2016/05/27

先日のお題~inグループレッスン

スピリチュアリズムや真理の探究が学びの核にあるとは言え、
グループレッスンで行うのは霊的エクササイズばかりではありません。

もちろん、ヒーリング(ハンドヒーリングやサイキカルヒーリング)、
イメージワークやチャクラワーク、リーディングもしますけど、
家族やパートナーに対するサポートをしたり、
それぞれが抱えている問題について話し合ったりの他、

過去の歴史や事件、リアルタイムの時事について、
知ってもらい、考えたり感じたりする機会を持ってもらっています。

ちなみに前回取り上げたテーマは「洗脳」


洗脳の歴史と、もっとも代表的な10の手口(テクニック)、
そして、洗脳状態で起きた事件などについて。

カルト宗教が起こした事件だとガイアナの人民事件とか、
政治思想絡みだと中国の朝鮮戦争時、旧ソ連のシベリア抑留とか、
エリザベス・ハーストの事件とかストックホルム症候群についてとか、
奇跡を起こして人心掌握とかマルチ商法のテクとかとか・・・

障り程度で、そんなに詳しく専門的な講義をしたわけじゃないけど、
スピリチュアルに関わっているからこそ、
そこに潜んでいる陥りやすい穴についてきちんと知ってもらわないと、
・・・ってのがあります。

で、調べてみると、オカルト事件簿っていうのか、
宗教家や霊能者や祈祷師もどきが起こした事件も結構ありますね。
ライフスペースのミイラ事件とか横浜の悪魔祓いバラバラ殺人が、
有名ですけども、似たような猟奇的な事件がたくさんあったりして。
なんで繰り返されちゃうかな、こんなこと・・・とも思いつつ、
ちょっと考えれば変だってわかりそうなものなのに、
異常心理状態にあると、人は理性を失くしてしまうのでしょう。


 無学は人を貧しいままにし、
 無知は人を愚かなままにさせておく


とはよく言ったもの。


確かにエレメンタルは筋肉に入りやすいし、
他人の意識(肉体を失った幽体と霊体)は骨に入りやすい。
そしてオーラにもくっつくし、
最終的にエーテルセンター(チャクラ)にも入りこむこともある。

オーラにくっついている状況なら、
音などの波動(柏手や音叉や鈴)で離れていくし、
身体に入り込んでいる場合、電気ショック的な衝撃で
それらが離れていくことは昔からよく知られていたりする。
なので身体を叩くことは時と場合においては有効だけども、
だからといって、肉体を傷つけるほどの暴力や
殺してしまうほどのダメージは酷すぎる。

そのような肉体に負担をかけるような
最悪の切羽詰まった方法を取らずとも、
憑依の問題にアプローチして穏やかに解決を図るのが、
霊的職業に就くもののお役目ではないのか。

それが出来ないなら、そのような肩書きは名乗るべきではないし、
肩書きの元に行われるそれは仕事とは言えないではないか。


と、あれやこれや思ったり。



現実に起きた事件などについて、レッスンで取り上げるのは、
過去の出来事や人々の生き方から学ぶべきものが多いからです。

知ること→感じること→考えること
→そして知ったり感じたり考えたことを現実の生活に生かすこと

知ることと考えることは、ノエティカル体(思考・精神)を育てます
感じることは、サイキカル体(感情・感覚)を育てます

それらを現実の世界に役立てることは行動であり、
マテリアルボディ(肉体とコミュニケーション能力)を育てます

大事なのは知恵と愛と力・・・を鍛えることですね。

知恵だけ、愛だけ、力だけに偏らず、
全てを平均的に育てていくことが、
真理の勉強における霊的成長の道の理想でもあります。


そして、知識を持っていれば・・・
いざというときのために備えることもできます。
それは自分のためだけでなく、家族や身近な人にとっても、
役立つ知識を蓄えることにもなります。

過去のあらゆる事例を知っていれば、
似たような事例に出合ったときに対処すべき方法・・・
すなわち知恵や行動を見つけることも出来ます。

知ること、情報を得ることってとても大切です 。

考える力を育てることも 
自分の考えを持ち、意見をいう習慣を身に着けることも
感じる力ももちろんのこと。
でないと自分のことがわかるようにはならないし、
他人のことを理解してあげられる人になることができません。

自立した精神と、他者を思いやる豊かな心と
学んだことを実践する実行力や、
自分の意見を言うことができる発言力を磨けば、
しっかりと自分を所有することができます

そうすれば、他者の意見に安易に影響されて振り回されたり、
他者の持つ力(霊能力や権力)に依存して、
刷り込みによる「洗脳」を受けることもないのかも知れません。


まあ、そうですね。

私がある日突然イカれてしまって、
「神のお告げじゃあ~」とか言い出して、生徒さんたちに
妙なこと(ハダカで輪になってダンス・・とか?)を強要したり、
「悪魔がヌシについておる!」とか誰かを棒で叩き始めたり、
「私は世界を救う救世主で、新世界の神となる」とか、
ナルシーなうわごとを言い始めたりなんかしたとき、

生徒さんとかクライアントさんが、
「アルマさんの云う通りにすれば間違いない」と、
そうした行為に一切の疑いも持たず、
うるんだ瞳で「ステッキっっっハァト」になっちゃって、
「何処までもついていきますわ」じゃ困るんですよ、
それじゃダメなんです。

むしろ、
「はあ? 何言ってんの? 何かとりついた?」
「とうとう頭おかしくなっちゃった?」「ダメだこいつ」
とかにならないと。

生徒さんほぼ全員が私と同じこと言い出したとしても、
多数決に流されず、「やばい、こいつら相当やばい」
と、いう人がいないとダメなんですよ。

ていうか、皆私の言うがまま成すがまま子ではなくて、
きちんと自分の頭や感情と感覚使って、
物事を判断できる人になってくれないと・・・意味なし。

そうじゃなきゃ、こうしたスピリチュアルなレッスン、
霊的探究つかー霊的成長のためのレッスンを
たくさん時間とお金をかけてしてもらっている意味が
全くないのでありますのよ。



そのためにも過去の出来事を知って、
知識や情報を得ることって大切、
他人と関わることももちろんのこと。


思うに、スピリチュアルな道の探究者となり、
霊的な成長を覚醒を目指せば目指すほど、
人は、社会や他者との交流や関わりあいを
大切にするべきなのだと実感します。

霊的な探究ってつまりはそういうこと。

スピな話はわかる人にしかわからない特殊な話だけれども、
だからこそ、スピな話をする人々だけと固まることはせず、
自分とは価値観が異なった人々との関わりあいも大切にして、
住む世界が違う人、世代も職業も種々様々な
色んな価値観を持った人々と交わって、意見もたくさん聞いて、
世俗を生きて、人と触れ合う機会を持つことってとても大切だと。

偏った関係に固執せず、自分と合わない人ともそれなりに、
誰と関わるか、確かに友や仲間は選ぶべきではあるけれど、
自分に厳しいことを言ってくれる人や、
昔から自分を知っている友人関係も大切にするべきですね。



で、当日は「洗脳」以外で、
「練馬一家殺人事件」をとりあげたけど、
これは皆にはグロッキーでヘビーだったかな。
スプラッタ要素ありありなのでっっっ

躓いた人生をやり直したいと思ってた短期で短絡的で、
思慮が浅いけれども、普段は人の好い平凡なおっさんが、
憎しみと怒りに囚われて、視野を狭くし、
エゴイズムに支配され、心に狂気を宿し、
猟奇的な事件を起こしてしまう・・・

人間はかくも愚かな生き物で・・・弱いものであり。

して、ある日突然ふつーの人が悪魔に代わってしまう。

エゴイズムの怖さと、それが人間てもんだってこととか、
まあそのあたりのお話しとか。

被害者にしても加害者にしても、
どうすればこのような悲劇を避けられたのだろうかとか、
そんなこんなを話し合ったりとかね。

うん。一見スピリチュアルとは関係ないような、
この手の話が人間を知る上で一番良い教材で資料になるし、
多くのことを学べる現実だったりするのです。

現実の中にこそ、学ぶべきことがたくさん隠れてます。
何故って私たちはこの三次元に、現実社会に生きているから。

現実離れした、おとぎ話みたいなことが
スピリチュアル(霊的事象)ではないのです。


ていうわけで、うちのレッスンはこんなだったりする。







2016/05/07

易者身の上知らず(下)

この仕事をしていると、

何年か毎、あるいは一定の周期で、
人間に対する不信感と嫌悪感でいっぱいになり、
世捨て人のように誰とも関わらずに隠遁して生きたくなる。

人々の持つ欲に毒されるというのか・・・

同業者の中には
猛烈な人間嫌いに陥ってしまう人もいるし、
心身ともに病んでしまう人もいる。
(上)で書いたように、
毒と同化して、心がねじ曲がってしまう人も。

それほどまでに人間の持つ欲望(エゴイズム)は果てしない。

占いにしてもスピリチュアルな仕事にしても、
人間のむき出しの欲望に触れ、
毎日それを直視させられ、接さざるを得ない仕事なので。

人は弱いものだし、罪深い生き物だから、それは仕方ないし、
許容範囲として寛容になる視点もないことには、
この仕事を始めることも続けることも難しい。

それでも辟易して心が折れることは数限りなくある。

モンスターさんも多いしね。

変態さんはさほどいないけど。
メンヘラさんとボーダー(境界線人格障害)は多いかな。


私がこの仕事をするようになったのは、
自身の個性というか資質のせいもあるけれど、
もともと「人間」や「人の運命や生き方」に興味があって、
ヒューマンドラマが好きだったことが大きいと思う。

だけど、この仕事をしていると、
「人間っていいもんだな」と思うよりも、
「人間って残酷で醜くて、イヤだな」っていう気持ちが
あっという間に飽和状態MAXになって、
しばらく離れて休んで、一度リセットしないことには、
どうにも耐えがたく、自分を保てなくなってしまう。

自分自身もその醜いところをたくさん持った、
愚かしい人間の一人だというのに。
そこは傲慢なもので。


この仕事自体はとても好きなんだけれども、
クレイジーなモンスターさんに立て続けに出会ったり、
自分の力不足を実感するようなことに出くわすと、
気持ちが萎えてモチベーションは下がるし、
人間が嫌いで嫌いでたまらなくなり、
内にこもって誰とも関わりを持ちたくなってしまう。

だから、時おり休業して、毒を抜く必要があるのかも知れない。


☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆


とある誌面で有名な霊能者さんが、
もともとクライアントさんだった方と、
アシスタント的なポジションで関わるようになったものの、
なんかまあ、色々あったらしい・・・。

また、別の話ではとある正統派の漫画家さんが、
ちょっとオカルトっぽい作品を描いたときに、
そっち方面が好きなアシスタントさんが集まったらしく、
最初は詳しいので頼もしいと思ったものの、
あれやこれやに巻き込まれて、振り回されて消耗し、
その手のことに興味示す人とは金輪際関わらないことにした、
という話も聞いた。

また最初は親しかったであろう
霊能者さん同士の仲がおかしくなって、
一方は沈黙は金也を貫いているが、
もう一方は取り巻き?を巻き込んで、
ネットで相手を叩いての誹謗中傷・・・というのもある。


はたで見ていて、こういうトラブルが生じてしまうのも、
なんか納得してしまうものがある。
どうしてもそういうことが起きてしまうっていうのが、
察せられるというのかなあ・・・
どちらかが悪いというのではなしに。
互いにとって不幸なことだけど、そうなっちゃうんだよなって。


もちろん、普通の人間関係だって、
会社だって、家族もご近所同士の付き合いも、
人が複数集まると問題というのは必ず生まれるし、
摩擦が起こって、壊れてしまう関係もあるから、
この手の職業だけに限ったことではないのだけども。

この職業に従事しているものだからこそ、
巻き込まれやすいトラブルがあったり、
最初まともだった相手が途中でおかしくなってしまう、
といったことで破たんする関係もあったりする。

(こういうのは誰もが回避したいと思っているけれど、
サイキカル能力の強い人は
本人が望むと望まないとに関係なく、
良くも悪くも周囲の人に影響を与えてしまうので。
これは相手の資質と内在する問題によるところが大きい。
相手の本質や問題を引き出してしまうというか、
善心の強い人ならより強い善を、
悪心の強い人ならより強い悪をって感じで・・・

何故なら、サイキカルなパワーの強い人は、
周囲にいる人のエレメンタルに力を与えてしまうから、
結果的に元々持ってた資質を強化してしまうのです。
別の云い方をすれば、本質を剥きだしにする、みたいな。

だから、サイキカルな能力の強い人が
周囲の人に悪い影響を与えているということではなく、
その人が抑制して隠していたものが表に出てくるって
そんなとこ。とはいうものの、
確かにサイキカルな人が、邪氣やネガティブを吸い尽くし、
汚染されまくっているときは感染させちゃうけど。

中には良い資質が磨かれてくる人ももちろんいるし、
一緒にいるだけでサイキカルな能力や
スピリチュアリティを覚醒させる人もいますから)



お金のことで言えば、

お金のあるところに人の欲望の渦生じ、
お金のあるなしは人の本性をむき出しにする

というように、

サイキカル能力(霊能力や神通力)に関しては、

それを利用しようという依存や支配欲、
そしてそれを崇拝する憧れを超えた盲信や嫉妬等

などが生じやすくなる。


例えば、小さいトラブルでは、

相手が占い師と知った途端、
「じゃあ、占ってよ」と手を差し出してみせる人。
(すべての人が手相観ではないというのにww)

「プロだからお金は貰うよ」と言うと、
「友達からお金を取るの? ケチ!」と言う人。

そういうのは業界アルアル。

「おしゃべりしたいから、会おうよ」と出かけたならば、

普通の世間話と思いきや、完全に悩み事の相談話で、
普通の友人同士の範疇なら問題ないし、
せめて食事奢るから相談に乗ってなら可愛げがあるものの、
いかにもな、こちらの職業上の視点(視方)を期待した、
その手の情報を引き出そうというのが見え見えな時には、
うんざりを通り越して、あきれるばかりで。

そんな出来事の末に、友人知人のFOやCOも皆通る道。



中には悪意やハラスメント的なものもある。

「そういう仕事している人なら、
こちらが何も言わなくても、何でもわかるんでしょう?」

「ヒーラーなのに病気になるんだ」

「占い師のくせに、何であの人ヘンって見抜けないの?」

「占いや透視出来るんなら、
当たり馬券とかロトとか判るはずでしょ?
それが分からないなんてインチキじゃん」

みたいな挑戦的な人も序の口。

差別と偏見では、

「うちのお店のこと、書かないでくれる?
ヘンなお客さんが増えると困るから」

「そういう職業の人と関わっているっていうのがバレると、
自分もそんな目で見られるから」

みたいなのとか。


後はそう・・・

不用意に「視えた」ものを話してしまったときには、
「気持ち悪い」「コワイ」みたいに言われ避けられるか、

昔職場で、世間話していたときに
不用意にも相手の実家の間取りとか、
裏庭にあるモノについて言ってしまったならば、
噂が広まってしまって、
あれやこれやどうでもいいことを女子たちから質問責め。
(私の未来のダンナさまはどんな人~みたいな)

仕事中だし「分からない」と断ったり、
彼女たちの好奇心を満たす求めに応じず、
希望通りの回答を得られないとみると、
途端にそれが誹謗中傷に変わっていく。
あることないこと尾ひれもついた噂話も流されて。

まるで魔女狩り、異端尋問の再来だなと苦笑するしかなく。

ホント、いつの時代でも何百年経っても人間は変わらない。


☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆


さて、そうですね。

先の記事で、私はマルチとか上手い話とか、
自己啓発とか宗教の勧誘とか、
そういうのにはアンテナが働くとは言ったものの、

「お金がなくて、生活が苦しい」
「困ってます」

・・・みたいな、情に訴えかけてくる「泣き落とし」にどうも弱い。

一言で言うと甘いとしか言いようがないのだけど。

この辺りに関しては
我ながら学習能力がないものだと、反省しかり。

ボーダーに絡まれやすいのは、
私自身のガードが甘く、ボーダーが曖昧だからだろう。



学生時代、「一人でいるのが寂しい」とか何とか
泣きつかれて、遊びに行った友達の家。
行ってみれば一人ではなくて、彼女の父親と二人。
頭の上は「?」だったが、
そういうことをされそうになって、泣きながら逃げ帰った。
つまりは人身御供ってやつかしら。
彼氏に言ったなら、滅茶怒り狂って大変だった。


バイト先で一週間だけ一緒に働いて、
そのうちいなくなった同僚から、バイト先に電話で
「某駅にいるんだけど、心臓が苦しくなって」
と泣きながら助けてを求められ・・・
(今考えると救急車呼べって単純な話、笑)。
結局、この人も寄生先を求めてた人だったんだよね。
詳しいことは省くけど。
「お金がない、食べるものがない」との涙の訴えに、
下手な同情しちゃって、援助してしまったのも第二の失敗。

振り回されるだけ振り回されて、散々迷惑かけられたあげく、
利用されてるだけだって目が覚めて、FOしようとすると、
こういう被害者意識の強い人って、相手の逃避には敏感で、
助けてもらったことに恩を感じるどころか逆恨みするんだわ。
死ぬ死ぬ騒ぎは起こすし、ヒステリックに
「なんでお金を貸してくれた~食べ物送ってくれた~
宅配便で食料が届いた時には心臓が止まりそうになった
最初っから放っておいてくれればよかったのに~!」
と24時間切っても切っても延々とベルを鳴らして騒ぐ。

すごい消耗した。

職業的肩書きがまだ占い師で、
原稿やコンテンツなんかがメインだった頃、
セミプロ(単なる趣味かな)の人と知りあったのだけれども、
知り合って一か月も経ってないのに、
私が新しく転居した家が広いと聞いて、一部屋貸してくれと
厚かましいことを言ってきた時点で、COするべきだった。
(転勤の間だけという話で一戸建てを破格の家賃で借りた)

ちょうどその頃、
それなりに付き合いの私よりちょい上の友達M(♂)が、
「やっぱ子供好きだから、今から幼稚園教師目指してみる!」
と決心したものの、ピアノがどうにも上達せず。

お金がないと嘆いていたその子がピアノが出来ると聞き、
バイトでプライベートレッスンどう?と持ち掛けてしまった。
これがまたまた失敗の始まり。

その子の単身住まいの家だとさすがにマズイから、
レッスンはうち使っていいよ、と・・・
すると、惚れっぽい私の友達Mはやっぱし
その子に惚れてもーたりした。
まあ、そのあたりは大人同士のことだから、
二人にまかせていたんだけれど(アタシャ小姑か)、
彼女の方は好きな人がいるとかで、
Mに好意を寄せられて困るんですけど、と言ってきた。

レッスンをするのはいいけど(お金も欲しいし)、
そういう雰囲気になるのは困るというクレーム?を受けて、
なるべく二人にしないように同じ部屋にいるように。

すると今度はMに彼女が、
「アルマさんが私とMさんが仲良くするのが
面白くないみたいで、イジワルしてくる」と訴えた。

なんか話が違うから、そのことを尋ねると、
「あなた、Mさんのこと好きだから、
彼が私と上手くいくのが気に入らないんでしょう?」
みたいにヒステリックに叫びだし、攻撃してくる。

なんだこの女・・・って感じに呆然とした。
今でこそ、まとめサイト見て、キチ話に免疫ついたけども。
AA的には眼玉ポーンっっって感じだったかな。

ちなみに私とMは他人だけど、もう一人の友達と共に、
肉親のような、兄弟みたいな間柄(実際前世では私の弟)。
恋愛感情とはもっとも遠いトコにいて、
一緒に宿泊込の旅行することもあったけど、何もナッシング。

早くいい人見つけて身を固めて欲しいと願いこそすれ、
互いにありえない対象外の異性に、どうして私がやきもちを?

・・・と、今だったらその場で大笑いしちゃうと思うけど、
当時はこちらがよかれと思ってしたことを・・・
親切心や気持ちを踏みにじられた怒りの方が先だった。


まあ、メンヘラっていうよりボーダーだったよね。
こういう人には他人の心が分からないし、理屈も常識も通じない。
専門医に任せるしかない人で、
下手に関わると痛い目に遭うこと必須のトラブルメーカー。
私の職業のジャンル外の患者さん。

兆候はあったのに、狂気や危険性を見抜けずに、
関わってしまったのが運のツキでありましたかね。



でも、これらのことからも
十分に痛い学習をしたというのに、私ったら懲りないんだ(笑)


「学びたいけど、お金が無くて」という人がいたので、
仕事決まってからでいいよ、と言ったものの、
結局音沙汰無くなっちゃった人もいた。

商売が失敗して負債抱えたというから、
その在庫商品をセッション代金相当の物納でいいよ、
と言ったものの、後ろ足で砂掛けられるような結果に。

セッションが終わって、ではお代を・・・という話になったら、
「実はお金無いんです」という人もいた。若い娘さんだったけど。
「そのような事情なら結構です」を期待していたのは
どうみても明白だったから、払わなくていいよというのは
本人の後学のためにも良くないから、
しっかり後日請求はさせてもらったけれども・・・。

なんでしょうね、甘くみられやすいのね(笑)

これらお金の事もあったけど、
クレーマーを通り越したモンスターさんにも悩まされた。

例えば、
いつも時間超過してもだらだらと長くしゃべり続ける人がいて、
こちらもついキリの良いところまでと話途中で切れず、
さらに学生さんだからと延長料金も毎度請求しなかったり、
下手なお節介して引越しや汚部屋掃除を
手伝ったりしちやったのも良くなかったんだなあ・・・
まあ困ったことをいろいろとやらかしてくれまして、
他のクライアントさんにもすごく迷惑かけてくれたので
お断りさせていただいたら、酷い捨て台詞と脅し文句。
粘着されて滅茶苦茶消耗しました。

これは自己愛性人格障害の一種だったかと。

その他にも次から次へと色々とありましたよ。
細かいことまで含めて、すべて書き出したら際限ないけど。



お陰様でここのところは
クライアントさんにも生徒さんにも恵まれて、
平和無事な日々が続いています。



ホント思うけど、
同情や憐れみに訴えかけてくる人を
信用というより、受け入れてはダメですね。

隙あらば・・・と他人の親切心や同情心につけ込んで、
食い物にしようという人たちはどこにでもいるので。

相手に寄り添って考えたり、
人として出来ることをと思っていると、
警戒心を薄れさせ、不用心になってしまう。

そして同情は直観と本能を曇らせる。
自分の勘を疑って、
危険シグナルを情け知らずと責め立てて、無視させる。

情に流されず、与えられた全感覚を研ぎ澄まして、
疑わしきものは排除せよと、
自分を守ることにもっとパワーを使ったなら、
心が傷つくことも、この仕事を嫌いになるほどに、
人間に対して幻滅を覚えずにも済むだろうに。



自己欺瞞と被害者意識に満ちた人ほど、
差し伸べた手を焼き切るようなことをしてくる。

助けてくれとすがりついてきた、そのすぐ後で、
ザマーミロと舌を出し、相手の世界を破壊しようともする。

スピリチュアルな仕事をしている人間は、
その職業独特の特性がゆえ、
慈愛と犠牲心に満ちた懐広い聖者とでも思われるのか、
何をしても許してくれて当然とばかりに、
迷惑をかけても、酷いことをいっても、一方的に甘えても、
利用しても、赦される対象と勝手に認定され、
すべてを犠牲にして自分に与えて尽くすのが道理とでも?

そんな風にたかってくる人はきりがない。

キリスト教の殉教者じゃあるまいし、
何故そんな風に勝手に期待されて求められるんだか・・・。

世間では、占い師やスピリチュアルな職業に就くものを
人の不幸を食い物にしている詐欺師のようなものだと、
そう責める人もいる。
たいがいが困っている人であるのだから、
もっとボランティア的な価格にするべきだとも。

スピリチュアルな職業に従事するものが、
生活苦や人生が上手く行かなくて苦しんでいる人に対して、
赤ひげ先生みたいな奉仕をすることが難しい要因は、
命を救う仕事=肉体の問題を扱う分野なのではなく、
魂を救う仕事=心と精神の問題を扱う分野であって、
無償奉仕をすることで、
相手の依存心や甘えを増長する危険性のほうが高いからだ。

対価を設定して払える人だけを相手にするという線引きは
施療者自身が自らの心身を「たかり」からガードして、
自らの心身と人生そのものを、
寄生してこようとする人々から守るためのアイテムでもある。



確かに最初から、
トラブルメーカーになる可能性のある人かどうかと、
一人ひとり精査して、やばそうな種を持つ人を排除すれば、
こうしたトラブルに巻き込まれることは格段と減るのだろう。

だけども、
心身ともに問題を抱えている人を相手にする職業なので、
そういう視点で、クライアントさんや関わってくる人すべてを
チェックして、危険分子として避けるわけにはいかない。

そういう意味で、境界線きっちり決めて、
職業上のケジメをつけるってことはものすごく大切。

私の場合、関わりすぎるところ、頼まれたら断れないところ、
同情から甘い対応をしてしまうところ、なんかが問題だ。

私生活では、お金と時間にルーズな人は、常識なく、
自分に甘く、他人にも人間関係にもルーズだし、
約束をまず守らない人たちというのが鉄板というところで、
基本CO出来るのだけども・・・
職業上やその延長線上の関係には適用が甘くなりがちなので、
今更ながら、ダメだ自分・・・ここなんとかしないと、と反省猿。


スピリチュアルとお金のトコに書いても良かったんだけど、
設定価格や予算っていうのは、
クライアントさんを選別するライン引きにもなるのね。
要するにどのくらいのお金をポイッて出せる人か、
生活水準(年収や使えるお金)を計る線引き。

人間の品格が収入で決まるわけではないし、
高収入の人が必ずしも問題を起こさない良クライアントになるって、
そういう保証もないけれど、
でも、ある一定ラインの生活レベルを保てている人っていう、
そのような基準を価格で線引きするのは、
話の通じる相手と対等な取引をしたいっていう、
その職業人が自分の領域をガードするひとつの方法でもある。

生活の苦しい人、援助の必要な人には、
格安もしくは無償で与えてもあげたいけれど、
払うことなく得して、さらに相手から奪おうという人も、
多く紛れているのが現実だから。
(結果的に無償のサービスを本当に必要としている人が損してる)

適正価格っていうよりも、
利用していただきたいクライアントさんのレベルが、
この料金を払ってまでサービスを得たいと望んでくれる人って、
そういうことなのですよ。





まあ、そんなこんなで私事ですけれども、
まったくもって「易者身の上知らず」で、
直観も占いの技術も知識も、
何も使ってなければ、意味をなさない・・・という人生なのでした。



追伸
で、今回のテーマ書いてて、色々振り返り反省したので、
今後、優柔不断と甘い顔は辞めようってことで、
今まで後が仕えてないときとか、たまにしか来ない人だからとか、
常連さんだからとか、話のキリが悪くなっちゃうとかとかで、
だらだらと時間過ぎてもお話し聞いていましたが、
これからは時間きっちりで行きますね。

とりあえず、NOと言える自分を目指します。

易者身の上知らず(上)

占い師や予言者が自分のことが占えない、とはよく言われる。

それは自分の事を客観的に観察することが出来ず、
感情が直観や視野を曇らせるからというのもあるし、
自分自身に対して第三者的な立場に立って、
アドバイスをすることが出来ないというのも大きい。


また、占い師だからと言って、
人生の一大事から日常の些細な出来事に至るまで、
すべてを占いに頼り切っている人はいないし、
霊能者や透視能力者にしても同じで、
朝から晩までアンテナ立てて、感性を研ぎ澄まし、
あらゆる事柄に対して何かをキャッチしようなぞと、
常に非日常的な感覚で過ごしているわけではない。

もし、一日中そんな状態でいたら、
日常生活はままならないし、対人関係を築くのも難しく、
周囲からは変人だとか頭のおかしい人呼ばわりされ、
下手したら通報されてしまうようなハプニングと
トラブルを招いてしまうような事態も起こるかも知れない。


日常生活と仕事の時間というオンとオフを使い分け、
社会生活では一般市民としてモラルや法律を遵守し、
公序良俗のマナーやルールに添った人間関係を築き、
占いにしても霊能力にしても、
それ以外のスピリチュアリティな資質も、
あくまで何かを判断するときの観念の一つとして、
日常生活に活用していくに留め、
職業的場面において職能や知識を求められる時に、
最大限にベストを尽くして発揮するのが理想と言えば理想。

何故なら、今はそういう時代なので。

大昔や原始的文明みたいに、
巫女(シャーマン)やスピリチュアリティ性に特化した人物が、
自分の個性というか、そうした特徴的で鋭敏な感性を
24時間むき出しにして生活していたならば、
単なる狂人かイタイ人になってしまいますもの。
昔は。。。そういうのが許されたし、
歓迎された時代もあったわけだけど、今は21世紀ですから。


だから、オンとオフって大切。

実際、難しいなって思いますよ。

例えば、一日中死んだ人が視えたり、声が聞こえたり、
そんなのはとってもたまらないことだし、
生きている人の心の中の声とか欲望が判ってしまったり、
ああこの人はこうなるんだ、助からないんだとかとか、
アンテナ立てた状態でいて、会う人会う人から
色んな情報キャッチしまくっていたらば、
ノイローゼになって、正常な社会生活送れなくなります。


人が創りだす欲望の想念=エレメンタルはね・・・
キレイなものは少ないんですよ。
醜悪なものの方が圧倒的に多いのです。
とてもキレイな顔をしてにこにこ笑っている人でも、
皆に好かれている善い人と言われる人でも、
欲望はそれなりにあるわけで・・・

ものすごい悪魔のようなもの、妖怪のようなもの、
キメラのような恐ろしいもの、昆虫や爬虫類みたいなの、
排泄物の塊みたいなの、生ごみみたいなのとか、
ディフォルメ化された巨大な人の顔とか、身体の一部とか、
妄想の産物やら、その人が欲しい物質だったり、
それはそれはとても汚いモノがいっぱいいっぱいある。

とってもとっても気持ち悪いですよ。

四六時中オンモードで、こんなん見続けていたら、
神経衰弱して廃人になってしまう。

仕事じゃない限り、こんなの視たくないし、
冗談じゃないって思います。
みんな聖人君子じゃないんだから、
欲望のひとつふたつはあるし、
悪いこと考えたことがない人なんていないわけで、
くっつけてない人なんていないのだから、
こんなんくっつけているのが視えてしまったら、
引いてしまって、フラットに付き合えなくなります。



身内のことだって、友達やパートナーの人のことだって、
いちいちそんな情報が入ってきたり、視えてしまったりしたなら、
その人が言葉にしていること(建前)と視えているものの(本音)
のギャップの狭間で、平常心で関わることが困難になります。

そしてそれは同時に視られて(探られて)しまうほうにとっても、
しんどくなるし鬱陶しいことだと思うんですよ。

それが占いという予測方法を使っているだけにしても、
自分とのことをいちいち占われている、
すべてを占いで判断されているってのは、
相手にとっても面白くなく、重いなって感じる人もいるはず。

例えば、付き合う前とかに、
「彼は私に対して好意を持ってくれてますかね?
 脈ありかしら・・・?」
という程度の、アプローチしたいけど、
関心のない子にコクられるのもイヤだろうし、
どうなんだろう? アタックしてもいいかな?

みたいに・・・
相手の負担とか、そういうのを考えての占いだったらいざ知らず、

相手に直接聞けばいいようなことを猜疑心と執着心から、
あれやこれや占いに頼りまくって、本人の態度や言葉よりも、
占いの答えに影響されまくり、左右されすぎというのは、
痛いメンヘラだなあ、と引かれる要素になったりする。
(客観的意見が欲しくてちょっと相談してみたならいいけど、
何事も限度というのがありますので)

私が男だったら、絶対イヤですもん。




自分と関わる全ての人のこと(性格や人間性)、
その人との関係性や未来、生じるであろうトラブル
自分にとって得な人か損な人なのかetcetc...

そんなこといちいち占ったり、透視したり、
リーディングしたりなんだかんだやってたらきりがないです。
誰にだって本音も建前もあるし、
知られたくないこと・・・秘密もあるし、
気持ちだって状況だって刻々と変化している。

いちいち周囲の人、新しく関わる人を
そういう観点からチェックして見据えようとか構えてたら、
今の世の中、誰とも関われなくなってしまうし、
人間関係も日常生活もままならなくなってしまいます。



とはいうものの、そういうイイワケをしつつ、
最初にその人に会ったときに働く拒否反応や
自分に囁きかける本能の声や直観を無視した結果、
失敗してきたことは多々あるわけで、
その度に反省している私だったりしますが・・・。
(過去からまったく学んでないし)



☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆


話少し変わって、

ボディヒーリングやボディワークの職業の人、
直にお客様の身体に触れることの多い、
指圧や整体、アロマテラピーのトリートメントや、
足裏マッサージ、タイ式マッサージなど、
ハンドヒーリングに従事する人なんかは、

よく、
お客さんから「吸ってしまう」って表現を使うんですけど、
これは手を通じて邪気をもらってしまうことを言うんですね。

(ちなみに、昔ある占い師の人で、
たまたまクライアントさんの身体のある部分をタッチしたら、
インスピレーションが冴えたことから、
その方法をずっと続けてた人がいるんですが、
その方はそのせいか、体調を崩されてしまって、
顔もひどく変形するほど腫れてしまったそうです)

タイ式の人は、手だけでなく全身で密着するせいか、
日本に来ても、数年(1、2年)で病気になってしまい、
帰国する方が多いとも聞きます。

これはハンドヒーリングのリスクの部分で、
邪氣を吸った、と言えばそうなんでしょうけど、

邪氣だけではないかなってのもありますね。

お客さんがお持ち込みするエレメンタルを
そのままもらっちゃうことも原因ではないかと・・・

邪氣にしてもエレメンタルにしても非科学的なものになりますが。


病院に行くまでもないけれど、
ヘルスケア(民間療法)を必要としている状態にある人は、
実際問題、氣が淀んでいて、循環も悪くなっています。
そして、体内体外問わず、やっぱり陰の氣の強い、
ネガティブなエレメンタルをたくさん抱え込んでたりします。
それが病気の素にもなっているのだけれども。

邪氣を吸っただけだったら、外気に触れて、
太陽の光に当たり、気分転換もして、陽の氣を補充すれば、
体力気力ともに回復も出来るのだけれども、
たちの悪い厄介なエレメンタルをもらってしまうと、
その量や性質によっては簡単には離れていかないので、
ダイレクトに体調を崩して、長期的に悩まされるケースも。

なので、
他人の身体に直接触れるハンドヒーリングをしている人は、
それなりに自分のエネルギーフィールドを防御する習慣や
テクニックを身に着けておいたほうがいいかなって思います。
休日はアウトドアに出て、太陽に当たり、自然と触れ合い、
日常のことを忘れて笑って過ごす・・・とかね。
心のデトックスがものすごく重要かも知れない。



単なるカウンセリングだけの占いも、
心療内科や精神科、メンタルヘルスの場も、
相手の身体にこそ触らないのだけども、
似たようなことはあるんですよ。

精神科の先生なんかの場合、
病んでいる人を365人相手にしているせいで、
自分も引きずられて病んでしまい、
自分で自分に診断書や処方箋書いている先生、
多いって聞きますもん(友人がそっち方面の看護師)。


ええ、占いにしてもスピな職業全般に言えることですけど、
問題を抱えている人がクライアントさんとして来るから、
中には病んでいる人も少なからず。
で、前向きな気持ちや意図をもって訪れる人もいるけれど、
どうしても切羽詰まった状態にいる後ろ向きな人もたくさんいて、
問題を引き起こすネガティブなエレメンタルを、
その全身いっぱい、てんこ盛りに所有している人が、
訪れることになるので、
それらにやられることは避けられないリスクなんです。

また、スピリチュアリティを含んだ仕事って、
相手のカルマを一割はもらうことになるのが
逃れられないお約束で宇宙の法則でもあり。



・お客さんが持つ汚れた邪気
・「持ち込まれた」厄介で始末に負えないエレメンタル
・そしてそのお客さんのカルマの一割(借金の一割)


これはその人が単なる占い師でも透視能力者でも、
チャネラーでも、霊媒でも霊能者でも等しく発生すること。

霊が視えようが視えまいが、
邪氣やエレメンタルに敏感であろうが鈍感であろうが、
カルマの法則を知っていようが知っていなかろうが、
霊的な知識があってもなくても、

その人自身がお客さんから引き取ったモノの・・・
それらの存在を認識していようがいまいが、
その処理が出来ようが出来まいが、


もらってしまうことには変わりがない。

その人のレベルに合わせて、
「引き取るモノの量や質」が変わるということはないので。



そんな風に、決してキレイな仕事ではないというのが実状。

人によっては楽して儲けてるように見えるだろうし、
全然苦労も何もしていないように感じるかも知れないけど。


まぁ、だから・・・
知らず知らず消耗して命をすり減らしている人は多いし、
毎日様々なお客さんとたくさん出会うことで、
相手の邪氣を吸って、ネガティブなエレメンタルを
御裾分けされてしまって、自分の内に取り込んでいき、
段々と毒されていってしまう人は数えきれない。

体調を崩し、病になって寝込むくらいならいいけれど、
ネガティブなモノをどんどんと取り込んでしまったあげく、
当初その職業に就くことになった純粋な目的を見失い、
欲望の虜になってしまう人も。
下手をすれば元々優秀な霊媒であるがゆえに、
下位の霊的な存在につけ込まれ、段々と道を踏み外して
性格も人生も歪みきってしまう人もいる。

もともとそんな人ではなかったのに・・・っていう、
高尚な理想をもって、人助けのためにと、
真面目で素晴らしい素養を持った、
ハンドヒーラーにしても占い師にしても、
いつか何処からか黒さを宿すようになってしまうのは、
職業上のリスクゆえと言うべきか・・・



この道を選ぶ以上は承知するしかなく、
覚悟を決めることでしかないものの、

そうならないようにするためには、
厳しく己を律し続けるしかないんだとも痛感する。

2016/05/02

ルーツ~御先祖様の追悼祭

スピ話とは関係のない自分語りです。
興味のない人はスルーして下さいな。

「ルーツ」というと、アレックス・ヘイリーの小説と
それを基にしたテレビドラマシリーズが衝撃的だったし、
ものすごくインパクトを受けた。
良作なのでまだ見た事のない人はぜひ見て欲しいな。
けど、日本語版は一部しかレンタルされてないんですよね。

アフリカ大陸のザンビアから奴隷狩りで
アメリカに連れてこられたクンタ・キンテから、
現在に生きるアレックス・ヘイリーまでの
南北戦争や公民権運動、人種差別を含む代々の人間ドラマ、
アメリカの暗部、奴隷狩りの黒い歴史を知るにしても、
とても重厚で貴重な資料でもあるし、価値のある作品。

最後の最後、
子孫である著者が語り部の口伝の中に、
自分の先祖の名前を見つけるあの瞬間は、
とてつもない感動を呼び覚ましてくれるのです。


∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞


さてさて毎年5/2から5/4まで、
山口県は壇ノ浦の赤間神宮で先帝祭というのがあります。
(とはいうものの、行ったことないけどww)

寿永四年三月二十四日
(1185年4月25日)に壇ノ浦の合戦があって、
安徳天皇はその日に亡くなったらしいのだけども、
追悼祭は何故か、5/2から5/4のGW期間中、謎です。

母方の祖父の先祖だし、何しろ830年も前の話。
あまりにも遠すぎて、アレなんですけどね。
本家筋でもないし。


家紋も蝶紋と言っても、アゲハでなくてこんなんだし。


私は昔から、家に対してめちゃくちゃ執着と憧れがあって、
マイホームにドリームを持ってたりするんだけど、
それはどうしてだろう?って、改めて考えていたのですよ。

一か所に落ち着きたい、家が欲しいって思う割には、
幼少期も三回引っ越ししてて、実家を出てからも、
6回も引っ越ししていたりするっっっ

そんなことを考えつつ第一チャクラの掃除をしていたら、
ああ、ご先祖様の意識に行きついた・・・と。
そしてちょうど、
ご先祖様の運命の分かれ道した時期じゃ~ん
と気が付いた次第。



うちの母が祖父や祖父の両親、
そしてその兄弟姉妹たちから聞いた話のまた聞きで、
だから、それが本当かどうかは分からないわけです。
代々伝わってきた伝承というやつで、
証拠の品も家系図もすでに空襲で焼け落ち、灰となり。

壇ノ浦から落ち延びて、
九州は鹿児島県の牛根(垂水市)に隠れ住み、
その後は島津家に仕える士族となったと。
して、祖父は次男だったのだけれども、
長男と叔母が家屋敷を勝手に売り払い
その金を持って関西に逃げ、一族は屋敷から追い出されて、
家財道具一式をもって放浪し、国分に落ち着いたと。

私が聞いてたのはコレくらいだったかな。
あと、

屋敷から持ち出した家財道具は親戚一同で分けたらしく、
祖父の姉妹(母からして叔母)の家には、
壇ノ浦以前の京都の屋敷から持ち出した、
雅楽の楽器があったのだけども、「燃えた」とかとか。
家紋入りの箪笥とか道具箱とか長持ちとかも、
大きくて邪魔だし、戦時中に薪にしてしまった・・・とかとか。

母方の家はヒジョーに貧乏だったので、にわか信じられず、
(見た目はどうみても田舎者なノーミンぽいし)
士族って言っても刀も残ってなかったですしね。
西南戦争に参加したとか、そういう話はナッシングだし。

まあ、ここまでは全国あちこち何処にでもある、
平家落人伝説の一つに過ぎないのですね。

(そして困ったことに私は判官贔屓で木曽義仲・義経ファンさ)


して、去年かな。。。

「落日後の平家」(永井彦熊著)って本をゲットしたとですよ。
50年前の研究本を。

著書の方、ご先祖様が壇ノ浦から流れ着いた、
牛根出身の人だったりしたのです。
なのでちょっと祖父の生まれ育った土地のこと、
判るのかなーって興味本位で。

昔の本だから、読みにくくて大変だったっっっ

だけど、コレを読んで、
ああ嘘じゃないんだな、本当だったんだな、と。

祖父が住んでた牛根には祖父の苗字と同じ人たちがいた。

ここに辿りついた落人たちは、
新しく住み着いた土地を平安京と同じ升目に区切り、
懐かしい京都の通りの名前を付けていたりした。
~小路とか、京都嵐山にある地名とか・・・。
安徳天皇を祭る、居世神社を作ってもいた。

(そして横溝正史の「八墓村」と似たような話があって、
鎌倉の追手と間違われた7人を祭る塚もあったりした)

彼らは月を眺めて楽器を奏で風流を嗜み、
二度と帰ることの出来ない京の都を懐かしんでいたという。

だとすると祖父の家にあった雅楽の道具がソレなのか。
(琵琶は薩摩琵琶ではなかったそうな。
でも、壇ノ浦以前のものがそんなにもつのか??)

この本を読んで、どうして祖父の一族が、
ひとつの家に一家族ではなく、兄弟姉妹の家族まで、
大勢が一緒に住んでいたのか、その秘密もわかったりした。
平家って大家族主義なんだってことで。
あと、純血を保つために平家一門子孫での
婚姻を繰り返して、地元の人と隔たりを持っていたとかとか。

ここいらはちょっとなー だけども。

あと、鎌倉の追求を逃れられたのは、
島津家が好意的で守ってくれたからだとか・・・


なんかでも、この時のご先祖様は本当に
京都の町が恋しかったんだなあって思ったりする。

子孫の私は京都の町に興味はないけれども(笑)
(それよか奈良が好き)

そんなに恋しかった「家」はどんな家だったんだろう。
ちょっと興味があったりする。
京都の何処だったんだろう?って。
地名としてつけていた「~小路」なのかしら?

いやさ、家というより、当時の暮らし、
平和で満たされた暮らしを懐かしがっていたのかも。


そして息をひそめて暮らして、
150年後には鎌倉幕府が滅亡して、
怯えなくてもよくなったとはいえ、すでに子孫の時代。
京都には戻ることなく、そのまま島津家の配下になり、
平和は500年くらい続いたのかな?

尊王攘夷で明治維新、戊辰戦争や西南戦争があって、
士族の身分を解かれて、単なる平民になり、
でも祖父の代になったとき、その土地も追われた。

そして祖父が亡くなった後、
牛根を追われた後、祖父が自ら建てた家、
母が生まれたその家も、20年前に追われることに・・・。


帰りたかった・・・あの平和な時代、平穏な暮らしに。
ずっとずっとあの街で暮らし続けていたかった。


そういう想いが
私のDNAにも受け継がれてるような気がする。

土地や家に執着してもしょうがないし、
時は過ぎ行くし、永遠なんて望むのは愚かしいのだけども。



∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞



太平洋戦争に出征した祖父は満州からシベリア抑留へ。
約五年間向こうに居たそうだ。

一緒に住んだことがないので、
当時の話を私が祖父から直接聞いたことはない。

知覧特攻平和会館に母と叔母と行った時、

「お父さん(祖父)が帰ってきたときに
持ってた水筒と同じだ、こんなんあった、あった」

みたいな話を聞いたくらい。


祖父がシベリア抑留者であったことを
私が知ったのは、実は数年前のこと。
それまでは他の人の話と混同して誤解してしまっていた。

もしそれを知っていたならば、
学生時代アルバイト先に良く来ていたご老人に、
もっともっと話を聞くことが出来たかも知れない。

その人は
「シベリアでは友が、仲間がたくさん死んだ。
生きて帰れたのはキセキだったよ」と言っていた。


「凍りの掌」というコミックがあって、
これを読むと祖父が経験したであろうことが、
ほんの少しだけ想像することができる。


去年某省庁での仕事をしたとき、
ヒマなとき、ネットサーフは出来ないものの、
勉強のため、関連するサイト内のページだけは
見ることが出来たので、色々と見ていたら、
「シベリア抑留者」に関するページも未だにあって。

それで普通の帰還兵の軍事恩給とは別に、
特別給付金があるということも知ったのだけど、
どうも祖父はもらっていなかったらしい(笑)

シベリアで5年間働いた労働賃金は無給だったということで。
しかも出たのが65年後かよっっっ ついこないだじゃん


軍人恩給も軍人年金も手続きしなかったらしい。

なんちこっつ~!(と訛ってみる)

田舎の人間だから、面倒臭かったのかな。
結構、行政っていい加減なもんだなー
一人ひとりにちゃんと告知ってしないものなんだー


まあ、もう祖父も祖母もとっくに鬼籍だから、今更ですが。

でも少しでもあれば、お墓代くらいには出来たのかな。


そして、祖父の軍歴っていうのかな?
どの部隊に所属して、どの戦地に行かされたとか、
そういうのも何とかかろうじて孫の代(私)までは
調べることができるってのもわかった。

知りたい気もするんだけど、
姻戚証明をとるってのが、面倒くさいなあ・・・と、
ちょっとそこで躓いていたりする。

知ったからといって、どうなるものでもないのにね。


なんていうのかしら。
祖父とは一緒に住んでなかったし、
生前も会ったことは数回しかないし・・・
無口な人だったから、話もほとんどしてないのに、
何故か祖父の霊を見ることが出来るのが私だけで、
靖国神社でも会っちゃったしなあ。。。
(祖母の霊には身内だけでなく、他人も遭遇してたりする)

だからちょっと気になったりするのです。


そうね・・・そうやって、両親の両親がいて、
そのまた両親というようにどんどん逆に枝分かれして、
たくさんのたくさんのご先祖様がいて、
そして私がいるんだよなあ、と改めて。


で、ご先祖様の写真が残っている生徒さんは、
その写真のご先祖様と「恐るべし、DNAの力!」って
誰もが爆笑するほどに似ていたりするので、

私の今の顔も、
たくさんいるご先祖様のうちの誰かに、
似ていたりするのかなーっと思ったりする。

自分と同じ顔の人、似た人がいたかもって
思うと不思議だけども。

とはいうものの、
今の私の顔は2000年前の前世の顔に似てる。
そして母方より父方の顔だなー 
母方の顔ではないんだな、これが。
(そして父方の先祖には興味ナッシング)