妊娠したことが分かり、婚姻継続となったのですが。
まあ、そんな時期でしたから、
まさに不安定そのもので、マタニティブルーも加わって、
「この子さえ宿さなければ離婚出来たのに、キィー!
 お前のせいでっっっ んもっー!!」
となったわけで。

私のASCにどっしりと座っている土星が
まさにその状況を表していますが。
そして当時毎日のように言われたのが、
「金食い虫」と「貧乏神」「疫病神」という言葉です。
他にも色々あったけど、
短いフレーズのほうが覚えてるものでして。

少し前のエッセイで仲違いした先輩が、
私のことを「疫病神」だったと言っていましたから、
母が私に繰り返し言い続けた言葉は、
まさにその通りに成就したという訳か…

母親が子供に与える言葉って、
本来は祝福となり愛の言葉になるはずだけど、
その言葉の内容によっては、呪いの言葉になる。

刷り込みという予言。

おめでとう! あなたの予言は叶いました

 私はあなたがかけてくれた、呪いのままに、
 それはそれは見事な、
 他人を不幸に出来る立派な疫病神に育ちましたよ!」

とは、母には言いませんけど。

いやさ、イヤミ的に言ったことはありますね。

「どうせ。私は金喰い虫だからさ」って。

言えるようになっただけ、私も強くなったというか、
おばさんになったということか。

しかし、母親の呪縛、母親が子供にかけた呪いって、
なかなか解けないものだなーと

その辺りはクライアントさんを見てても強く思います。

チャクラのヒーリングワークで、
第一チャクラにアプローチしても、色々出てきますから。
バーストラウマもそうだし、胎教もそうだし、
その後の事とかも…
覚えているはずはないのに、ちゃんと傷として残っていたりする。

でもね、母親だけの問題ではないんですよね。
繰り返し、繰り返し、祖父母の、先祖の代から、
負の連鎖で続いていることでもあったり、
何よりも父親ですかねー

うちも父親がマザコンでシスコンでモラハラエネ夫でなければ、
母親がおかしくなることも追いつめられることも無かった訳で。

諸悪の根源はお前なんだよ!
真の悪はっっっ
影のフィクサーはお前だっ!

お前だぁぁあ! お前が悪いんだょっっ!

この糞爺がっっ!

早く、死んでおしまいっっ!

(悪人ほど長生きするものですな)

・・・ってつくづく思いますもん。

でも、マザコンを育てるのも母である女なんだよな、ふう。

なんかねー 当時のヤツを
気団の方たちにけちょんけちょんに叩いてもらって、
ウォーターさせて頂きたいものだと思ったりしますが。
もはや手遅れ。

そもそも今の時代であったとしても無理だろな。

そして、もしも私がトランプ大統領だったら、
ママンスキーでモラハラなエネ夫は、

全員去勢すべし!!

という大統領令を発布するに違いありません。

(すっかり私もねらーになってしまったな…ふっ)



さて…母親が実の子供にかけた呪縛。

この永遠の、手強い呪いから、
子としての私が解き放たれる日はくるのであろーか。

そして解放の呪文が耳に囁かれる日は来るのであろーか。

そは、解放の呪文とはいずこなり・・・?


なにはともあれ

すべての母たるものたちよ、幸福であれ
それがすべての子であるものたちの幸いなれば

2017/01/31

感想「チャクラヒーリングを受けて気づいたこと」

クライアントさんでGレッスンの生徒さんでもある方が、
チャクラヒーリングのセット(二回目)を
受けた感想を下さいましたので掲載します。



昨年のチャクラヒーリングで気づいたことをまとめてみました。
箇条書きのようになってしまいましたが、
この経験を踏まえて、自分と向き合って生きたいと思います。


【第一チャクラ】

この時はまだ混乱した部分が多く、
心は未整理な部分ばかりが表に出ていました。
アドバイスや指摘のひとつひとつが心の奥まで行かず、
表面的に理解しようとしている感じでした。
そのなかで印象的な体験をしました。


●友人を事故で亡くした経験の時の感情

古い過去生の記憶の中に、
事故で助けられなかった友人のために悲しむものがありました。
その感情を体験した時、
自分の中にこのような心があったということに驚き、
その悲しみの中でしばらくとどまっている自分を体験しました。
自分の中に、無情でない部分を発見したひと時でした。
このことは後から考えると、
決して育たない心を持ち合わせたわけではなく、
自分が経験を理解しようとしなかった
ということをあらわしているように思いました。


●荒い波動に細かい波動は伝わりにくい

第一チャクラのヒーリングを受けた時、
自分の中にあるエレメンタルを
全て綺麗にした後にエネルギーを入れると、
とても入りにくく感じました。
私の中には細かい波動と荒い波動が混在していて、
荒い波動の方が割りを占めているように思いました。

荒い波動の多い中に細かい波動を広げていくには
とても時間がかかり、伝わりにくいものなんだと思いました。

この経験から推測したことは、
低い波動の人は高い波動の人のものは伝わりにくく、
高い波動を持つ人には、
低い波動はひどく疲れるのではないか、ということでした。

低い波動はネガティブなものが多いように感じました。
それがすべて欲望志向型のエレメンタルだとしたら、
欲望志向型エレメンタルを多く持つ人は
他者にとってエネルギー的にも
痛みを与えやすい存在になるのではないかと思いました。

私は人に痛みを与えやすい人間だったんだと思います。
ネガティブなものを心からなくしていくことは、
自分だけの解放ではなく、
周りへの影響に変化があることにつながると感じました。


【第2チャクラ】

この日は対話の中から
自分のありようを見つめたという感じが残りました。
この頃起きた事件などで
自分の身に起こったとしたらどうなのか、
では過去の記憶を持ち合わせながら、
その人に拘らなければならなくなった時どう感じると思うのか。
対話の中から
自分の感覚を確かめていく時間のように思いました。

実際第2チャクラを見ても、
全てを口にできていない自分がいました。
どこまで話していいのかがわからないという感じです。
見たもの全て、感じたこと全てを言った方がいいのに、
なぜか言わないでいる自分がいました。
どこまで本当に感じているのか、
自分に対して疑問を持っていました。
見たものをすべて話せなかったのは、
恐怖に勝つことができなかったからだろうと、今は感じています。

自分が過去に行なったことは、
二度と消えることはないということを実感し、
エレメンタルをすべて取ったとしても
自分が変わらなければ意味がないということが心に響きました。

ヒーリングの間涙が止まらず、後味が悪く、
もう二度と過去のような行いはしたくないと感じていました。

ヒーリング後、相手のことを考えること、
相手の幸せを考えることは、
すぐにうまくできることではないけれど、
できないことではないのかもしれないと感じ、
また、無意識のエレメンタルに
気が付けるようになりたいという気持ちにもなりました。


【第3チャクラ】

この回に気づいたことは、自分の視野の狭さでした。
それは今も昔も変わっていなくて、
誰かのアドバイスがなければ周りが極端に見えてなく、
気づかないのでした。
また、一つの過去生から気づいたことがありました。

それは、3000年前の奴隷の人生だった頃です。
彼は体が小さく、できる仕事は少なかったようでした。
仲間は多く、色々助けてもらったのに、
そのことと人生観とは別で、
もう自分はこんな身分には二度と生まれない、と思っていました。

彼はこの人生で、どんな人生にも人を愛し、学びはあり、
変えなければいけないのは社会のシステムだけで、
どんな人生にも意味があるということを
学ばなくてはならなかったのです。なのに学べませんでした。

それは物事を悲観的に、
他者を排除して考える傾向がこの頃にもあったということです。
物事をとても狭い視野からとらえ、その考えを広げられない、
その傾向は今の私の性格につながっていました。

また、この人生は、
この後の人生に大きな影響を及ぼしているように思いました。
この後の道を踏み外した人生に進んでしまうきっかけの人生が、
奴隷だったとは思いませんでした。
ネガティブなものは本当に怖いことになることを知りました。

アドバイスをいただいて、この過去生の彼の生き方について、
私が提案を考えることになりました。
私は、過去生の彼に対して、小さなことにも喜びを見出し、
仲間が助けてくれることに感謝し、
日々のたわいないことに気を向けて、
1日1日積み重ねるというようなことを提案しました。

エレメンタルに向き合った時のアドバイスを大事にして、
自分で考える癖をつけていこうと思いました。
少しでも視野を広げるためには、努力するしかないと思いました。


【第4チャクラ】

●目標を自分で決めて生きることは、とても大切なこと

この回のヒーリングの前に、心に決めたことがありました。
自分の生きる目標をしっかり持つということです。
たとえ間違っていても、
自分で決めた大きな目標に向かって生きるということは、
自分の人生を人任せにしない姿勢であるというように思いました。

今までもそうして生きてきたように思うのだけれど、
なにが違うのか考えた時に、
もしかしたらたて方の方向が違うというか、
根本の考え方が違うものだったのではないかと思いました。

今までは、私欲(エゴイズム)に基づいた、
生きる目標たったように思います。
人並みになりたい、認められたい、
人として対等に扱われたい、などなど。
そのためにどう生きればいいかという目標だったように思います。

目標とはそういうものではなくて、
自分が成長するためにはどうあるべきか、
という視点が重要だったのだと思いました。

この項の最初に書いた、
「たとえ間違っていても」という言葉の意味は、
「(成長するという観点ならば)たとえ間違っていても…」
という書き方が正しいのでしょう。
いつか本当の生きる目標にたどり着くために、
今感じている生きる目標を
しっかり心に据えて生きていこうと思いました。
その気持ちを持ってヒーリングを受けました。

第4チャクラにあったものはさまざまなものの残骸で、
それぞれの品物に詰まった、作ってくださった人の気持ち、
丁寧に管理してくれた人の気持ち、
壊した人の気持ちが伝わってくるものでした。
そのひとつひとつは哀しく寂しく、切ないものでした。
何も分かろうとせずに邪険に扱っていた過去生の自分は、
一つ一つのものに込められていた
気持ちのひとつも気が付かず生きていました。

「壊した人の罪を無くしなさい。
元どおりに一つ一つ自分で直しなさい」
とアドバイスされたことで、
人の罪をなくしていくことも大事なことなんだと感じ、
原因を作ったのは自分であることを再認識しました。

この回は他者の様々な感情を追体験し、
ただただ悲しくて涙が止まらず、人を大切にしたい、
もう二度と悲しませたくない、と思いました。
そのために成長したいと思いました。

「羨ましいと思った時、自分にないものを人に見た時は、
そのまま認めてあげればいい。
素敵だなって思うこと。それが愛すること。
そのことを見られたことに感謝すること。
それが愛すること。じぶんにないものをみられたことを、
見せてもらえたことを、その人の美徳を、感謝すること。
それが愛すること」

愛について教えていただいた言葉です。

終わってみて、気持ちはとてもハードだったけれど、
愛する方法、悲しみの実感、
寂しさの本質が少しでも感じられたことが印象的でした。
私の過去の行いは消えることはないけれど、
向き合いたいと思いました。


【第5チャクラ】

前回の後、
「やらなくてはいけないと思っていたことが、
実はやりたいことだった」
ということに気がついた日がありました。
今まで、やらなくてはいけないと思って生活を律してきたけれど、
そのほとんどが実はやりたいことでした。
ちゃんと生活したかったし、さぼりたくなかったということは、
いろんなことを覚えたかったし、
できるようになりたかったんだと思います。

また、人としてどう生きたいかを考えた時に、
例えば一番身近な介助の方との関係について頭な浮かび、
介助を通しての関係性をビジネスライクに考えて
我が道を行く生き方よりも、いろんなことを考えながら
ベストを尽くす生き方をしたいと感じました。

今回のヒーリングは、私の中にある
「見栄」「誤解」「間違った解釈」に向き合う回になりました。
寂しさばかりで、
そこに愛のない赤ん坊のような心から起こした私の行動は
、多くのひとを傷つけ、悲しみを残しました。

とても悲しく、ただ悲しく、
もう二度とこんなことはしないと思いました。
ヒーリングの最中に見えたたくさんのガラスの破片は、
私が壊したひとの心だと教えていただきました。
「おもちゃのようにひとの心を欲しがったけれど、
心は得ることはできなかった」

この日は立ち直れないほどの悲しいきもちで終わりました。
この悲しみは、私のものではありませんでした。
多くの人が感じていたものでした。


【第6チャクラ】

毎回毎回がとても大事なひとときになりますが、
この回は特に私にとって大切な時間になりました。

●人の幸せを願うことをしてもいいということ

私は、人の幸せを願うということが、
何か特別なことをしなくてはいけないことなんだと
思い込んでいたようです。
私にはできそうもないことなんだと、
心の何処かで思っていました。
それは、自分と他者を差別していたということかもしれません。

ある過去生と向き合った時に、
私も人の幸せを願っていいということに気づきました。
今生で私と接してくれる人のなかには、
(障害を持つ人と)どう接していいかわからない、
何か特別なことが必要なのかもしれないという気持ちを
教えてくれる人たちがいます。

そのような経験の中で、実は私自身の中にある気持ちを
見せてもらっていたのかもしれないと思いました。
また、今生で障害を持つ私に足らなかったことは
「他者の幸せを願うこと、祈ること」だったんだと感じました。

感謝だけではダメなんだと思いました。
人の視点に立つということは、
その人の幸せになる視点に立つということなのかも知れません。

どうすればいいかメタトロンに聞くと、
心からしあわせを願えばそれでいいと教えてくれました。
なにも難しいことではなく、心から幸せを願えるならば、
その時にその人に対して
自分のできることがわかるように思いました。
自分がなにもできないとか、
なにをすればいいのだろうと焦る前に、
その人が幸せであるように願ってみようと思いました。

また、メタトロンのいるべき場所が
エレメンタルでいっぱいだったことにはじめて気づかされました。
ネガティブな自分のエレメンタルと向き合えるよう、
鍛えたいと思いました。


【第7 チャクラ】
第7チャクラのヒーリングを受ける前に気がついたことは、
「提供する方の人生を選ぶということ」です。

自分の人生は求めることばかりだったと気づきました。
人生で選べる道が二つにひとつならば、求める人生ではなく、
提供する方の人生をこれからは生きてみたいと思いました。
なぜならば、求め続けるときりがなく、
不安になり、得られないことに不満が募り、
エゴイズムが大きくなるだけだとわかったからです。

私はそういう人生を生きてきたのだと思いました。
これからはできれば、一つ一つに学びを見いだせるような
豊かな人生を生きたいと思いました。
そして、頭で考える、と言っていたことは
エレメンタルが考えていたんだということを、
なんとなく感じるようになりました。

サイキカル体とノエティカル体を使って、
感じたり考えたりすることが必要だということを実感しました。
好きな人たちを幸せにしたいという最初の思いに戻って
(自分のことしか人は幸せにできないということを胸に留めて)、
自分のやりたかったことをぶれないようにすること、
間違ってしまったことで
取り返しのつかないことがたくさんあるけれど、
二度とその道は行かないということを誓い、
幸せを願おうと思いました。

第7 チャクラのヒーリングを受けて感じたことは、
思い込みや恐れなど、
自分で作ったネガティブなものはとても手強く、
深く大きなものになってチャクラに宿っているということでした。
幾つ振り返っても新たなものがあり、
不安になればまたできていくような感じを受けました。

また、恐怖は本当に怖いものだと思いました。
いつも雲のない空を保つためには、
気持ちを強く持たないとと思いました。
自分の現実を知り、
一歩一歩確実に歩くことが大事なのだと思いました。


【トータルのチャクラヒーリングを受けて】

実はまだまだヒーリングは続いております。
私の中で自分と向き合うことに終わりはなく、
今回は納得のいくまで向き合ってみたいと思っております。
昨年中に自分の中で納得のいった、
上記以外のことを記させていただきます。


【障害についての理解が深まったこと】

私が持って生まれた障害は、
私に必要な経験を与えてくれるものであり、
私が人に与えてきたものを理解するためのものでした。
今までの人生の結果であり、
一つひとつの行いの重さに気づかないまま
過ごしてしまったツケであり、蒔いた種であるということです。
私が今回できないこと、
制限のあることひとつひとつには意味があり、
その状態を体験しなければならなかった理由があります。

障害のことにすべて向き合うには
まだまだ長い道だとは思いますが、
本気で受け入れて、生きてみようと思いました。


【エゴイズムと自分の区別がついたこと】

第4チャクラの2回目のヒーリングを受けた時に、
エゴイズムというものは怒るばかりで反省もしないし、
自らも振り返らないということを見ることができました。
ただ自分の気持ちを押し通すだけで、
人のことを考えることもしないエゴイズム。

これは自分とは違うものなんだと気づきました。

振り返らないのがエゴイズムならば、ああそうか、と思う心は
私自身なのかもしれないという仮説が生まれました。

明らかにエゴイズムと違う行動なのだと思いました。

自分の姿を見つけた時、
こちらの方を大切にしていこうと思いました。
エゴイズムと自分を切り離して、
日々自分を見つけようと思いました。


【自分の中にも愛を感じたこと】
第4チャクラの2回目のヒーリングの時に、
エレメンタルを綺麗にした後、湧き出るようなものを感じました。
言葉にならないものでした。
それが「愛」なんだと説明していただきました。
胸の奥に湧き出るものは熱くなく、
硬くもなく、暖かいとかそういう言い方では言い表せない、
表現しようとすると涙が出てきてしまうものでした。

私の中にもあったということが驚きでもありました。
今でも思い出すと涙がが出てきます。
日々思い出して記憶を留めておきたいものです。

「愛は愛である」この時に心に聞こえてきた言葉です。
「愛は許しではない。愛は愛である」
この言葉を聞きながら、脳裏に浮かんだことがあります。
愛は許しではない、愛は愛である。そのことを肝に命じました。
ことあることに、この時のイメージを思い出している自分がいます。


【傲慢でしかなかった】

私はいつの日も自分のことしか考えず、
傲慢でしかありませんでした。
そのことに気がつくこともありませんでした。

傲慢さに気づいた時、
私の選択のほとんどが間違えていたことを知りました。
自分の世界しかないということはとても怖いことだと思いました。

自分の殻の中に入らず、学ぼういう姿勢をいつも持つことは、
知らなかった世界を知ることになるのではないかと思います。

毎日を大切にして、一つでも多く知り、
謙虚さとは何かをいつも胸にといながら、
人として生きることを身につけていこうと思いました。


【自分なりに物事を考えるということ】

私は今まで、いただくアドバイスや意見に対して、
そのまま受け取って、直さなくてはと思うばかり、
その方向でひたすら考えるばかりでした。
今回のヒーリングの中での対話などの体験を通して、
アドバイスなどいただいた言葉は、
もう一度自分で検証し内省して、自分なりの結論という、
見解を出していくことが必要なのではないかと思えました。


【人の気持ちを感じることができるという実感】

今回のヒーリングを受けるまで、
自分には人の心を感じられるような心はないと思っていました。
いくら努力をしてもできなかったことでした。
今回のことで、感じることは努力してできることではなく、
感じたい、理解したい、その人の心をわかりたい、
とまず思うことと、
自分の中のエゴイズムを捨てていこくとを
日々やっていくことが大事なことなんだと思いました。
人を大切に思う姿勢を持ち、
経験を積んでいけばできるようになるのだと思いました。


【エゴイズムの奴隷に二度とならないということ。
そのためにどう生きるか】

私は、長い間、エゴイズムの中で生きてきました。
スクールで様々な知識を学んでいる時でも、
そこからなにも気づけずに日々を重ねていました。

習ったことを復習しても、実践していても、
そこに自分の生きる目的を持ち、自分が成長する観点から、
美徳の観点から
「どういう自分になりたいか」という思いがなければ、
成長は決してしないということを知りました。
エゴイズムの観点から生きる目標を持っても、
エゴイズムを育ててしまうだけで自分自身は成長せず、
エゴイズムの強さの中で溺れてしまうのだと思いました。

20回あまりの過去生の中で同じ道を歩んでしまった私は、
やはり性格に欠点があったように思います。
まず傲慢なこと。
自分が正しいという観点から離れられませんでした。
差別意識が強いこと。
自分は人と違うとどこかでいつも思いたいという欲望がありました。

これらのエゴイズムは、感情が強すぎること、
理性を働かせる経験が少ないこと、
思い込みに対して執着が激しいこと、
そのような傾向が引き寄せたものではないかと思います。

そして、
他者に対しての愛を育むことを忘れてしまったということが、
転落の大きな原因でした。

自分の弱さ、臆病さがそこにあり、
その性格と向き合えないために、他の理由をいつも探して、
ひねくれた嘘の正しさ、嘘の正義感の中にいました。

なにかと自分は孤独だと思いがちなのも
その傾向があるからだと思います。
弱さのために、人との関係を作ることを
怠けてきたということに行き着きます。

感じている恐怖や不安の根本に向き合わず、
ただ逃げるだけだったということです。
そして自分が一番楽な理屈に逃げてしまったのです。

その結果、エゴイズムに囚われてしまいました。
本来絶対に手放してはいけない、愛も見失いました。

辛くてもその場にいて、
物事を見る目を謙虚な気持ちで養っていけば、
自分がその場しのぎの楽な方に逃げなければ、
もっと早く道は拓けたかも知れません。
多くの人を悲しませることにはならなかったかも知れません。

自分の弱さを変えていくには、忍耐を身につけること、
どんなことからも学んでいこうとする謙虚さを育てることだと、
今は思っています。
日常の様々なことから教えていただけることに感謝して、
傲慢の自分を手放し、
胸の中に感じた愛情を増やせるような人間を目指そうと思います。

人は望めば限りなく成長できるという言葉を信じて、
わかったと安心しない生き方を身に付けたいと思っています。
心から納得のいく人生を探し続けたいと思います。


この機会に、本当に、感謝しています。
ありがとうございました。