2015/11/05

歴史は繰り返す~戦争のカルマ

産業革命以降、人類は飛躍的に科学や文明を発達させてきた。
そして、戦後の技術革新はすさまじく、
ここ数十年でのIT革命や技術の進歩はまさしく光陰矢の如し。

とにかく全てが目覚しい。

日々加速化されて、何もかもがスピーディーで。


鉄道や船や飛行機などの移動・輸送機関の発達や、
インターネットや衛星通信などのお陰で、
世界の距離が縮まって、分刻みで何もかもが進んでいき、
恐ろしいほどに時代の展開が速くなっている。

ひとつの技術が次のステップに移行するまで、
何十年も掛かっていたというのに、
今やそれは数ヶ月単位の範疇。

まったりと時間が流れていたのは遠い過去の話で、
早すぎる時間の流れに、
目の前の事象は電車の景色のごとく、あっという間に過ぎていく。


それと同時に、
人が死して、次の人生に至るまでの間隔もスピードアップされ、
格段と早くなっている。

そればかりか、カルマの法則が具象化され、
現象として戻ってくるスピードも、加速化されるばかり。


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先の20世紀は戦争の世紀であった。

15世紀にレオナルド・ダヴィンチが発明していた大量殺戮兵器が、
19世紀にアルフレッド・ノーベルがダイナマイトを発明したことで、
4世紀という時間を経て、この世に具現化されることとなり、
各国はより高い破壊活動と確実な殺傷能力を有した技術に
頭脳と予算をつぎ込むことで、
「戦争」は、「金」を産む「産業」となっていった。

飛行機も船も、戦争のための兵器になった。

その場限りの、争いの時だけに存在する罠ではなく、
戦争が終わってもなお、その国の土地を汚染し、作物を枯らし、
人々の健康を害し、何世代もの後の子孫を殺戮するような、
永遠にダメージを与え続ける武器をも生み出されていった。




今この21世紀の世の中は、この20世紀に生み出された
「戦争のカルマ」を贖うべきレッスンで溢れ返っている。

もちろん、戦後すぐにそのカルマは噴出していたけれども。

例えば日本。

昭和40年代の学生運動。
全共闘として闘った人々の多くは、太平洋戦争において、
戦死し、国に殉じて散っていった若者たちの生まれ変わりだ。

「誤った」教育や信念によって、美化された「死」へと
誘われたことへの怒りと不信が、彼らを反抗へと向かわせた。

大きな歴史の流れの中の、
「天災」や「人災」で命を落とすとき、
特に若くして死んだ者たちの転生は、とても早いのである。


花粉症は国としてのカルマ。
これは高度成長期における公害での環境破壊、
そのことに対する土地のカルマだったりする。
なので、国民が分担して背負わなければならない負債と言える。


何故、日本という国で少子化が進んでいるのか。

明治から大正、昭和、そして戦中において、
「産めや、増やせや」というように、
国力を強化するために・・・
「戦争」(死地)に赴かせるための兵士を増やすために、
一人の人間、命としてではなく、人間を国の道具と見なし、
国策として、出産を奨励したが故のカルマだったりする。

ちなみに、不妊の問題が増えているのも偶然ではない。

こうした話をすると、
すべての人がそうであると決め付ける人がいるので、
難しい問題なのだけれども。

授かりたいのに授かれない人というのは、
(もちろん全ての人が当てはまるわけではなく、
一人ひとりのカルマは異なるので一概には言えないと断っておく)
堕胎や子棄て、子殺しのカルマを背負っていたりする。

つまりは、産んだのに捨てて育てなかったこと、
せっかく授かった命なのに産まなかったこと、
望まない妊娠ということで闇に葬ってしまったこと、
・・・であるが故に、
子供を欲し、妊娠を望むものの、
カルマが故に子育ての機会が与えられない、など。

つまりは、「命」というものについてよく考えるべきで、
生まれて形を成す前であっても赤ん坊は一人の人間であり、
妊娠というのは、産む人の都合やリクエストに左右されるものでは、
本来無いということについての示唆。

要らないときには捨てたり殺したりして、
自分の都合の良いときや
欲しいときに簡単に与えられたり得られるものであるなぞと、
そんな風に安易に考えてくれるなよ、という、
お叱りそのものなのである。

(そうした個人のカルマと国家のカルマが
 相乗効果で上手く関連しあっているというワケ)


また、その事件や事故によって、
その業界全体の安全が見直されたり、
技術が一歩も二歩も進むことになったり、
法律が改正されるなど、世間の認識が大きく変わっていくような、
インパクトの強い事件や事故で亡くなる人の場合、
それは大概、一回や二回の人生では清算できないような、
とてつもなく重い、大きなカルマの返済を背負っているものだが、

(彼らは自分の命を犠牲にすることによって、
 すべての人類のために、尽くしているのである)

・・・そして、これは多くの人が覚えている大事故ではあるが、
遺族の心情も考えて、あの事故、だけとしておく。
わかる人にはわかってしまうのだろうけど。

とある航空機事故で大量死した、その亡くなった人の大半は、
第一次大戦と第二次大戦において、
飛行機を殺戮の道具と至らしめてしまった、
その技術者だったり、そうした工程に関わるものであったなど、
そうしたカルマを背負っている人が一度に介して、
共にカルマを償う道を選んだ結果でもあった。

そう彼らは無残な遺体になる必要があった。

例を言えば、
人間魚雷やゼロ戦による特攻隊など、そのような死に方を・・・
肉体がバラバラになるような、ただの肉塊として、
遺体も遺骸や形見すらも残らないような、
そんな悲惨な死に方を多くのものたちにさせることになった
そのようなカルマは、
自らが同じような状態の死を迎えることによってしか・・・
償えないのである。

その死が、遺体の状態が、
後の事故を防ぎ、飛行機の安全性を高めるための、
尊い犠牲とならないことには・・・贖えないカルマであったのだ。
それが自らが武器としてしまった飛行機に対する贖罪であり、
犠牲となってしまった人々への償いでもあった。

そのような形でカルマの返済をする事例も多くあるということ。
知って欲しい。

船舶や薬害などで大勢の犠牲者が出るようなものも、
大きなカルマが働いていて、
犠牲者たちには共通のカルマがあったりする。

(ちなみに9.11の犠牲者は十字軍のカルマを背負っている)


生物兵器や化学兵器を開発やそれに関わったものたちのカルマとして、
生まれながらにその苦しみを病やアレルギーとして背負うことになる。
彼らが他者に与えた苦痛を、一生の病として・・・。

枯れ葉剤を作った化学者たちは、どう生まれ変わるのか?

何故、ケロイド状にまで、
酷く皮膚が爛れてしまう重度のアトピーが存在するのか・・・?

以前、「病気とカルマ」について書いたとき、
焼夷弾や原爆で死んだときのダメージが、
サイキカル体とノエティカル体に刻まれて、
次の人生において新たなる肉体を得たとき、反映されてしまう・・・
と書いたことがあるけれど、実のところ、そのような例はごく一部。

幸いにも、こうしたダメージは通常よりも早く回復され、
次の人生でキレイな肉体を得る人のほうがほとんどだ。

では、炎で焼かれたような、死に至るほどの苦しみを伴う
アレルギーや皮膚症状は何のせいであるのか。

どうして特定の食べ物を、
食べれない、触れることも叶わないという
苦しみを背負うことになったのか・・・。

何故、癌という病が、戦後爆発的に増えてきているのか。


答えはいくつもある。

すべて、きちんと理由があってのこと。

どんなことにも因果関係があるように、
原因のない結果はない。

カルマも、運命もまた然り。

ここで言えることは、20世紀後半から21世紀に至るまで、
生まれた新たなる症例としての病のほとんどが、
「戦争のカルマ」によるということだけだ。



(ちなみにエイズやエボラなど、アフリカ発の疾患は、
 全人類のカルマなのだが、エボラに関しては、
 アフリカ大陸から多くを搾取してきた罪でもある。
 奪うだけ奪って、彼らを無知のままにし、
 何も与えてこなかった罪であり、
 エイズは性モラルの低下というよりは、
 性を商品化し、パートナーを労わらず、
 愛のない、思いやりのない関係を築いてきた罪)
 





いずれにしても、
蒔いた種は蒔いた人が刈り取らなければならない。

決して他の誰かが背負ってくれることはない。


今の人生で刈り取れるなら、早いうちに刈り取っておくほうがいい。

すべてを忘れてしまった、次の人生で刈り取らされるよりは。


でも、ほとんどの人が、思い出せない、
過ぎ去った戦争のカルマをその身体に印として背負っている。

せめてこれ以上は増やさず、新たな種を蒔くことはしないで、
負債だけ減らしてもらいたいものだと思ったりする。



設計図が出来上がって、具体的にそれが誕生するまでに
昔は400年掛かっていたことが、
今はたった数年、数ヶ月であっという間に具現化するように、

カルマもまたしかりで、
昨日したことが翌日にはブーメランのごとく、すばやく戻ってくる。
そして、
何百年、何世代にもわたって清算し、分割返納してきたことが、
一括返済を求められるがごとく、
多量の利息が加算されて具現化されることも多くなってきた。
何かに追い立てられるかのように。


まるで、地球が焦っているかのよう。

いつまでも返済を悠長に待っていられないというわけか・・・。

時代も急いでいるのかも知れない。

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