2015/11/05

スピリチュアル・ナルシズムとエゴイズム②

 父よ、彼らをお許し下さい
 彼らは、何をしているか自分でわからないのです

             ~ルカによる福音書 第23章34節~

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最初は崇高なる目標を持っていた者であっても、
時間の経過と共に、いつの間にやら己が目標を見失い、
本人も気がつかないうちに、
私欲に走り、己が才や策に溺れてしまうケースは多い。

誰しもが『傲慢』の落とし穴にはまってしまう危険性を所持している。

なまじ、熱いハートを持ち才能に秀でていたが故に、
それが裏目に出て、行過ぎてしまう場合もあるわけで。

仕方がないと言えば、そう。人は弱い生きものであるから。


スピリチュアルだったりサイキカルな仕事・・・
占い師や霊能者やチャネラー、祈祷師やら呪術師とか、
シャーマンやヒーラー、そして宗教家など、
人から相談を受けて、アドバイスを提供することを生業とするものは、
なまじその職業の特殊性から、
この自惚れと傲慢の罠にもっとも近いところにいる存在と言える。

その職業ならではの専門的な知識やスキルなど、
一般的ではなく、一部の人しか極めていない分野の
専門家であることを、尊重されるのはともかくとして、
この手の分野の専門家だからといって、
決して特別な人間なのではなく、
その人物の人間性まで保証されたものでもなく、
まして特殊能力なぞとはとんでもなく、
他の専門職と対して変わりはないものを・・

何故か自らの職業の特殊性を、
特別な選民意識をして『勘違い』する輩は後を絶たない。

例えば政治家が、
誰かに『教え導く』仕事でもないというのに、
「先生」などと呼ばれて、偉丈夫のごとく反り返り、
したり顔で自らの権勢に酔いしれるがごとく、

これらの職業の人間も、「先生」と呼ばれることに、
自らが特別な存在であるかのような錯覚を起こしてしまうのか、
他人の罪の断罪者か、まるで運命の裁定者のごとく、

ふるまうものがいたりする。

そして、困ったことに、
最初純粋な動機と隣人愛から、この道へと至ったものまでもが、
朱に染まるのか、毒を吸って汚染され侵食されていくかのように、
いつの間にか初心から外れて、
『傲慢』の虜になっているケースが昔も今も後を絶たない。


『困っている人を助けてあげたい』
『悩んでいる人の少しでも力になれれば・・・』
そんなピュアな気持ちを持っていたはずの人なのに。


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何故だろう。

それは『知っている』という驕りからくるものか。

実際は当人が思うほどに『知っている』わけでもなく、
何もかもが『わかる』というほどには、何も知らないのに、
いつの間にか、自分のほうが相手よりも
『知っている』『わかっている』存在として勘違いを起こし、
上から目線で、相手のことを見下してしまうのであろう。

ある知識を持つものが、その知識を持たないものを
自分にとって『知ってて当然』のことを知らないというだけで、
下に見てしまうことが多発しがちなように。

悩みや問題を抱えて訪れる人は、
その問題に囚われている限り、
どこか不健康(心身のいずれか)でバランスを崩している。
健康でバランスが取れていれば、自分で問題も悩みも解決できるのだが、
それができないから専門家に頼っているというのに、
それだけのことなのに、
相手の弱った面を見て、それがすべてと思い、
自分が優位な立場にあるということで、
相手の弱さを非難できる存在だと・・・
相手の人間性を尊重しないことから、
馬鹿にした態度で臨めてしまうのかも知れない。

つまりは"愛"と理解力と想像力の欠如か。

いずれにしても、そのような横暴に出れてしまう人は、
偉大なる『勘違い野郎』であり、自惚れの衣に騙されているのだろう。


とはいうものの、
私もその傲慢と自惚れの罠にはまってしまったことが何度かある。

上から目線で偉そうに、自分のことを棚にあげて、
したり顔で他人を裁定し、愛のない行過ぎた言葉で人を傷つけ、
お客さんに対しても、『何様』な態度で、
エゴイズムに囚われていることさえ気づかずに、
己が与えられた能力や知識を誤って使ってしまったことが。

自分が『正しい』のだと思い込み、
何でも判るのだと・・・さも知っているのだといわんばかりに、
高慢ちきな態度で、人としての大事なものを見失い、
醜さ剥き出しに、エゴイズムに支配されている時期があった。

いまは、『そこに愛はあるのか?』という言葉を自身に問いかけ、
これはエゴイズムであるのかないのか、
本当に相手のためになることなのか否か・・・など、
日々内省して自分のエゴイズムをチェックしてはいるけれど。

だからといって、
私利私欲やエゴイズムに呑まれないという自信はない。

常に不安材料はある。

私にも弱いところ、人としての欠点がたくさんあるので。

また、昔と同じような過ちを繰り返さないという保証はない。

けれども、
自分を見つめる作業を怠らないということ以外には・・・
過去の過ちと謙虚さを忘れないように、
日々の修養を積むことだけしか、
それしか出来ることはなかったりする。


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さて・・・

スクールでのグループレッスンで以前に、

とある、ごく限られた狭い範囲の、
サイキカル界(四次元)とノエティカル界(五次元)に存在する
ネガティブエレメンタルの浄化を試みたことがある。

サイキカル界もノエティカル界も、
7つの階層がさらに7つに分かれていて、全部で49階層あるのだけれど、
ちょっとそれだと判りにくいので、
大きな階層が7つに分かれていて、
これを第1層、第2層、第3層・・・として、
その一つ一つの階層が、さらに7つのエリアに分かれている、とします。
エリア1、エリア2というように。

※すると、第4層のエリア3は、全体では24階層ということになる。
 ちなみに物質社会であるこの『現実』は三次元で0階層。
 ややこしいから説明しないけど、これらは階層として段々にあるのではなく、
 同じ場所に重なり合って存在しています。


で、地獄として表される、第1層の7つのエリアは勿論として、
第2層の7つのエリアの汚れというか、ネガティブエレメンタの量は、
ホント半端なく、気持ち悪いなんていうものではなかった。
人である我々が作ってきたものとは言え、すさまじい。

そして、第3層の7つのエリアも質が違うとは言え、醜いものてんこもりで。

しかし第4層の7つのエリアは、わりかし軽く、
下の三つの階と比較すると、まあまあキレイかなあ、と。

けれど、侮れなかったのが、第5層。

ここには一度、あるレベルに達して、『わかった』人たちの、
その後に引っかかるものがぎょーさんありました。

第6層、第7層にいくと、やはり上に行くに従って、なんで楽ですが。


このワークをして知ったのは、
何も知らない状態の、下層にいる人たちよりも、
なまじ一度、上に上がることのできた人たちのほうがタチが悪いというか、
そういう人たちの作り出す欲望のほうが厄介だということです。


ええっと、その前に頭の上?の人が多いと思うので説明します。
ただ、はしょりますね。全部説明するとかえってややこしいので。

まず階層というのは、その人の魂のレベルとでも思ってください。
実際は違いますけど、とりあえずそう仮の理解をしてくださいまし。

サイキカル界の階層はその人の『心の肉体』の成長レベルを表します。
ノエティカル界の階層はその人の『精神の肉体』の成長レベルを表します。
つまり、それぞれの肉体がどの階層にいるか、で霊的レベルがわかる。

第1は低いとこで、徐々に上あがって、第7が一番高いとこ。
で、それぞれの階層もさらに七つのレベルに分かれていると。

第5は、その下にあるレベルより、はるかに進化しているというか、
上のレベルの人たちが属している場所なはずなんですが、
そこが、意外と汚れていて、エゴイズムがてんこもり。
しかも、下に階層にあるものより手強く、醜悪で、なかなか浄化しない。


私はこれを体感したとき、

「だから、スピな道に行く人で、
 精神性が高くて、いい線行っている人ほど、
 罠にはまっちゃっいやすいんだな」

と気づかされました。


すいすいと上に上がったと思いきや、
みんな一度は必ずといっていいほど、誘惑を受けるというか、
罠を仕掛けられるんですが、それがここなんだなーと・・・

その後、第6とかまで上がれれば、抜けられるんだけど。

第5まで上がれた段階で、そこがお山の頂上で、
『自分はずいぶん高いところにいる』とばかりに、
自分はその山を制覇したと高らかに誇るけれども、
実際はまだまだ途の途中で、頂上未だ通し、なんだけど。

で、第5の入り口、エリア1から5くらいのとこで、
そういう誘惑にはまりまくって、自分が罠に陥ったとも知らず、
頂点を極めたと勘違いして裸の王様になって、いきがるものの、
エリア6、7に行くと、まだまだその先、山の高い部分が見えてきて、
「未だ己は何も知らず」状態であることに愕然とさせられる・・・と。

なんかそんな感じ。

そうさね。
登山してて、吹雪とか霧とかで頂上が見えないけど、
山の中腹やら下界の町並みとか見れてて、
自分がいるとこがいっちゃん高いとこで頂上だって勘違いして、
旗立てて、この山を制服したぞ!とパーティ開いてお祝いするものの、
少しして吹雪や霧がはれて、
まだお山の半分も登ってないじゃーん・・・
って、ことに気づいて愕然として、

恥ずかしさに穴が会ったら入りたくなる

それがこの階層やねー


うん。誰もがここ通るんですよ、たぶん。

もちろん、罠にはまらず、誘惑にも乗らず、
謙虚にもくもくと、この成長過程を通り過ぎていく人もいます。
人それぞれですから。

けれども、誘惑に溺れて、回り道をし、
道草と無駄な時間をたくさん過ごしてしまった人も、
いつかは、ハッと我に帰り、ここから先に進もうとする日が来るわけで。

その幻覚に惑わされている時期が短いか長いか・・・

自分が引っかからなかったからといって、
騙されてしまった人を、囚われてしまった人のことを
責める資格は誰にもないのでしょう。

とにもかくにも、一度その同じ場所に来て、
同じ経験をしてみないことには、ですし。


少なくとも、引っかかってしまったことのある私には、言えませんっっっ
目糞鼻糞を笑う、になっちゃうし。

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