2015/10/31

スピリチュアル・カルテNo.13「魔女狩りという冤罪」

ファイルケースNo.13「Tさんの場合」


私自身、魔女裁判で処刑された過去生を経験していますが、
セッションには、同じ痛みや経験を持つ、かつての仲間というか、
同様の冤罪で殺された犠牲者に出会うことも少なくありません。
まあ、魔女狩りは数百年も続いた無知と偏見、
集団ヒステリーによる非人道的悪法ですし、
歴史の一部にさえなっています。
被害者の数はナチスの虐殺の非ではないですから、
確率的には珍しいことではないでしょう。

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さて・・・
紹介でN県からわざわざいらして下さったその方も、
かつて魔女狩りの犠牲者になった過去を持つ方でした。

もともとは東京出身の方でしたが、
結婚してダンナさんの実家であるN県に行かれたのです。
ヒーリングに関係する会社に勤務していたことがあり、
併行してその技術も習っていたので、
まったく知識がないわけでなく、セルフヒーリングも出来る方ですが、
そういうことからは遠ざかっているとのこと。

彼女のオーラをチェックすると、
驚いたことにコンクリートで固められたようにガチガチになっている。
部屋でいうと、窓も扉もない状態。換気もないし、
光も射さないってな感じです。

※こういうのってあくまで私が捕らえるイメージ。
私がそのように感じる、そうした印象を持った、というだけです。

固めているから、
外から何も入らないかわりに中にあるものも外に出て行けなくなっている、
そういう状態のように私には写りました。
もしかしたら、
なまじヒーリングの知識を持っているがゆえに、
オーラプロテクションの仕方を間違えた結果、
起きてしまったエネルギーの不活発??

そうともとれるし、彼女の一種の「心理状態」を表しているとも言えます。
つまり、ガードの固さ、です。
他人を寄せ付けない、私に近寄らないで、
触れないで、私の心を覗かないで・・・
というような、無意識の防御。
そして、彼女自身も誰にも歩み寄ろうとはしない。
結果としてのそのことが彼女自身の孤独を深めてしまっているという。

「守り」というのは・・・要塞というのは、
時に、それ自身が自分を閉じ込める「檻」になってしまうものです。
※篭城という行為が、必ずしもその中にいる者たちを守るとは限らず、
戦争という場において、自分たちを追い詰め、
葬るための棺おけになってしまうように。

彼女はガヂガジにオーラの周りにバリアー?を張り巡らして、
「入るな、よるな、触るな!」をしていたものの、
それでかえって窒息状態を起こしていたのですね。
(まあ、酸欠にもなります)

オーラの周囲にバリケード張るのは間違いではないけれど、
邪悪なものは紫外線のようにカットしても、
「光」と称される善きエネルギー、プラーナ(氣)や他人の愛や善意は
受け入れられる体勢でいないと、滞るばかりですから。
また、邪悪なものは弾き飛ばすのではなく、
触れたらそれらを蒸発させてしまうものとして作らないといけない。
※これはあくまで、ヒーリングにおけるテクニックの話

Tさんに今の状態を説明し、正しいオーラの外壁の作り方をアドバイス。

もっとも、私自身はその時点でヒーラーを初めて二ヶ月目のペーペーで、
ヒーリングスクールに通ったこともないのに、
ちゃんとしたスクールで本格的知識を身につけた人に
エラソーにアドバイスするなんて・・・なんて生意気だったんでしょう。
(生意気なのはいつでも何処でも)

ベッドに横たわってもらって、エネルギーを流しはじめると、
オーラだけでなく、
彼女自身のエネルギーボディも「固められている」ような気がしました。
なんていうのかしら、治っていない傷の上から縫合してしまったような?

そう・・・まるで生ゴミを埋めて、
それがきちんと腐って土に返っていないのに
上から蓋をしてしまったような・・(どういう例えだ)。

つまりは治っていないのに、
治ったものとして処理しちゃったような感じ。

私は傷口の上に塗り固められたコンクリートのようなギブスをかちわって、
その下から出てきた傷口を開いて、
その中にある、まだできっていない膿を出し、
その膿の原因になっている異物を探す・・・というイメージを用いることに。

こういうのはあくまで比喩です。イメージです。
エネルギーをいじくるって、なんかまあ、そんな感じ。
どうしてそのように見えるのか、そのように自分が処置するのか・・・
なんでって理由は説明できないんですよ。

そして、出てきた化膿の原因たる「もの」を取り出し、
傷口を洗って消毒し、異物の変わりに薬を入れてから縫合する。
その傷口の上にも薬を塗って、新しい皮膚で覆い、
包帯のような「窒息」しないものをかぶせれば終わり。

やってることはこんな感じです。
ケースバイケースだけど、このときはそんな処置。
あくまで、そういう「イメージ」を用いて、施療をしているということ。


そうしたことをひととおり終えると、
彼女の過去の情報が見えてきた。

中世のヨーロッパ(東欧っぽい)の時代に生きていた彼女は、
今と同じく主婦で、子どもがいた。

けれども、その時代の彼女は今と違って気が強く、
ダンナさんとは毎日のようにケンカばかり。

ある日、いつもの夫婦喧嘩で頭に来た彼女は、

「あんたなんか、悪魔に取り殺されてしまえばいいんだっ!」
と、勢いで悪態をついてしまった。

別になんてことのない夫婦喧嘩で、いつものことではあったものの、
それをたまたま近所の人に聞かれて、ちくられてしまったわけです。
間の悪いことに翌日、
仕事に出かけたダンナさん(職人)が怪我をしてしまったので。

そして、拷問の末、火あぶりに。
異端尋問では、レイプはもちろんのこと、
ヘンな形をした椅子の拷問器具を使われたので、
お尻がめちゃくちゃになっていたのね。

『魂』にその傷(記憶)があるせいか、
彼女はじっと椅子に座っていることができない人になってしまっていた。
「立っているほうが楽なんです」と。

また、もともと近所の人の目が気になるという傾向があって、
東京に住んでいたときはまだしも、ダンナさんの実家という慣れない土地、
かつ周辺住人との付き合いの濃いところに住むことになってしまったから、
そのストレスはハンパではなかった。

それは、ご近所の人に単なる夫婦喧嘩での悪態を「ちくられた」結果、
むごたらしい死を迎えたトラウマから来るものだったよう。

それは無理ないだろう・・・。

彼女自身、ヒーリングやそうした事柄の基礎知識があるから、
その一回の効果には目覚しいものがあって
(受け入れる姿勢などあったので)
また、強力な「守護」がついていたお陰で、
一回で何回分かのエネルギーのエネルギーが注ぎ込まれ、
施療が進んだりなんかして。
※この場合のエネルギーって、生体エネルギーというか、
気、プラーナと呼ばれるものと考えてください。

これはわたしもびっくりさせられたことでした。

ちなみに下記は、セッションが終わった後に彼女から頂いたメールです。

「こんにちは○月○日にお伺いしました、Tです。
先日は、ありがとうございました。
待っていたときが来た~と少しわくわくしながらお伺いしました。
丁寧でそしてパワフルで明快なヒーリングをしていただき
ほんとうにありがとうございました。
まだ、体が少しだるいですが(戸惑っている様子です)
自分に美味しいものをお腹一杯たべていいと言う許可が伝わったようで
よく食べるし、よくお腹が減ります。
いままでお腹が減ることがすこなかったな~
ご近所への過剰意識も少なくなり家が快適になりつつあります。
こうして座っていても、焦りも少なくなり、時間がゆっくり流れつつあります。
お尻の傷はゆっくりいやしてあげようと思っています。
いろいろな過去生が明確になり、癒され、今生の、目的も 明確になり・・
本当にありがとうございました。
また、お伺いすると思いますどうぞ宜しくお願いします。~略」


何を食べても美味しくないというのは、
肉体を生かそうとする意志がなかったせいもあるし、
食べ物によって死んだ過去もあったから。
この後、再びきてくれたときにはもうかなり元気になっていた。
普通の人なら数ヶ月かけておこるようなことが、
彼女の場合にはたった一回のヒーリングでおこってしまったのは、
私も驚かされたケースでした。

さて、
彼女の過去生のひとつに修道女というか、
教会の中で「聖人」の遺体?遺物?の
お世話をする係をした人生があったりしました。
その「聖人」は腐らない遺体として、人々に公開されている模様。

どことはいいませんが。
まあ、有名な場所だけではないのかも、
知れないし・・・あそこかもしれないし。
彼女はその遺体を実に丁寧に世話していました。
大事に、尊敬と愛情を込めて・・・。

そんな「過去」のご縁が、今生の彼女の人生をサポートしている。
そのときに彼女はたくさん「徳」を積み、
良質なエレメンタルをたくさん作ったのでした。
セッションのときに大量に彼女に流れ込んできた、
大きな「愛」のエネルギーは、
かつて彼女が遺体をお世話した、
聖人からのギフトだったのかも知れません。

前世の「徳」は、確実にその人を支え、
後の人生の「助け」になるものなのです。

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魔女狩りにおいて、
悪魔の使いとしてキリスト教に殺されたことのある人間が、
別の人生では熱心なキリスト教徒だったりすることは多々あることです。
ときに単なる信者ではなく、牧師や司祭や修道女だったりすることも。

魔女狩りは人類の汚点のひとつだと思うし、
宗教が犯した多くの罪の中でも、
大罪に数えられるのではないでしょうか・・・。
(中近東との確執の種を生んだ、十字軍もそうですね)

本当の信仰であるならば、人が人を裁き、殺す宗教など、
どこの世にもあるはずはないのです。

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