2018/01/23

エクソシストもどき

エクソシストとは、1973年公開の
ウィリアム・フリードキン監督のアメリカ映画…
のことではなく…

通常、エクソシスト(悪魔祓い)とは、
カソリック教会において
認定を受けた司祭だけが執り行えるもの。
なので、
認定者が行わないものは
エクソシストとは呼んではいけない。
(別にカソリックの登録商標とか特許名ではないけども)。

けど、前述のヒット映画のお陰で、
他人に類似の行為を説明するとき、
悪魔祓い(悪霊の追い出し)=エクソシスト
という世間の周知(認識)があるので、
「エクソシストみたいなこと」
と言うとわかりやすいっちゃあ、わかりやすい。

幸い、私のところには
緑色の液体をデロデロと口から吐き出し、
それをこっちに吐きかけたり、
罵詈雑言を浴びせ放題だったり、
空中浮遊をして首がぐるぐる回ったり、
ポルターガイストで室内のものを破壊するような、
そんなのは今のところないけれど。

でも、それに近いことがなかったわけではなく、

氣を整えて、霊体をいじくることで、
体内の邪氣(霊的汚染も含む)が出ていくとき、
あくびやげっぷがでることはよくあることで、
さらには唾液がドバッー!とか、胃液とかまあ、
胃の内容物逆流ってパターンも時おりあるわけです。
それは想定内。でも緑色の液体はないなーってとこ。

して、
質の悪い憑依霊やら、
過去生の人格に乗っ取られた人とか、
そういう案件に当たったことはあります。

とはいうものの、
私は神通力みたいなものは
粉微塵も有していない人間ですから、

「きぇ~! 喝!!」

みたいに気合を入れ、
調伏し追い出すなんて技は持ち合わせていない。

そうすると問答になります。
(サニワみたいな感じですね)

言葉で相手を威嚇して、屁理屈で叩き潰す…
相手を非難して批判して追い詰めて遣り込める。
それだけです。
生来の意地の悪さと普段からの口の悪さが、
こういう時に役に立つのがなんだかなって感じですが。

とにかく毅然として動じない姿勢でってのが大事。

それでもどうにもできないときは、
もう「お任せ」しちゃいます。
透明なヘルパーさんたちに。
(職務放棄というか上司に押しつけというか)

そうですね…
少し前まで肉体を持ち合わせていた霊よりも、
その人自身のエレメンタル…過去生のパーソナリティで
質の悪い、問題を起こすような輩のほうが手強いし、
なかなか厄介だったりします。

何故なら、今生の人格や霊は成長するけれど、
過去生のパーソナリティは成長しないからです。
感情も知性も人格も当時のままだから、
話が通じない人はもうどうしようもない。
これはエレメンタル(データ)として、
処理してしまえればそのほうがいいんですが、
対処に困るというかどうにもできなくなるのは、
そのエレメンタル(のエゴイズム)に今の人格が同調して、
そのエレメンタルを取り込んでしまい、
影響を受けて完全に支配されてしまうこと(=同化)。

これは憑依とは異なるものです。
こうなるともう人格から分離させるのは難しい。

性格の問題になってしまいますから。
その人の霊的な成長を待たないといけなくなってしまう。

だからこそ、過去生の記憶を取り扱うのはとても危険で、
慎重にならないといけないというのがあります。
思い出させるだけなら、意味がないといいますかね。
色んな人格だった歴史があるので、
その中でもとても良くない性質だったとき
(例えば犯罪者とか)の記憶を目覚めさせてなんかしまうと、
これはえらいこっちゃです。
今の人格がその過去以上に霊的成長を遂げて、
当時のエゴイズムに左右されない人であればいいのだけど、
あまり変わってないとパンドラの箱を開けることになる。

だから私はもう
「過去生体験ワークショップ」はやらないのです。
いたずらに過去を思い出させても、というのがあり。
あるレベルに至っている人はいいけれど、
そうでない人には罪作りなだけなので。

自分の過去を受け止める段階にはない人がいる、
というのもありますが…。


さて、そんな風に過去生の人格に乗っ取られたり、
霊(人間だったり動物だったり)に憑依されて、
暴言を吐いて罵るなど罵詈雑言を浴びせてきたり、
挑発的で攻撃的な態度をとってきたり、
そんなクライアントさんに何度か遭遇したことはありまして。

大体そういう場合って取り憑いてるのが、
追い出されたら嫌だって威嚇してくるパターンかな。
予約の段階で悶着あったり、当人が来訪を躊躇したり、
意を決して来ようとしても来る途中に道に迷ったり、
ぐるぐると回って、なかなか辿り着けなかったりします。
大都会で駅から近く、とても分かりやすいとこなのに。

当日具合が悪くなったり、電車が遅れたりとかもありますし。
家族の妨害とかあれやこれや。

まあ、邪魔が入るわけです。
スクール、Gレッスンでもそうでしたよ。
学ぶことに対して邪魔が入る。
エゴイズムや霊の茶々が入るというか、邪魔や妨害、
誘惑があれやこれや入るものです。
それはもうしょうがない。そういうものだから。
学びの道はお試しでもあるし。


そんなんで、その人の背後にいるものに対して、
性悪な過去生の顔が出てきたときとか、
悪態をつくようにきついことを言ったりするわけです。

こうしたやり取りは疲れますよ、正直。
当日ならいいけど、その後の攻撃はもっと疲れるし。

問い合わせを頂いた段階で、
もしかしてそうかなーって思ったりもしますけど、
やはり直接会ってからでないと判断するのは早計ですしね。

そして、霊にしても過去生の人格に乗っ取りにしても、
当人の意識がまだあって、自分が時おり
とても汚い言葉を使って、他者を攻撃していること…
例えば私に罵詈雑言を浴びせている状態を自覚していて、
そんな自分を何とかしたいと切実に思ってくれていれば、
まだ助けようがあるというか、サポートできるんです。

でも今の人格もそっちより…というのかな。
自分が時おりとても他者に対して失礼になることに対して、
まったく問題意識を持ってなくて、
しらふになったときに謝罪をする態度もなかったりすると、
そういう人はお断りするしかなかったりします。
こちらでサポートできることは出来ないし、
正直助けようがないんですね。

はい。そういう人いました。

うちでもそういう態度だったからお断りして、
その後いろいろ他の先生当たってもやはりダメで、
「お願いします」と仰ってきてくださったけれど、
文章や言葉でこそ「お願いします」なんだけど、
「お願いします」という態度ではないし、
豹変したときも普段も差がないというか、
今生の性格の問題点でさえ自覚して向き合おうという
そういう認識や気構えがない人には、
私ごときの力量では本当にお役に立てないんですよね。

当人が問題意識をもって取り組もう、
解決したいという気持ちを持っていないことには、
他人は手出しは出来ません。
助けることは何人たりとも出来ないんです。
現状から脱出したいという
本人の意志がそこにない限りには。

だからそう。
霊やエレメンタル(過去生のパーソナリティや生霊たち)に
人生を左右されるにしてもしないにしても、
その人の今の人格ありきというのは偽りでないんです。


てなわけでエクソシストは出来ないけれど、
エクソシストもどきなことは、
なんだかんだで
ほんのちょっとだけ時おりしていたりするのです。

2018/01/18

運は性格にあり

・・・というセリフを
著書にサインして下さったのは、
今は亡き銀座ジプシー先生。

(先生の著書にちょこっと紹介して頂いたので。
その御本も度重なる引越のどさくさで、
どこかに行ってしまったっっ涙)


確かにそう。

人の「運命」
すなわち人生というものを創るのは、
神や他者ではなく、その人自身(パーソナリティ)。

「なぜ、どうして自分がこんな目に?
 何も悪いことなんかしていないのに・・・」

よく人はそう言う。

品行方正で、多くの人に好かれ、
何の罪を犯したこともない善人であったとしても、
それはあくまで、今の人生(今世)だけを切り取って、
人生を考察したときの話であって、
今生に至るまでの幾多の人生、
これまでの足跡を除外した上での話。

その人がそこに至るまでの理由はちゃんとある。

すべては選択したことの結果であり、
蒔いた種は刈り取らなければならないのだから。


その人の人生を創っているのは、その人自身。
何を考え、日々何を思い、感じ、生きているのか。
どんな言葉を創りだし、言葉の力をどのように使ったのか、
どのような行動をしたのか、
何に価値を見出し、誰と関わることを選ぶのか、
日々起こる事象に対して、どのように反応し、対処するのか。

すべてはそのことの結果。

そして人は「過去の記憶」に囚われる。
人は・・・何かを選択するとき、
過去の経験をもとに印象を持ち、反応してしまうので。
ネガティブな刷り込みがあることで、
目の前のチャンスに躊躇したり、抵抗したり、
こだわりを持ちすぎたり、執着したり・・・などなど。

顔や表情、容姿などの姿かたち、
服装や話し方なども、他人に対して、
好ましい、好ましくないなどの印象を与えるものだし、
信用を得られるか得られないか、
周囲からの評価を第一印象である程度決めてしまう。

(顔はある意味で名刺であり、その人を証明するもの。
 だからこそ人相占いなどがあったりする。
 して、ファッションもまた自己表現のひとつである)

その顔だって、20歳までは親に与えられたカタチではあるが、
その後はその人が形作っていくものである。
どんな喜怒哀楽のある人生を送ってきたのか、
何を食べ、どんな行動を取ってきたのか、
どんな言葉をいい、どんな表情をしてきたのか、
中身が、人となりは顔に出るものなので。

確かに親や出生時の環境は選べないけれども、
成人してから、その環境から脱することは出来るし、
本来、親元から独立して自立するのは当たり前のこと。
幼少期の環境や親との関係性に問題があった場合は、
そこから受けた影響や呪縛から、
抜け出す努力をして、昇華していくほかない。
ここでは「大人」になる作業をするべきなので。

自分性格的な欠点や問題を、
他人や環境のせいにするのは大間違いなのだから。

何故なら、命は確かに「与えられた」ものだけれど、
性格というのは、誰かに与えられたものではなく、
自分でそのように「創ってきた」ものだからだ。

同じ状況下で同じ経験をしても、
一人ひとり受け止め方は異なる。

辛い経験をして、そこから何かを得て、
それを人生にきちんと還元する人もいれば、
いつまでも引きずって、いじけて恨みつらみを抱き、
自分は不幸だったと言い続ける、非生産的な人もいる。

自分よりあらゆる面で恵まれたとある人を、
「うらやましい、ステキだ」と、
素直にその人の良いところを評価して、
そのような人になりたいと、
憧れの気持ちを自分への研鑽と努力に返る人もいるし、

同じ人に対する感情にしても、

ただいたずらに、自分はあの人と違うからとひがみ、
相手の荒さがしをして何かと叩いたりイジワルをして、
嫉妬や怒りを量産して、醜い人になっていく人もいる。

どちらを選ぶかはその人の感情の反応次第。
こころのあり方次第。

そして、その性格によって、
人に嫌われたり、好かれたり、
異性や同性に魅力的と思われたり・・・するわけで。

あとは種々様々な法則がここに絡んでくる。

そこに愛はあるのか?という内なる神からの問い。
類は友を呼ぶや、恐怖の感情があることからの引き寄せ。
そうした、「引き寄せの法則」や「カルマの法則」などなど。

でもまあ、人生は"性格"ありき。

確かに、
「引き寄せ」の法則を創りだしている、
ネガティブなエレメンタルをお掃除・退治して、
善なるエレメンタルを創造したり、書換えをしたり、
パーソナリティの問題を矯正していけば、
その人の人生の「障害」となっている、
大部分の問題は解決するだろう。

けれど、一見解決したようで、実は解決していない。
確かに、「エレメンタル」が存在することによって・・・
波動の法則にて引き寄せられ、具象化する出来事は減るが、
実のところ、根本的な解決にはなっていなかったりする。

何故なら、私たちはいつか
輪廻転生から「卒業」しなければならないので。

卒業・・・解脱ともアセンションとも言うが、
この現実社会において、
物質的な肉体を所有して生きなくてもよい状態になるまで、
おのが形骸を「育成」することが出来るまで、
(神体とも呼ぶ第四の身体)
三つの身体を用い、研鑽して、
一定のレベルへと引き上げないといけない。

エゴイズムから脱却してワンネスに近づくのは勿論のこと、
自分や他者が創造したエレメンタルに支配されることなく、
三つの身体を使いこなし、
その先の次元でも自由に生きていけるようになるまで。

そのためには、
この人生・・・三次元での学校こそがとても大事で、
決して疎かにすることは出来ない世界で・・・
この制限ある、不自由で思い通りにはならない現実、
そこで起きることに対処していくことが、何よりもその早道。

☆ ☆ ☆


さてさて...話戻って
セッションの場ではこうした性格の差…
心の歪みのある人かない人かというものが、
その後の結果を大きく左右することになる。

チャクラのお掃除をするとき、
他者に対して思いやりや優しさを示すことの出来る、
エゴイズムが少ない人というのは(いわゆる性格の良い)、
チャクラがわりと整理整頓されているもので、
問題を起こす不快なエレメンタルが少なく、
書き換えもスムーズに行きやすい。

そして前向きで向上心のある、明確な意志を持った、
自分というものをしっかり所有している人、
心が素直な人というのは本当に早く結果が出る。

反対に、メンタルの問題を抱えていて、
たくさんのエゴイズムに支配されている人というのは、
チャクラもオーラも汚部屋状態を通り越して、
無法地帯なスラムかはてまた太古のジャングルかという状態で、
どうにも大変なことになっているので、
一回や二回のお掃除ではどうにもならず、
現実に変化が起きるまで気長に途方もない時間がかかってしまう。


端的にいうと、
心のキレイな人ほど結果が早く出やすく、
その人の望むような人生の変化を招きやすい。
いわゆる物事が「引き寄せ」られるのが早いのです。
純粋で素直な人ほど。

でもそうでない人は大変。


ただ、よこしまな力(存在)に頼って、
願いを叶える方法もあるから、
性格が悪くて心が歪んでいたとしても、
物質的なものを引き寄せることの出来る人もいる。
波動が低くて悪しき存在ほど、お金に強いし。
もちろん、いつかしっぺ返しは食らうことになるけど。
(邪悪な力に頼ると7倍返しでカルマの負債を背負わされる)


ヒーリングや過去生セラピーを初めて、
たくさんのクライアントさんをみさせて頂いて、
改めて思うことだけれども。

その人の願いが叶うか否か、
望む現実が手に入れられるか否か、
問題が解決していくかいかないかって…

そのクライアントさんを悩ませ運命や道を阻む障害が、
先祖からの因縁や祟り(霊障)や
過去生からのPTSDやトラウマやカルマのレッスンや
霊的憑依や他者からのアサルトアタック(呪詛や生霊)
とかで、なおかつそれらが二重三重に絡み合った、
どれだけ大変な事象であったとしても、

やっぱり最終的には、
そのクライアントさん自身の性格がカギを握ってるんですわ。

人徳というのかしら。
神仏や先祖など見えない世界からの
助けや導きを得られるかどうかにしても、
アドバイスやメッセージに耳を傾ける素直さとか、
自分のことだけでなく他者のことも考える視点があるとか。

一言でいうなら、性格次第。
性格が運を左右しているってホント。

性格の善い人は、
もつれ合い絡み合った運命も業もほどけるのが早い。
本人に問題のない因縁や邪念を背負わされたとしても、
それに対する心持ちが違うから(逆恨みしない)、
たくさんの人の味方や支援を得られるし、
影響も受けにくかったりする。

心の素直さ、キレイさが
「運」を作っているといっても過言ではないのです。

だからね、「運が悪い」と嘆いている人は、
まず自分の「心」を見つめ直してください。
己が性格について客観的に分析して、
欠点や考え方の歪み、性格の問題を知ろうとして下さい。
心の汚れが、自分の運命の歯車を狂わせ、
良くないものをたくさん人生に作りだしているという
そんな自覚をもってください。

「運」や他人のせいにする前に。
誰かを羨んで、妬んだり、怒ったり、憎んだり、
あきらめたりする前に…

自分をもう一度育てなおす努力をしようと試みてください。
そうすれば
人生を変えるための第一歩を踏み出すことができるはず。

2017/12/23

S・C・F番外編「嫉妬は時空を超えて」

また間が空いてしまいました。
そして久しぶりのスピリチュアルカルテ番外編。
友人の話です。
本編は、許可をもらっているのでそのうち書きます。
まずはその周辺の話から。

友人がとある場所から戻ってきた直後、
「なんかヘン。ふらふらする。
 みんな(仕事仲間)にも様子がおかしいって言われる。
 おまけに胸にぽっかり穴があいたみたい」

ちなみに音楽家である友人は、
仕事で地方に行くことが日常茶飯事だったりします。
チャットで会話している限りでは、
離魂病を起こしているのかなあ?とも思ったので、
とりあえず足裏マッサージとか受けておいて~
…とアドバイス。
ごく初期の、軽度のものだと、
それだけで改善することも多いので。

シャーマン体質の感じやすい彼女のこと。
まして彼女にとって曰く付きの場所に行くことになるので、
(そのあたりは本編にて)
なんかしら大なり小なりのトラブル予測はついていましたが。
でも、これまで自力で何とか乗り越えてきた人だったので、
私が手助けするほどではないかなあ、とも。

実際、彼女は胸にできた穴の原因ではないかと思われる
過去の出来事に対して、セルフヒプノを試みたそう。
そして二つの過去生にアプローチして書き換えをし、
それで解決と思いきや…

「おかしい…なんかスッキリしない」

で、結局お客さんとして来ることに。

彼女が仕事帰りだったので、
まずは「夕飯を食べよう」とうどん屋に。
顔を見た瞬間、「ありゃ」と思いましたけども。

海老アレルギーのある彼女。
かき揚げに海老が入ってないことを、
店員さんに何度も確認し、注文するも、
食べ始めるとなんと、桜エビが入ってるっっ
それに気づいたものの、取り除いて食べようとする。
フリーズする私。「エピペン持ってるの?」と聞くも、
「持ってない」

「ぎゃー!(心の叫び)」

自殺行為や。

とりあえず、少し粘膜が腫れる程度で済みました。


落ち着いてから、さてセッション。
問題の本質である過去生はセルフヒプノしたから、
とりあえず今回必要ないとは言うけれど、
どうしても気になることがあったので、
色々とチェックしていくと、
前回セルフヒプノした二個の人生のパーソナリティが、
書き替えられた人生(彼女が創った新しい物語)に
どうにも納得していない様子。

本編に書くのでここでは省略しますが、
ようするに、
その物語って今生の彼女の視点で作られたもの。
過去生の彼女の視点ではないわけです。
あくまで私の友人が
「こうだったらいいな」と思う過去なわけで、
過去の彼女が納得する自分の人生ではないわけです。

過去生と言えども、今生の彼女とは別人格。
同一人物であっても同一人格ではないので、
同意見、同じ性格というわけにはいきません。
まして現代に生きる私たちとは置かれた環境や時代、
そして価値観や倫理観が違います。

過去生を昇華させようとするとき…
すなわち過去生ヒーリング(解放)をするときには、
このことに留意しないといけません。

ぶっちゃけ、
霊を上げる(成仏や浄化)させるときと同じで、
その人を納得させ、説得する視点でないと失敗します。

今生のその人が納得する過去のストーリーではなく、
過去のその人が納得するその人のためのストーリー。
それを一緒に紡いで、導いてあげないと、なのです。

とりあえず、友人が創ったものではない、
新しい、過去生の彼女も、現代に生きる友人も納得する物語を、
もう一度創り直して、とりあえず一段落。

でも、その後がメインだったり。


☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

さて、
過去生ヒーリングやヒプノセラピーをするときには、
いきなり本題に入るのは危険です。

過去生をいじるということはエレメンタルをいじるということで、
なおかつ書き換えをするときには、
大量にエーテルバイタリティー(氣)を消費することになるので。
事前と事後でマグネティックヒーリングをしないといけません。
でないと、
クライアントを心神喪失や精神的危機に招くことになります。

このあたりを分かっていず、
過去生セラピーの後、クライアントにダメージを与えている
セラピストが多いのは実に残念なことです。

ベッドに横になってもらって、
友人に氣を流しながらマントラを唱えると、
彼女の中に一時的に寄生した「ソレ」が出てきました。

このあたりの話もかなりはしょりますが、
「ソレ」というのは霊ではなくて、エレメンタル。
さっき書き換えをした彼女の過去生のとき、
三角関係で彼女の彼に横恋慕していた人物の、
数百年の時を超えても未だ残る嫉妬と憎悪の気持ちでした。

当時男性だったその人は女性に生まれ変わってて、
その人が作ったものを食べちゃったんだそう、友人。
(当然ながら覚えてないです、その方。
今生の恋敵さんはまったくそんな意識なく、
彼女の過去生のパーソナリティである男性が
今生の友人に仕掛けた攻撃(サイキカルアタック)です。
うーん…複雑。想定外のBL。勉強不足かも)

「ソレ」が友人に、
アレルギー物質を食べさせるよう仕向けた模様。
まあ大事には至りませんでしたが。

とりあえず、「ソレ」を出して、始末つけました。
そして物理的にもいっぱい彼女には出してもらいました。
エクソシストみたいな緑色の液体ではないです。
トイレでゲーゲー それで済みます。
何しろアレルギー物質吐いたほうがいいし。
吐くのも体力消耗するし、しんどいですけどね。

教訓「嫉妬は男も女も怖い」

てな感じでしょうか。

まあ、昔から魔術や呪術の世界では、
食べ物に何か仕込むのは(毒じゃなくて)、
よくあるお約束でありますから。
それに作り手の「氣」が入るのは確かだし。

なので自分を(が)嫌いな人からの食べ物やギフトは
絶対に受け取らず、まして相手が創ったものは
食べてはいけないってハナシ。
何入れられてるかわからないから。


この日はそんなこんなで憑依したものを引っ張り出して、
とにかく氣の補充、補充、補充。

そしてその後、
別の日に第一チャクラの掃除が必要だなって、
始めたら濁流のようにドバドバと色んなもの出て、
ビックリした。

で、エーテルダブルにたまっているゴミを何とかするのに、
幽体離脱させられてた友人…
(ヒーリングにはそのほうが都合がいい。
20cmくらい浮かされてたそう、リアル実況してくれた)。
耳元で宇宙人のような奇妙な話声がすると。
それは怪音波のような幾何学的な変なものだと…

「バッハの、宗教音楽で、パイプオルガンの
パラピレパラポリラ~♪ みたいな
あっちこっち音階が飛んでいるような曲じゃね?」
と言ったら、そんな感じかも、と。

はい、それは一部の人がエノク語と呼ぶものです。
なんてラッキーなんでしょう。
それは大天使たちの話声です。
滅多には人間の耳で聴きとることは出来ませんのよ。
滅多つーかほとんど、だけど。

ヒーリングには大天使たちの関与が必須ですからね。
(彼らが手伝ってくれないと肉体の修復はできないし、
それが彼らの役割でメインワークだから。
そう、命を創ることが大天使たちの仕事。
人間の願いを叶えることなんか彼らの眼中にはない。
多くの天使は理想化されたファンタジー。
人々の幻想が創り出した妄想の産物でホンモノじゃない)

大天使たちの言葉は人間の言語とは違う、
ぶっちゃけ「音」ですから。
向こうにこちらの意志は伝わっても、
彼らの言葉を人間が解することはほぼ不可能です。

※バッハの宗教音楽の音階は天使の言語に極めて近い。
とくに歌なしパイプオルガンのソロ?
天使と会話するための音楽って感じで。
彼ら(天使)を鼓舞し、呼び寄せ、コミュニケートし、
喜ばせるためにああいう曲調なんだと思う。
私は音楽としては聴くことができないんだけどね。
まぁ、バッハは天使の存在を認識できる人だったからさ。

それを聞くことができた友人は超ミラクルラッキー。

聞きたいと思っても聞けるものではないんで。
もしくは聞いても、それと気づく人もいないんで。


とりあえず友人の状態は無事回復。
年末の多忙な仕事もなんとかこなせている…のかな?

☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

こちらのブログで「私は霊能者じゃないしー」と
繰り返し何度も言っている私ですが。

なんだかんだ言いつつ。
その手のことをしているのが実情ではあります。

そうですね、必要に駆られて、といいますか、
なんといいましょうか。

でもあくまで、
私のところに回ってくるのは、
たぶん私に対処できるレベルなんだと思うのです。

そちらが専門とは思いません。
私自身が処理しているのだとも思いません。

たまたまご縁が合って、
うちにいらっしゃるお客さんの問題の背景に、
霊的な存在が関与しているとか何とかって時にだけ、
たまたま何とかできてるってことだと思ってます。

だから積極的にそれを売りにしようとは思いません。
確かに対処はしているけど、できるとはいいません。

今までのもまぐれだと思っているし、
すべては、私を助けてくれている
透明なヘルパーさんたちのなせる業なのです。

だから私の能力じゃあありません。
なので、そっちでお商売をするつもりはないのです。

2017/11/28

原始女性は太陽であった~女性蔑視と慰安婦問題

私はフェミニストというわけではありませんが、
世界的に見て、女性の地位はまだまだ低いなと思います。

それでもまだ日本は男女同権と法的には扱われていて、
優遇されたり守られたりしているところもあるから、
第三国に比べるとかなりマシなほうなのでしょう。
カースト制度の根強いインドや東南アジア、
アフリカやイスラム教の国々などの現状を鑑みると、
事実そうなのだと思います。

でも、ネットの女叩きとか、
一向に減らない痴漢やわいせつな犯罪行為、
政治家やお偉い方たちの女性蔑視発言、
嫁を奴隷と思う人々が相も変わらず存在すること。

もっとも安全で文化的な先進国と言われるけれど、
実態は100年前とあまり変わってないようにも思います。
いやそれでも「良くなった」ところのほうが多いのですが。
中身が伴ってない、というところで。

男性も「社会に出れば7人の敵がいる」との諺通り、
イジメにも差別に合うというところでは一緒です。
痴女もいて、男性が性被害にあうことも少なくありません。
「男はかくあるべき」という社会全体からの
ジェンダーに対する無言のプレッシャーもあるわけで。

男性は社会に出て働き妻子を養うべきで、
女性は家庭で家事をして男を支えるべき。
結婚したら式を挙げるべき。子供を持つべき。
結婚は家同士でするもので、子供は親の老後を見るべき。
長男が家を継ぐべき。両親は揃っているべき。
女の幸せは結婚して子供を産むこと。

(なんでもかんでも、べきべきべき…だなぁ)

そういう暗黙のルールも今や崩れつつあるわけですが、
それでもそれを守らないで外れたコースを行くと、
色々干渉されて、とやかく言われることは昔も今も一緒。

思うに、男も女もないわけで、
それは性差であって、区別であるべきこと。
男には男にしかできないことがあり、
女には女にしかできないことがある。
もちろんそのどちらでもありどちらでもない第三の性もある。

それぞれの役割分担を理解して、
各々の特性を生かして助け合っていくのが、
社会のコミュニティの理想的なスタイルかと思うのですが。

しかし人間というのは、
相手を劣勢に置くことで自らの立場を優位にし、
我が身の保身を図りたいエゴイズムを持った生き物なので、
人種や肌の色や国や民族や信仰する宗教を盾にして、
自分が属する側からのマイノリティを必ず創り出し、
偽りの矜持で選民意識と排他的感情を剥き出しに、
徹底的に相手を貶めなくては気が済まないらしいのです。

それが時に男女の性差になるわけで。

第三の性のことはおいておいて…
世には男と女の二種の性があって、
それが自らの父と母の性であるのに、
女の腹によって十月十日育まれ、産み出され、
その乳を飲んで、かいなに抱かれ、
下の世話をしてもらって、育ったというのに、

何故男という性はこれほどまでに女という性を蔑むのか。

それほどまでに自分を産んだ母が憎いのか。
自分をこの世に産んだ性に唾を吐き、足蹴にするのか。

浮気をし放題で下半身に理性のない男性が、
好色一代男だの男の誉だの男の甲斐性だのと言われ、
羨ましがられることはあっても、
同じく性に解放な女性は叩かれるばかり。
不倫のペナルティは女性が圧倒的で、
アバズレだのビッチだの公衆便所だの、
女性を貶める言葉にはキリがない。
性犯罪にあった女性はキズモノだの言われるし、
そもそもそのような暴力的な性の対象として、
どうして消耗品のように扱われなくてはいけないのか。

男でも女でも、
くだらない屑、クソみたいな人間はたくさんいる。
そのどちらにも悪い人間、善い人間がいる。
男だから特別悪いとも女だから特別良いのでもない。
それは国籍でも民族でも人種でも同じ。

日本人でも韓国人でも中国人でも、善い人はたくさんいる。
アメリカ人でもドイツ人でもイタリア人でも、
どこの国だって悪い人間はいる。
環境に影響されて悪くなる人もいる。
平和な世で善人の羊の中にいるから、
狼の仮面や牙を隠せているだけの人もいる。


☆ ☆ ☆ ☆ ☆


日本と中国と韓国が仲良くなったりすると、
都合の悪い人たちがいたりする。
アジアが一つにまとまるより、
いがみ合ってくれてたほうがいい…と。

私たちは相変わらず罠にかすめ取られたままだ。

正直、慰安婦問題は仕組まれたものであろうが。

古今東西、女性が戦争の影において、
犠牲になってきた事実は否定できない。
男性ももちろん戦争の主たる犠牲者であるのだが。
侵略侵攻され、征服された土地において、
多くの老人や子供たちが殺され、略奪がおき、
妊婦は腹を割かれ、女性は性の餌食となってきた。

もし、慰安婦問題を本気で語るならば、
戦争の勝敗における女性や社会的弱者に対する
非人道的な扱い全体について、
もっと深く語られるべきではないだろうか。
一つの国家や民族が、一つの国家にしたことだけでなくて。

当人の意志とは関係なく女性を強制的に連行し、
性の奉仕者として屈辱的な行為に甘んじさせた
過去すべての戦争においての女性差別について…
その非道の犠牲となった世界中の女性の慰霊として、
そうした像は創られるべきであろう。

その犠牲者の中にはもちろん日本人も韓国人もいるし、
中国や台湾や東南アジアや西洋諸国、アフリカ大陸の、
あらゆる女性たちが含まれていないといけないと思う。

女性たちを贄にした加害者たる男性たちも、
それこそ日本や韓国、アメリカやドイツや
すべての国が含まれるのだと思う。

今も遠い空のどこかで、犠牲になっている女性も含めて。

一つの国が一つの国に対して行ったことだけを、
部分的に取りあげて単純に糾弾し、
いつまでも怨嗟のターゲットとして
遺恨を次世代へと受け継がせる道具にするのではなく、
女性を強制的に性的な奴隷として扱う行為そのもの、
そのことこそが問題であり、
差別と紛争と分離と対立の歴史の源の根底で、
このような女性蔑視は排除されるべき考えであると、
人が人としてあるまじき非人道であると…

そのように騒がれるのなら、わからずもがな。


なんかこの問題、肝心なことのすり替えというか、
本当に考えべき焦点からズレまくっている気がする。

例えば日本が「反核」を唱え、
被爆者たちが核の恐ろしさ、自らの体験を語ることを、
「被害者ぶって、加害者に補償と謝罪を要求している」
と謝って解釈され、捉えられてしまうのと同じくらいに。

ヒロシマやナガサキの犠牲者たち、被爆者たちは、
「よくも…」という恨み言を言いたいがために、
あの日の辛い記憶や思い出したくない苦しい体験を
後世に語っているわけではないというのに。

ただ、自分たちと同じような苦しみを味わう人々を、
二度と存在させてはいけない、
同じ痛みを誰かにして欲しくない、
過ちを繰り返して欲しくない、
原爆の後遺症というのがどれほどのものなのか、
土地や生き物が死滅し、一瞬にして廃墟になる兵器が
この世にあってはならぬと、
ほとんどの人がそれだけを訴えられているのに。
世界では曲解して伝えられ、理解されていないように。

日本がどうの韓国がどうの、ではなく、
戦争や他国による支配や侵略によって、
本来ならば起こらなくていいはずの悲劇が起きてしまう。
そしてそういった非常事態において、
女性を性の道具、奴隷として玩具のように扱う、
そういう決まりごとのような習慣、
発想がこの世にあることがおかしいのだと…

そういったことにもっと
目が向けられるようになるといいなと思ったりする。

もちろん戦争の悲劇はそれだけじゃない。
戦争はすべてを壊してしまう。
平和だけでなく、人々の暮らしもモラルも品格も尊厳も。
そして戦争は人間が人間であること自体を壊す。
人の子であり親であり友であることも引き裂いて。

てなわけでこの問題に関しては
日本と韓国は未だに戦争をしているのかも知れない。
肝心の被害者になってしまった、
女性たちの本当の人権は置き去りになったまま。
誰も本当の問題を語らないまま。

どこの国の女性たちも犠牲になっている。
どこの国の男性たちも犠牲になっている。

こんなんで今後も女たちが犠牲になることが、
終わりになる日が来るのだろうか。

女性を性の道具とみなし、
戦争になったときに公衆便所として扱う
男性たちがいなくなる日は来るんだろうか

そんな風に女性を扱った男が、
愛する女や娘が、母が
他の男たちからそんな目にあったとき、
どんな風に考えるのか、考えたのか…
どう思ったのか聞いてみたい気がする。

戦火の中だけでないけど、
児童に対する虐待も含めて、
性的な事件が起こるたびに思う。

性的暴行の加害者たち、
あなた方はあなた自身を、
あなたの母を、姉を、妹を、
妻を、娘を犯しているのだ…と。
そして冒涜し貶めているのは彼女らの肉体ではなく、
人間としての尊厳であり人格なのだ。

あなたは、胎内として還るその場所…
あなたの生まれる場所を
同時に汚していることを忘れてはならない。
あなたはあなたを休ませ、
守るはずの手を焼き切り、あなたの宿り場を貶め、
本来あなたが与えられるはずの
母の愛を奪い尽くしているのだ
そのことを忘れないでほしい


2017/10/28

人生の宝石

人は決して一人では生きていくことが出来ない。

★ ★ ★ ★ ★

唐突ですが、
皆さんには友人と呼べる人たちが何人いますか?
そしてその中に、親友と呼べる人はいますでしょうか?

気の置ける友人や仲間、
一緒にいて楽しい人、会えないことが寂しい人。
何も話さなくても安らげてリラックスできる人。
会うだけで元気をもらえてハッピーになれる人。

本音を打ち明けて、感情の裏表もすべてさらけだせて、
イヤな自分もダメな自分もお互いに見せ合って、
喧嘩もできて、本気で自分を叱ってくれる人。
自分のために一緒に泣いて笑って怒ってくれる人。
何かあったときには駆けつけてくれて、
黙って傍にいてくれる、自分を大切にしてくれる人。
優しさだけでなくキツイためになるアドバイスをくれる人。

様々な感情や同じ時間を共有して、
色んな事を話して、ともに年を取って、
未来への展望や夢、昔話を懐かしめる人…など。

★ ★ ★ ★ ★

まぁ、それはノリコがいけませんよ
わかいのにおばあさんみたいです

おぎょうぎのよい優等生みんなニガテね
おしゃれやB・Fやスターの話
とても楽しいおしゃべりです

私なんか学生時代 寮を抜け出して
シナトラのコンサート行きましたよ
みんないっしょでそれは楽しかったわ

友達を作らないのは 宝石を捨てるようなものですよ

          by 「有閑倶楽部」一条ゆかり

★ ★ ★ ★ ★

話代わって、
人の幸せってどこにあるんだと思いますか?

何が人を幸せにしてくれるのか知っていますか?

お金でしょうか? 恋人(パートナー)でしょうか?
地位でしょうか? 仕事でしょうか? 名誉でしょうか?
健康? 物質? 成功? 権力やすべてを手に入れること? 
それとも心配や不安のない状態でしょうか?
自分の望みがすべて叶うこと?

愛が人を幸せにすると答える人は多いと思います。
でも、その愛というのがなんであるかと問われると、
答えられる人は少ないでしょう。

人の幸せは「愛」にあるといえばそうだけど、
厳密には「愛」がある状態が幸せといったところで。

でも、愛されることが幸せというのでもないのです。
そもそも愛を与えられて幸せになるものではなく、
愛することの意義と意味を知ったとき…
愛を幸せと感じることができるわけで、
人を愛する喜びの中に「幸せ」を見いだせるって感じです。

とはいうものの、
私たちの云うところの「こころ」は、
実際のところ「幸せ」という感情を味わうことができません。
つまり「こころ」というものは、
「幸福感」の疑似体験ができるだけで、
それは一時的な満足感なだけであって、
残念なことに永続的なものではないんです。

真の意味での幸福感は、感情レベルで得ることはできないのです。
なので、一時的に満たされても、
恒久的なものではないから、すぐ飢餓状態に陥ってしまいます。

ようするに、
感情を満たすことは「真の幸福感」を得るにあらず、
幸福の疑似体験を一時的に与える麻薬のようなものです。

物質的なものから得られる満足感は感情を満たします。
ですが、これは本当に一時的なもので、
すぐに次の感情を満たすものを探さないといけなくなります。

男女の恋愛もまた、感情を満たすだけの、
真実の愛とかけ放たれたものがほとんどです。
だから信頼関係も壊れやすく、気持ちも醒めたり、
かんたんに相手を嫌ったり憎んだりもしがちです。
恋は誤解、愛は理解といいますが、
誤解から始まって、一時的な感情の麻薬に中毒し、
それを愛と錯覚して繋がっている人は多いです。
(それが悪いということはありません。
そうしたところからスタートする関係にも意味はあります。
恋愛や結婚という関係は、個人を成長させ、変化をもたらし、
互いにとって人間関係での大きな学びになるからです)


さて、
では人の「真の幸福」というのはどこにあるのでしょう?

それは喜びを分かち合うということ。
感情を「シェア(共有)」し、
あらゆるものを他者と分かち合うことに、
「幸福」への近道があったりします。

そして、自分を犠牲にすることなく、
他人のために生きることができたとき…
他人のために生きることこそ「喜びである」と…
魂の奥底で実感し、知ることができたとき、

人は真の意味での「幸福感」を味わうことができます。

でも、それは
「他人のためにやってあげてる」とか
「他人のためになることをすれば自分は幸福になれるんだ」
などという視点で行っても、到達できる領域ではないのです。

そこに至るまでには、
踏まなければいけないステップというものがあります。

まず自分のために人生を生きること。
これができなければいけません。
エネmeになって、
他人の支配下の中で自己犠牲を強いられて、
搾取されて奴隷のように生きる人生は、
決して「他人のために生きる喜びを得られている人生」
ではありません。

他人を差別・虐待してはいけないと同様に、
自分のことも差別・虐待してはいけないのです。

他人も幸せにするなら、自分も幸せにしないといけません。

自分を幸せにすることが、
私たち一人ひとりがこの世に生まれた主たる目的なのですから。

(もう一つ、その人のお役目を果たすことすなわち、
自分自身のカラー=創造性を表現する生き方をすることが、
魂の充足感と幸福感を得る必須科目たる条件でもありますが)


他者のためになることをして、
自分が満ち足りた充足感と幸せを感じられる。

ぶっちゃけ、
この状態に達することは「悟り」を開くことと同意語です。

まあ、はっきりいって難しいですし、
自分にはまず無理~!って思う人も多いでしょう。


とりあえずそういう人はそれでいいんです。

今生でやり遂げようと焦る必要はありません。
急にそこまで高尚な目標をいだき、
その高みを目指さして、無謀な精神修養に走らなくても、
人類みな輪廻転生を終わらせるために、
誰しもいつかはその山の頂に到達しなければならないので、
来世とか来来世とか、後100回生きればとか気を長く持てば。
数万年先かも知れませんけど。


手っ取り早く、簡単というか、
誰にでもできることで、その学びや機会を得るためには、

「仲間」や「友人」を作り、「親友」を持つことです。

人は人の中でしか学べず、成長できません。
普通の人間関係、社会というコミュニティでもまれ、
自分を形成していくことも大事なんですけれども、
それとは別に、

「友愛」という、「こころ」と「こころ」で結ばれ、
繋がっていける関係を育てていくことです。

もちろんパートナーを持って、
「恋愛」という関係性から
「愛」や「人間関係」を学ぶことも素晴らしいことです。

でも、家族ではなく、血肉の縛りのない他人同士。
同性異性の性別、職業や世代、
肩書や利害関係を超えたところでの、

共に支えあい、助け合い、色んなことを分かち合い、
互いからあらゆることを学び、与え与えられる、
友人そして親友(心友)といった関係作りは、
なかなか容易なものではありません。

失敗もするし、裏切りと思えるようなこともあるし、
恋愛と同じで相思相愛でないと上手く行かないし、
気の合う人、心を許せる人と出会える機会は、
そうそう人生であるものではありません。

だからこそ、縁を大切にして、
たくさんある出会いの中から、
自分にとってしっくりきた「ご縁」を見出して、
大切に育てて、縁を紡いでいく努力が必要になります。

結局、そこは男女間の恋愛も同じなんですけども。


確かに、
友人関係から得られる感情的満足、
色んなことをシェアする感覚も、
一時的に感情を満たす疑似的幸福感には違いありませんが、
それでも、物質的な事物や肉体的感覚、
性的な興奮やクスリから得られるエクスタシーや
エコイムズを満たすだけの疑似的充足感よりも、
はるかに本物の幸福感に近く、
なおかつ私たちの霊的な成長を促進させてくれる
人生の特効薬といっても過言ではありません。

何よりも、歌のセリフではありませんが、
誰かと繋がっている、「独りではない」という状態は、
心の平穏と安心感に繋がり、孤独を和らげますから。

とはいうものの、
ニセモノの、偽りの関係では意味がないのですが。
(妥協して相手にへりくだり、
好きでもなく尊敬のない相手に迎合し、
従属している関係からは何も生まれません。
その逆で相手を縛り付け、相手を認めず軽蔑等あるのに、
力や義理で支配しようとするような関係でも同じです。)

でも、いつわりの自分ではなく、
本当の自分を生きられるようになったとき、
似たもの同士は引き合うので、本物の出会いもやってきます。
自分の力を取り戻すことさえ出来れば…。

FBくらいしか私はやってないのですが、
SNSやツイッター、そしてLINEなどが流行り、
スマホ依存なんかがあるのも、「誰かと繋がっていたい」という、
皆孤立することに恐れを感じているという証拠だと思うのです。
自分に関心を持ってもらいたい(愛されたい欲求でもあり)、
人と話すことで寂しさや孤独感を埋め合わせたい、
…なんかまあ、それも飢餓感かな。

今の仕事ではなく、占いの仕事をしていたとき、
友達がいれば済むようなたわいのない話を、
わざわざお金を払ってしにくるお客さんもいました。

占い師に依頼する内容というより、世間話。
友達にするようなちょっとした相談話とか。

もちろん、
身近な人だから言えないこと、悩みもたくさんあるでしょうが、
決してそのようなものではなく、
お金を払ってまで(大枚はたいて)いう話なのだろうか?
と疑問に思うような話なんかも多くされたものです。
時に命の電話にかけるような深刻な話などもあったりしましたが。

みんな孤独で、自分の話を聞いてもらいたい、
存在や小さな思い、気持ちを分かってもらいたいんだな、と…

そういうのは、今の仕事に移行してからも、あったりします。

友達がいない、友達が欲しい。

そういう悩みを聞くこともありましたよ。


★ ★ ★ ★ ★

憎しみや怒りより、
“孤独”が人間を加害者にも被害者にもさせ、
人間をダメにもする

by 岩井志麻子

★ ★ ★ ★ ★

豆知識になりますが、

スピリチュアリズム的には、
人っていうのは、今所有している身体すなわち、
肉体(3次元)・感情体(4次元)・思考体(5次元)の3つの身体では、
実のところ、「幸せ」を感じることができません。

幸福を感じる、味わえることができるのは、
精神体(6次元)という、
私たちが上記の身体を用いて育てなければならない身体です。

知恵(思考体)を愛(感情体)を用いて、
行動・表現(肉体)していかないと、
この精神体は育ちません。

愛のない知恵を用いて行動してもダメだし、
愛だけで行動しても、そこに知恵がなければダメです。
知恵と愛だけで、行動や表現をしないというのもダメ。

真の意味の「幸福」を知っているのはこの身体です。
そして、この身体が育たないことには、
幸福感と充足感を得られず、
いつまでたっても何か物足りず、何をしても満たされず、
どこかに虚無と欠落感があり、ゴールが見えず、
魂の飢餓感のある、彷徨える人生を生きることになります。

(物質的なものは肉体を満たし、感情を満足はさせますが、
精神と魂は決しておなか一杯にはならないのです。
物質的な成功をしてもどこか虚しく、精神は満たされず、
不幸な人がいるのはこのためです。
愛=愛する存在が身近にいるということだけではないので。
なぜなら愛は得るものではなく与えるものだから。
愛は外から与えられて満たされるものではなく、
自分の内側にある愛に気づけないと充足に至らないのです)

精神体は6次元の身体(解脱した身体、悟りの状態)ですから、
ある意味でワンネスの場所とも言えます。

私たちが日々求め、欲している「幸せ」は、
この6次元にこそ存在します。

ですが、私たちはリアルで、
3次元(物質界)と4次元(想念の世界)と5次元(思考の世界)にしか、
身体を所有していず、この3つの次元にしか存在していません。

残念ながら、「真の幸せ」は、
今私たちが意識を向けている物質界たる3次元にはないのです。

それでも自らの身体、
「肉体」と「心」「思考」を大切にし、愛や知恵を育み、
それらを物質社会で行動して自らを表現していき、
自分と他人の境界線をなくして考えたり、感じたり、
(他人の身にに起きていることを、
まるで自分のことのように感じたり、
考えたりできるようになって行動できるようになること)

他人と感情や思想、考えなどを共有し、共に生き、
あらゆるものを分かち合い受け入れていく中で、
様々な事物や他者に対する理解を深め、
与えたり与えられたりする過程において、
自らが幸せになり、他人の幸福も喜べるようになり、
そして、そのような日々を一進一退で繰り返しながら、
いつの日か他人のために生きられる人生を、
それが自分の喜びであると…
他者に与え、支え、尽くし、
他人のためになることをすることが、
その中に自分の喜びがあると気づけたとき、

人の真実の意味での幸福にたどり着けたことになるのです。

ようするに、
人は決して一人では「幸せ」になれないのです。

その「幸せ」を分かち合う誰かがいないことには。

より多くの「悦び」をシェアできる人々を得られたとき、
人は、自分にとっての「幸福」を感じられる場所に、
もっとも近いところにいけるのです。

「孤独」はもっとも「幸せ」に遠いところです。
「幸せ」になりたいなら、
「孤独」から脱出しないといけません。

「独り(ぼっち)」のままではダメなんです。


ですから、まず一歩としての、
周囲の人との関係、友人、パートナー、家族との関係性、
その中で「共有できる喜び」を見いだせる人がいるなら、
その可能性を大切にしてください。

あなたの幸福のタネです。

相手が日々元気でいてくれて、
幸せでいること、満たされていること、
そして相手の笑顔を見れたことに、
悦びと感謝を覚える気持ちの中にこそ、
あなたを幸せへと導く道があります。

見知った誰かの幸せを嬉しいと心から感じられたとき、
見知らぬ誰かの幸せを嬉しいと心から感じられたとき、
それを心から喜び願い祈ることができたとき、
知る人知らぬ人問わず、
誰かの幸せのために働くことができたとき、
私たちは大きく霊的に成長していくことができます。


★ ★ ★ ★ ★

大切にしたい人がいるなら、
大切にできる間に大切にした方がいい。
仲良くしたい人がいるなら、
仲良く出来る間に
仲良くしておいた方がいい。
人間なんて、
本当にふとしたきっかけで
二度と会えなくなったりしてしまうものだから。
驚くほど簡単に
どこかへ行ってしまったりするものだから。


★ ★ ★ ★ ★

一緒にいて楽しい人ではなく、
一緒にいられないことが寂しく、
傍にいてあげられないことが寂しい人を、
友人に選びなさい

2017/10/24

会者定離~幽明境を異にす

会うは別れの始めなり。

別れの来ない出会いはない。
人は死に向かって生きており、
共に人生を生き、同じ道のりを生きていたとしても、
やがて「死」が互いの居場所を引き離す。

出会ったときから、別れは常に付きまとう。
いつか必ず別れの時は訪れる。
どんな風に「別れる」か…
互いの関係性をどんなふうに締めくくるのか、
出会いと別れまでの物語をどのように飾るのか、
心の中の、思い出という置き場所にどのようにしまい、
どう位置づけるのか…

それだけ。

どんなに大好きな相手とも、大嫌いな相手とも、
憎くてたまらない恨めしい相手とも、
憧れの人であっても、
さみしいかな、「会わない」「会えない」という選択以外に、
「死」が確実に互いの居場所を分かつのである。
別れの日は誰にでも公平に訪れる。

和解は生きている間でこそ。

「あの世」での再会なんて幻でしかない。
死んでしまえば、その人生での出来事も、
お互いのことも、何もかも忘れてしまうので。

だから、生きている間に、
仲良くできる人とは仲良くしていたほうがいい。
二度と会えなくなってしまう前に。
できるだけ会いたい人とは会っておいたほうがいい。

「別れ」の日は、望もうが望むまいが、
思いがけずあっという間に訪れてしまうのだから。

下手なプライドに振り回されて、
意地を張って、強情でいる間に、
相手はこの世から去ってしまうのだから。

すべてを失って後悔した後には何もかもが手遅れなのだから。

2017/07/29

何故、不貞はいけないことなのか

浮気をしない男性は全体の2割程度に過ぎず、
結果、ほとんどの男性というものは、
機会さえあれば浮気をする生き物なのだと言う。
女性も男性ほどではないにしろ、
仕事を持つ既婚女性の3割は浮気の経験ありで、
専業主婦では2割程度、独身女性も3割程度とやはり、
同等数の割合で不倫の経験者はいるものであると…。

こうした統計値がどのようにして取られたものなのか、
その信憑性、真偽の程は分からないが、
上記の理論で言うなら、
男女の比では男性は女性の倍以上の数が浮気をし、
主婦人口の1/3、3人に一人は浮気の経験ありという事か。
そして、浮気をする女性の割合が少ないことを考えれば、
同じ相手と関係を続ける、ということは少なく、
(浮気する)女性は全体の中で偏っていて、
その偏りの中にいる女性たちは生涯を通じて、
複数の男性と関係を持つ割合が高い人たち・・・
・・・ということになる。

もしくは男性の場合、同じ既婚者を相手にするより、
パートナーのいない独身者を相手に選んだり、
風俗などで割り切った関係を結ぶケースが多いのかも。

いずれにしても、
男性のほうが浮気、不倫をする確率は広範囲にて高く、
女性の場合、不倫人口には偏よりがあるというわけだ。


何故、男性のほうが浮気する確率が高いのか・・・

男女のこうした関係性は、
しばしば、「花とみつばち」に例えられる。

男性は、子孫を高確率で残そうと、あちこちで種まきをし、
女性は、男性を引き付けるために甘い蜜で誘惑を仕掛ける。

また、そればかりでなく原始的な本能のなせるわざで、
男は自分の子孫にとって最適な「母」になるような女を求め、
女は優秀な子孫を産むための種の持ち主を厳選し、
さらに子育てに最適な環境と自らの食い扶持を確保してくれる、
いわゆる三高な男性を他のメスと奪い合い、獲得し、縛ろうとする。

はてさて、男性のほうが共有を気にせず、
女性のほうが他者のものを奪い取ろうとする意識が強いような?

男は女の最初の男になろうとし、
女は男の最後の女になろうとする…らしいが。

まあ、いずれにしても、
浮気をしない男性は少数派ということなので、
貴重かつ希少価値のある生き物かも知れん(なんだかー)。

統計なんて誤りで、
もっと少ないものだと信じたいですが。


 ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ 

私個人としては、
他人のものにはまったく触手が伸びないというか、
興味が湧かない人なので(芸能人とか憧れの人は別)、
相手が既婚者だとかパートナーのいる人となると、
「人のもん」つかその人の付属品にしか見えないので、
そーゆー経験はないが。

彼氏がいると知ってて誘ってくるヤツなんか、
「なんだこいつ」としか思えなかったですしねー
(若い頃の話ですぜ)

ただ、確かに周囲にはそういう状況はあった。
友達の中にも不倫や浮気をしている人はいた。

割り切って既婚者と付き合ってるのとか、
相手がいるのに、行きずりで遊んだーとか、
その心情を理解してあげることは出来ないんだが、
わりとよくある話と言えばそう。

占いの仕事をしていたときでも、
不倫のお悩み相談はてんこもり、でしたし~。

今でいうところの「サレラリ」話。

昔、知り合い(三人の子持ち主婦)だった人で、
旦那さんとレスとかで、
あちこちで恋の花を咲かせてる人がいた。
ちょっとどうなの?と目を細めてはいたものの、
そこまで親しい関係ではなく、
子供たちにとっては良き母親であったから、
何かそれに対して注意をすることはなかったけど。
そのうち、不倫相手の子を妊娠してしまったことで、
さすがにいい加減、関係を終わりにして
中絶すべきでは?と口を挟ませてもらった。
けれど、彼女は「命は大切なものだと思うから産む」、
自分の生き方を応援して欲しいとのこと。

して、旦那さんに正直に話して謝罪し、
ケジメをつけて離婚し、子育てするならいざ知らず、
旦那さんの子として育ててもらうつもり(托卵か)・・・と。
私は「あなたの生き方を応援することは出来ない」
そう伝えて、ご縁を断たせてもらったかな。

他、旦那さんとの関係性が冷え切ってて、
離婚を申し入れたものの受け入れられず、
その後で好きになった人もいて不倫関係になって、
慰謝料を払うから別れてくれとお願いしたものの、
それでも離婚してくれず、
仕方なく子供のために再構築している人もいる。

それと、
不倫小説の教祖みたいな某作家さんのとこには、
その世界観に酔いまくった不倫願望の強い女性たちが、
たくさん押しかけて大変だった、と聞いたことがある。
(据え膳食ったかは謎)

そして、何故か不倫体質の人っているのよねー
他人のモノにしか興味を持たず、
次から次へと既婚者に手を出す人が。なんだかー

なんだろーな、まあ、そんな風に、
身近なところでもそれなりにそうした話はあるので、
困ったことに浮気、不倫、不貞、不義密通etc...
は結構ある話で相変わらず減らない話でもある。

2chなんかではホント、この手のネタ尽きないしね。


 ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ 

ただ、人の心って当人にとっても予測不可能なことで、
結婚してしまってから、本気の恋に落ちることもある。
出会うべき時期を間違えた、みたいなの。

複数の人を同時に愛せる人もいたりするし、
複数の人から愛されないと満たされない人もいるし、
その逆で誰の事をも愛せない人もいる。

恋愛フェロモンは2年が限界と人の言う。

気持ちは冷めるものでもあるし、
結婚して一緒に暮らしてから、現実を前にして、
相手に抱いていたものが妄想であり、
誤解であったことに気づかされることも多々。

いつまでも最初の頃の、
出会った当時の気持ちのままでいられるなんて幻想。

歳を取ってくると、
男性はハゲるし、お腹も出てくるし、臭くもなる。
女性も身体の線が崩れ、容貌も衰えて、オバサン化する。
(相手にいつまでも綺麗で若くいて欲しいなら、
相応の努力と金銭、生活の余裕が必要だったりする。
それを与えずして芸能人と同じレベルを求めるなかれ)

恋は誤解、愛は理解ではあるが、
恋に落ちたその日には、誤解しかなく、
相手の良いところしか目に入らないもの。
すべてを良いように取ってしまうなど、
盲目化現象に際限はない。

結婚前には両目をしっかりあけて相手を見て、
結婚後には、片目をつぶって見ないようにする。
ともいうけれど。

育ってきた環境も価値観も異なる二人だもの。
受けた躾、教育だけでなく、趣味とか嗜好とか共通点とか、
合わないこと尽くしなのに、
「好きだから」というだけの理由で無理に合わせていれば、
気持ちが冷め、夢が終わった瞬間には、日常は悪夢となる。

で、その時、どうするか・・・なんだけど。

結局は、
結婚てそういうことも想定しておかないと、なんだよね。
気持ち・・・恋愛感情が、自分あるいはパートナーのほう、
双方に無くなってしまったときにどうするか…

どのように協力関係を維持できるのか。
共同生活者としての相手をどう位置付けて、
どのような関係系を築き上げることが出来るのか。

いつまでも相手に「恋」していられたらいいし、
相手も、自分に「恋」してくれてたらいいんだけども、
もしくは「恋」から本物の「愛」の関係を育てられてたら、
家族としての人と人との絆を、育めてたらいいのだけど。
(いわゆる「聖なる結婚」てやつね)

でも、人の気持ちほど不確かなものはない。
人生に絶対はないという意味で。
人の心ほど、あてにならないものはないのだ。

先の事など、誰にも、自分にも分かりはしない。


パートナーがいるのに、
その人よりももっと好きな人が、
大切と思える人が出来てしまったのなら、
それはもう仕方がないように思う。

心を止めることは出来ないだろう。

どちらも大切とも思い、
今のパートナーに対する気持ちも嘘ではないが、
それよりも別の人への気持ちの方が大きいと、
明らかに恋だったり、愛だと確信できる場合など。

その気持ちを責めることは誰にも出来ないだろう。

互いが独身同士であれば、ことは簡単だ。
別れを選んで、より強く大切だと、
恋心を感じた相手の方を選べばいい。
(但しそれで上手くいくとは言えないし、
婚約していた場合は手順が必要だが)

だが、それが既婚者なら?
自分または相手がそうであったなら?
そして、子供がいる夫婦だったら?

ことは簡単ではない。

結婚は社会的な責任を共同で担う、契約そのものだからだ。
子供がいるのであれば、
子に対する養育義務を持つ親同士の関係でもある。


 ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ 

不貞がいけないとされるのは、
それが契約違反であり、信頼を裏切る行為そのものだからだ。
恋愛にしても、結婚生活にしても、すべては人間関係なので。

相手の心も人格もおのが所有物ではなく、
自らの利己的な欲望や願望を叶えるための奴隷や便利屋としてでなく、
別人格として尊重し、畏敬の念を持って接せれるか否か。
男女の枠を超えた、精神的な愛があればなおよし、ではあるものの、
それは難しいことで、とりあえずは上記さえあれば十分であろう。


他の人を愛することが罪なのではない。

気持ちには、心には罪はない。

パートナーがいるのに、誰か他の人を好きになってしまった、
その心を裁くことなぞ、他の誰にも出来ることではない。

パートナーが、
配偶者がいる人を好きになることが罪なのではない。
そこには罪はない。

その人を素晴らしいと、素敵な人だと評価し、
心奪われてしまうのは、異性としての深い愛情を抱くことは、
自然なことで、ごく普通のこと。
現実を考えたときに、
その人は結婚している、という事実があるだけ。

それはハンデでしかなく、
相手が結婚しているという事実は、
相手が障害者であったり、異性ではなく同性であったり、
相手の家族に問題を抱えている人がいるとか、
その人が経済的に自立できていないとか、
そういうのと何ら変わりがない。

相手を愛(恋)することを止める理由にはならない。

ただ、現実を考えた時に、
そのハンデが乗り越えられるものなのか、
乗り越えられないハンデなのか、そのいずれか、なだけ。

そして結婚している人であるならば、
その人とは結婚できない理由があるってこと。
恋愛対象にしてはいけない人だって、それだけ。

その人のことが好きで、愛しているという気持ちは、
胸の中に大切に収めておくしかない。

互いが独身同士であれば問題ないが、
そうでないならば、
お互いの人生を、
人間関係を壊すような関係を築いてはならない。

肝心なのは、どう行動するか。

結婚した後に、他に心惹かれる人に出会ってしまうことは、
それは不幸とも言える出来事なのかも知れない。

他に愛する人を見つけてしまったとき、
今のパートナーとの関係をどうすべきなのか・・・

大いに悩むことになると思う。

今の関係を解消して、心に素直になるべきなのか、
理性で抑えて、これまで築いてきた人間関係を、
家族との関係を選択すべきなのか…

問題はこの順番なんだろう。

誰かに心を奪われたことを「浮気」という人もいる。
肉体的な関係性がないのなら、プラトニックならば、
それは不倫とか不貞とは言わない…という人もいる。
けれど、肉体の浮気は赦せても、
本気になられるほうが赦せないという人もいる。
継続的な関係でなく、一度限りの過ちなら赦せるとか、
風俗ならば仕方ないという人もいる。
風俗もダメだし、女性とご飯を食べるだけでNGという人も。

(なかにはsexの相手をするのが嫌なので、
愛人を作って他所で性欲を満たして欲しいと・・・、
そのような正妻もいたりするし、
妻が他所で恋愛するのを楽しみとする夫もいるので、
夫婦がそれでよしならばそれはそれでいいのだろう。
が、こういうのは双方の価値観が一致していればの話)

そこは各自個別の価値観なので、
それをこう考えるべきと裁定したり、
間違っている正しいとも他人が言えることではないけど・・・

さりとて、

心霊科学の視点からは、
やはり人間関係を損ねるものであるか否か、がポイント。

属する社会の法や規範(この場合は日本)に従って考えるべきで、
相手に対して不実な態度を取るべきではないってスタンス。

つまり、どうしても他に好きな人が出来てしまい、
そのことで結婚生活を続けることが不可能であると、
心に正直になりたいのならば、
結婚生活を解消したいと、誠実に相手に申し入れるべきで、
その際に己が果たすべき社会的責任を道義的に果たし、
その後で、
好きになった相手に気持ちを伝えたり、関係は持つべきである。
いずれにしても、
法的配偶者がいるうちは、性的関係を持つのはNGということ。

配偶者以外の人を愛してしまう気持ちに罪はないけど、
不義理かつ不誠実な行動を取るのが罪ってことなのです。

人としての道に反しているか否か、なんですよね、すべては。

プリン脳やラリは、物事の筋道通していない人がほとんどで、
そもそも筋道通せる人だったのであれば、
プリン脳やラリにはならないのであろうが・・・

とあるコラムニストの人が、俳優の旦那が浮気したとき、
「私の作ったご飯を食べて、私が干した布団で寝て、
 私が選んだ服を着て、私が洗ったパンツを履いて、
 彼女に会いに行くのは止めてちょうだい」
荷物をつめたボストンバッグを放り投げて、そう云ったそうだ。

なるほど、本当にそうだ。
妻は家族ではあるが母親じゃない、他人だ。
自分の世話をしてもらうための一方的な存在ではない。
相手の想いを踏みにじっていい理由など何処にもない。

不倫は不義理以外のナニモノでもない。


あともうひとつ、
不特定多数の人と性的関係を持つのがよくないって理由がある。
性病の危険性があるからってことではなくて、
心霊科学的な視点から、ね。

Sexって、エネルギー的交流でもある。
お互いの第一チャクラを通じて、
クンダリーニのエネルギー的交換が行われるんだな。
(詳細を知りたい人はクロウリーの性魔術書とか
インドのタントラとかカーマスートラとかでも読んで。
ちなみに相手から性氣を奪ってダメ人間にしてしまうための
房中術という、それに特化した性的技能の暗殺術もある)

普通に、二人あるいは複数の人間が同じ空間にいると、
互いのオーラ的領域の空間を通じて、
エネルギー(エーテルバイタリティーすなわち氣)が
交じり合って、互いに吸い取られたり吸ってしまったりがある。
(3m四方もあれば十分で、時間にして約2時間。
10mでも共に過ごす時間が長ければ確実に影響を受ける。
都会の狭いアパートなら隣、上下の部屋からもお互いに)

まして、イチャイチャしてお互いの身体に触れ合い、
Sexという行為を通じて、エネルギー交換が行われると、
マイナスの意味でもプラスの意味でも、
色んな影響を相手から受けることになる。

これが単一の相手とならいいんだけど、
同時期で複数の相手とそういう関係性を持つと、
第一チャクラがぶっ壊れることも多々。
性的関係が乱れるというのはまさに
エネルギーが乱れるってことで非常によろしくない。

結果、色んな相手から、色んなものをもらっちゃうわけです。
この場合、現実的な肉体の病気もしかり、
目には見えない良くないものもたくさんもらうことになる。
相手の第一チャクラの中にあるものとかね。
(ちなみに第一チャクラは先祖のお荷物とかある場所だからさ)

生活のためとか、それしか出来る仕事がないとか、
色んな事情で風俗や性的産業で仕事をしている人もいるから、
それは否定しない(本人が覚悟決めて本気でやってることなら)。
けど、目に見えてる身体だけでなく、
目に見えない身体も壊すことになる仕事だから、
あんまり長期間従事しないほうがいいとは思う。
当人の心身の健康のためには。


そういう意味で、愛情や心の寄り添い、
互いに対する"情"や慈しみのない性的行為は、
オーラやチャクラ、エーテルダブルなどの
エネルギーとしての身体をダメにする行為でもあるから、
むやみやたらとするもんじゃない。

恋人にしてもセフレにしても、
その期間、そういう関係を結ぶ相手は一人ってのがベター。

あんまし、あちこち飛び回るものではないってのはアリ。
どんな相手とSexをするかってのも、大事だったりする。
(だからホントにサゲ○○とかアゲ○○とかあるよ)

気持ちの良いSexって言い方もヘンなんだけど、
自分のエネルギーを高めてくれる、
良い氣の持ち主を性愛のパートナーに選ぶことって大切。
だからこそ、愛し、愛されている相思相愛のパートナーと、
人間関係を大切にして、その間はその人だけってのが正解。
恋多き女でも男でも、パートナーが随時入れ替わる人であっても、
その時期は相手が一人だけってのであれば問題なし。

独身の人でも複数の人と同時進行ってのはあまりよろしくない。
(相手がそういう人と知らず、つき合っている人は、
エネルギー的にも相手から悪いものもらって大変だ)

そして、
浮気、不倫てのはどこかで背徳的な罪悪感があり、
そこには常に負の意識がつきまとう。
互いに割り切っていたとしても。
また、そうした行為に対する
「怒り」や「憎悪」のグループエレメタルも、
そこに反応して集まってくるしね。

つまりは負のエネルギーがいっぱい集まってくる。
純粋に「本気の恋愛」から始まった関係ならまだしも、
性的な行為に耽溺していたり、遊びとしてのそれは、
さらなる負のエネルギー、退廃的なエレメンタルも
呼び寄せて、どんどん悪いものが集まってくることになる。

どちらかのパートナーの信頼を裏切り、踏みにじり、
他人を傷つけている行為には違いないから、
そうしたカルマのレッスンも背負うことになるしね。

どこかで、それは戻ってくることになる。
背負ってしまった負債から逃れることは出来ない。

他人の心を傷つけた、踏みにじってしまった罪。
人間関係を壊して、信頼を裏切ってしまった罪。

いつかそれは自分に戻ってくることになる。
他人にさせた思い、味合わせた感情は、
必ず自分も味わうことになる経験だったりするから。
それがカルマの法則というもの。

あなたが他人にすることは、
すべて未来の自分に対して行っていることなのだから。



魔女の書の第一節に書かれた言葉。

"誰かを傷つけることなく、
 汝のしたいことをすべてしなさい"


この言葉に恥じ入ることなければ・・・
それは咎にはならないけれど。

果たして、あなたの恋は、
あなた以外の誰かを傷つける恋であろうか否か。
今一度自分の胸に問うてもらいたい。



"愛は忍耐強い。愛は情け深い。ねたまない。
 愛は自慢せず。高ぶらない。礼を失せず、
 自分の利益を求めず、苛立たず、恨みを抱かない。
 不義を喜ばず、真実を喜ぶ。
 すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、
 すべてに耐える。愛は決して滅びない"
    コリントの信徒への手紙Ⅰ 13-4-8


本当の愛はあなたを決して傷つけることなく、
誰のことをも傷つけることはない。