2015/11/05

スピリチュアル・ナルシズムとエゴイズム①

先日、月に一回近所の教会にて行われる、
無料のオルガン・メディテーションに出かけたときのこと。

よく出入りしているのにも関わらず、
教会独特の椅子の仕様が、
どうしてあの形なのか知らなかった私。

てっきり、"足置き"なのだと思っていたなら・・・
少し離れて座っていた年配の男性が、

「そこは跪くところであって、足を置くところではない」

と強い口調で。

知らないとはいえ、してしまっていた失礼を、
注意して教えて頂いたのはありがたいこと。
若いときの私なら、ムッとして反発してしまったろうが・・・
今は多少丸くなった私(身体も)は素直に謝れたり。

その方はミサのときの斉唱も声高らかに朗々と。
たぶん、熱心な信者さんなのだろう。

そして、
自分は正しいことをしている(言っている)という自負があり、
いかに己が上から目線の物言いをして、
愛を説く宗教に帰依し、それに従属していながら、
もっとも愛が無い行為をしているとは、気づいていない人なのだ。

別に責めるつもりはない。

そういう人はたくさんいるし、私も人のことを言えた立場ではないので。

私自身も過去に、この人のような、
欺瞞に満ちた虚栄心に振り回されたことは多々あるし、
正義や常識を振りかざして、おのが正しさを証明するかのように、
他人を責めて、糾弾したりジャッジしたことはある。

他人のふり見て我が身を・・・というわけで、
己が姿を振り返り、映し鏡として教えをくれたことに感謝するのみ。


それがいつかは判らないけれど、
この人も私のように、
いつか自分の思想と行動の矛盾に気づかされ、
己がエゴイズムの醜悪さの前に驚愕させられる日がくるのだろう。


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いと尊き教えにつかえ、素晴らしき思想に導かれていながら、
低俗なエゴイズムの虜になっている人は大勢いる。

例えばスピリチュアル、
霊性の高みや精神の崇高さを目指す人たちも例外ではなく・・・

とてもがっかりしたことでは、
無償でとあることを教えている人たち・・・がいるのだけれども、
その公開セミナーに知人数人と参加させて頂いたときのこと。

講師となる人は海外の方で、
続けてこられるときもあるけど、毎年必ずというのは無理で、
それも東京だけだから、その方のお話を聞きに、
全国遠いところから飛行機やら何やらで、
高い交通費をかけてくる人もいるのだけれど、当時の会場は狭く、
椅子が足りないので、床に直に腰掛けるしかない人たちが多々。

けれど、いつも「愛ある知識」を教わっているはずのスタッフたち。
前の席を独占して、誰一人としてまったく譲る気配もない。

『わざわざ遠いところから、セミナーに参加してくれて、
 話を聴きに来てくれてありがとう。
 私たちはいつも勉強会に参加できているし、
 別の日に私たちだけ講義を聞ける日があるから大丈夫。
 どうぞここに来て、彼の近くに座って、話を聞いてください』

とは決してならず。
いやさ、期待することではないが・・・。


そして、これは三年前のこと。
車椅子の知人と聞きに行ったとき。
専用のスペースがないので、なるべく他の人の邪魔にならないよう、
私の席の隣、奥の通路に彼女に居てもらったのだけれども。。。

その会の主催者の人が、

「困るんだよねー 他の人が通れなくなっちゃっうからさー」

この言葉には唖然とするしかなく。

いったい、この人は何を学んでいるんだろう?

なんだろう・・・この人が言う「愛」って。
主催者でありながら。
何故にこんな無神経で差別的で独善的なんだろう?

この人は、この知識を「善きもの」として信じ、
多くの人に良いものを提供し、
学びの場を与えているという矜持に酔っていて、
肝心の「教え」を実践していないではないか・・・??

本を読み、話に対して聴く耳を持っているならば、
「知識」がいうところの「教え」を理解しているならば、
その学びの言わんとしていることを真に、
心に、身体に刻んでいるならば・・・

人として基本的に大切なものが、
欠けているものなぞあろうはずもなく、なのに。


憤りを通り越して、とてもがっかりした。
実に残念な出来事でした。

その別の年も、
別のスタッフの人が、実に思いやりの欠片もなく、
困ったような、邪険にするような対応をする人がいて、
(親切な人もいたけれど)悲しかった。

思わず、
「ここの人たちは、本当に愛が足りない人たちだなあ」
って、呟いちゃったり。

なんていうか、そういうのは日常の別の場では、
遭遇することも多々あって、それはそれで残念ながらも、
世の中にはそういう人もまだまだ多いからってそれで済むけど。

霊性やら道を説く、愛がうんぬんって言ってる人たちが、コレかいって。

ああ、でも。。。それが現実。


当時の私は、まだまだ青かったから、
彼らのそういうところに幻滅すると同時に、
期待を裏切られたかのように、憤って、批判して、
ぎゃーぎゃー反発して、ぶーぶーと文句たれたれでしたが。


でも、手塚ブッダに出てくるアナンダのごとく、
そういう、未だ道のり遠き人たちだからこそ、
彼の教えのより近くにいる必要があるんだって、
そう気づかされたのはしごく最近のこと。

愛を知らぬ人たちだからこそ、
より深き愛の側に居て、慈悲の輪に触れる必要がある。
真理にもっとも遠いところにいて、それと気づかぬ人たちだからこそ・・・
真の奉仕の精神を持たぬ、知らぬ人たちだからこそ、
いと高き学びのために尽くさなければならない・・・

そしていつか彼らも知ることになる。

鏡に映った自分たちの本当の姿を見て、
自分たちの中に巣食うエゴイズムを自分と信じていたことに。
己が傲慢さの罪を知ったとき、恥ずかしくて、
きっと死んでしまいたいくらいに辛い思いをするのだろう。

きっと、それらすらも見通して、
導き手である目に見えぬ人たちは、彼らを赦しているのだろう。

彼らを裁くのは彼らの良心のみ。

疑問を投げかけて、彼らを否定し、
彼らともどもに彼らが信じることを、彼ら自身が顕すことと同じと、
そのように毛嫌いしたり、捨てることはたやすいけれど。

少なくとも、彼ら自身が教えそのものではなく、
人は過ちを犯すもので、
無知であるが故のことであるのだから、
彼らが信じるものと彼ら自身をば、切り離して考えるべきなのだから。

そして、彼らの姿をして、学ぶものもある。
知ることがすべて。
気づきを与えてくれるものは皆。

すべての存在は教師なのだ。


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震災の後、
ある宗派のおエライ坊さんの意識とたまたまコンタクトを取り、
彼の嘆きと哀しみ、憤りをキャッチする機会があった。
(とりあえず、日本の将来を心配しお嘆きのKさんとしておく)

相当古い人物なので既に霊ではなく、エレメンタルではあったが。
(※その時代にその人物であった、想念としてのパーソナリティ)
彼曰く、

「何故、みな山を降りんのだ」

ということであった。

つまりは、

こういう時だからこそ、僧侶の出番であると。

一体、何のために仏教を勉強してきたのか?
日頃から経を読み、仏陀の精神を学んでいたのは何のためか?

愛するものたち、家族や友を失い、何もかも、
心の拠り所とすべきものを失って、
途方に暮れている人たちにこそ、仏の道、教えと導きが必要なのに、
山を降り、野宿して、彼らのために走り回り、
心の寄る辺、なぐさめとなり、死した家族の話を聞き、
ともに冥福を祈るなど、被災者の心に寄り添っていくべきなのに、
それがための僧侶であり、
こういうときのための日頃からの修行や勤行なのに・・・

宗派が異なっていたとしても被災して損壊した寺の復興を手伝い、
自分たちの仏像の一体でも二体でも、寄付すべきなのに・・・

ただ山や各々の寺にて、キレイな僧服を着て念仏だけ唱えていても、
それのどこに「仏の教え」があるものか・・・と。

そういう静かな怒りが伝わってきて、虚しさを共に感じたり。


でも、私も募金以外何もできなかった人なんで、耳痛いですっっ。

そして、誰一人として、
そういうお坊さんや聖職者の人たちが
いなかったということはないと思います。
多くはないけど、見えないところで、
目立たずにそれをしていた人もいたはずですから。

このKさんの怒りの矛先は、この場合、
彼を創始者として崇め奉る本流の系統の人たちのこと・・・かな~と。

きっとKさん曰く、
「俺の教えたことを実践してないなーてめえら!
 俺が何を言いたかったか、何を伝えたのか、
 俺の教えを全然わかってねーじゃねぇか!」

ってトコなんでしょう。

たぶん・・・


まあ、そうですね。
お坊さんも今の世では職業であって、道ではないし。
お商売としての仕事という風に捉えている人が多いのは事実で、
これも致し方なしのような気がします。

教育現場に熱血先生を探しても見つからないのと同じで。
(ロリコンか安定した公務員目指した結果という人は多いし)


Kさんみたいに熱い人には、理解できないというか、
嘆かわしい現状でじれったい事実なのでしょう。

それはどんな宗教に関しても同じで、
創始者といわれる人たちは、どの人たちも、

「こんなはずじゃなかったのに~!」と

仏陀もキリストもマホメットも、その他大勢の人たちも、
仲良く一緒にこたつでお茶しながら、
ため息ついて、怠け者の自分の崇拝者たちのことを
嘆いているのかも知れません。

そして、

「勝手な解釈してくれちゃって、、、
 私、そんな意味でいったんじゃないのに・・・」

「全然、隣人を愛してないしー」

「ダメだこりゃ・・・キリストちゃん、も一回
 地上に生まれて、奇跡起こして磔になってきてよ」

とかとか呟いているかも。


それじゃ『聖おにいさん』になっちゃうかっっっっ笑

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