2016/09/30

All Things Must Pass

※タイトルは大好きなジョージ・ハリソンのアルバムから



さて、目のことですが、視力は相変わらずで、
新聞や本などの紙ものを読むのは辛く、
PCを閲覧するにも見づらくて支障はあります。
読み間違いも多いし、誤字脱字打ち間違いも気づかず。

で、前にここに書いたような現象、
目の裏に色々と映像が浮かぶってのは、
あれ以来はとくになかったりします(残念)。


思うに、子供の頃から
オカルト的な心霊体験をはじめとした不思議体験
すなわち神秘体験などをそれなりにしてはいるのですが、
二度目というか、継続的に同じことを経験することって、
はっきりいってなかったなあ・・・と。

確かに怖い体験に関してはもう二度とはゴメンですが、
至高体験とかは気持ち良かったし、
アレは何だったんだろう?みたいな不思議体験とかは、
何度でもどうぞ、なんですけれども。

ありませんなー

亡くなった人(殺人事件の被害者)が
夢で犯人教えてくれたのも、一度きりなんですよね。
スプラッタは超苦手ですけれども、
出来ればそういうのって、どなた様でも、
何度でもご出演どうぞ、なんですが・・・。

思うようには行きません。

まぁ、よしんば出てきてくれても
情報の活用のしようがないというのもアリ。

ただ、幽霊を直接視るのだけはごめんなさい。

実物視るのはホント怖い。
身内の霊(祖父や祖母)でも、悲鳴上げまくり、
失禁して気絶しそうになりましたから。
職場でも悲鳴あげて、口から泡吹くばかりに驚き、
白目状態に放心したことあり←お陰でヤバイ人扱い

アレは本当に慣れません。

死んだ人の映像に関しては、
頭の中・・・夢や脳内映像に限ってのご出演でって、
そんな制限付きでないと心臓麻痺起こしますよって。
(ホラー映画は怖いもの見たさで見てしまうが)


で、結局なんであれやこれや
色んな体験をさせられているかっていうと、
「こういうのもある」「こういう視え方もある」とかとか、
とりあえず一通り色んな段階のパターンを経験しておけって、
たぶんそういうことなんでしょう。

他人がした経験、クライアントさんや生徒さんの
体験話や状態を理解するための踏石といいましょうか。

何にしても、自分が経験しておかないことには、
それがどういうことでそのあとどうなるとか、
対処法にしても説明にしても出来ませんし。

だから、何度も繰り返す必要もなく、
同じことを再現してそこに耽溺したり、
その状態を維持・活用していく必要性もないみたい。

こないだの、目の裏に映る映像も、
「こんな風に目の裏に視える人もいる」
「ときに、こんな視え方をすることもある」
ってなもんで、とくに意味はなかったかと。

そういう意味で、
私はやっぱり、人に教えるのが本業なんだって痛感します。
それありきの人生でもあると。

(どうでもいいことだけど、
従姉妹たちは保育士、幼稚園教諭、園長先生してたり、
姪二人や甥や嫁は中・高・大とで教職に就いているし、
叔父も自衛隊では教官という指導的立場だったなーと
気が付けばそういう親戚が多かった)

霊的な事柄に関しても、
こういう理屈で原理なんだと、教えてもらい、
あくまで垣間見させてもらって体感させてもらっただけで、
その道をプロとして極める必要はなく、
(もちろん技量も霊格もないわけで)
さわり態度知ってればいいって、それだけのことで、

例えば、お酒造りをするならば、
米作り(農業)と水のことは知っておくのが基本とばかりに、
ありとあらゆる範囲の広い体験を認識させられたって、
そんな感じですかねー

私は霊媒だけど霊能者になるのが道なわけではない
亡くなった人に道しるべを与えて、旅立たせたり、
彼らの想いを受け取って、生きてる人に伝えたり・・・
そういうのは仕事ではないのです
偶然できてしまうことがあったとしても、
それは本当にまぐれとしかいいようがなく

それはそれで専門の人がいる

未来を予知して予言する予言者でもないし
神様を身体に降ろして天啓を告げることもしないし、
祈祷をしたり、神様や仏様との仲立ちをするものでもない
呪術を掛けたり解いたり・・・な呪術師でもない
陰陽道や道教なんかも出来ない 風水師でもない

アカシックレコードを読むのも得意ではないし
透視能力者というような能力もない

簡単な内気功はするけど、
人をふっとばしたりするほどの外気功は出来ないし、
病を治す神通力や奇跡のハンドパワーも持ってない

そのような「しくみ」はわかるし、解説は出来るけども。

つまりは、解説者や評論家みたいに、
その世界のことをあーだこーだいうことは出来るけども、
解説者や評論家がその道のブロとしての技術を持たず、
第一人者では成り得ないように、私もそう、
能力や技術を持っていないものなのですよ。

スピリチュアルセラピーの現場では、
どうしても今生や過去生の情報やカルマのレッスンとか、
その人の考え方や性格や心根の問題だけでなく
他人から飛ばされた生霊(想念)や自分で作った想念体、
憑依などで影響を与えている霊的な存在やら、
先祖や因縁的なものetc
どうしても原因が多岐にわたって複雑に入り組んでいる、
そんなケースだけでは終わらないから、
どうしても広い範囲で見て、浅い知識ででもざっくりと、
自分(私)が出来ること出来ないことを見切る必要性があるし、
それがサイコセラピーと言えばそうなので、
出来ないことのほうが多いわけだけど(実力不足なので)、
それでも"あたり"をつけて、
出来る限りのことはとりあえずやってみるしかない。

原因が判っても、技術が追い付かないのが実状。
それが私の限界で。

だから、私よりも出来る可能性、実力(霊性)を秘めた人・・・
磨けば光る才能を持った人を育てていくのが仕事。

サイキックな能力が開花しつつある人の
スピリチュアリティを高めて、花開かせるのがお役目の一つ。

そのための、今までの経験であると私は理解しているのです。

霊的指導者というにはおこがましく、
そのようなことができる人格者でもないけれど・・・

個人セッションでは、
あくまで"運命の整体師"として、
その人が生き方を間違えてちゃってますってトコを
くきくきっと矯正しつつ、
あなたのカルマのレッスンこれでんがなって、
辛口に人生の批評家になりつつ、

スピリチュアルスクールのセンセとしては、
人生という「自分育成ゲーム」の攻略法を教えつつ、

優秀な、未来のサイキッカーさんのコーチとなって、
宗方仁のように「岡!エースを狙え!」とばりに、
飴とムチもって、しごきを繰り返していたりー

なのであります。


それをするがためのこれまでの人生なのですよ。


そして、病弱で学校や仕事を休んで寝てて、
本や漫画ばかり読むしかなかった時期があるのも、
映画をたくさん見ることが出来たのも、
音楽が好きで、歌うのが好きだったのも、
このブログであれやこれや書くのに、
引用するにしても知らないと書けないから、
そのために読書や視聴する時間が
たーんとあったんだなあって思います。


そんな風に人生はうまく出来ている。

すべてのことは必然である

本当にそう思います



ところで、このブログ。
カテゴリが細かく分かれすぎてて、
重複しているテーマもあり、とっても読みにくいし、
過去ログや関連した記事を探しにくいとのご指摘が。

うーんうーん・・・

てなわけで、近いうち、ここはここでメインとして、
全部の記事は置いておくとしても(更新も)、
過去生関係のものとケースファイルは独立させようかと、
あと霊的知識とかそのあたりも別個にまとめるかも、
(リンクは貼ります)
今はiphoneやスマホなど、小さい機器で見る人も多いから、
スクロールが下に長いと記事が探せないのだと、
パソコンにしても・・・らしいので、
ちょっと考えてみます。

つーか 誰か良いアイデアないかしら??


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