2016/09/10

データベース、アーカイブとしてのチャクラ

チャクラヒーリング(バランシング)を
独立したセッションメニューとして初めて早や2年。

先日、
トータルセットの2回目(ちょうど第3チャクラが終わったトコ)を
受けてくれた人がいて、それで気が付いたことがある。
(※正確にはグループワークも含めて3回目か)


前情報として、

チャクラというのはよく知られている7つだけではなくて、
大中小大きさも様々にとてもたくさんの数がある。
チャクラがどこにあるかというと、
エーテル体(肉体とサイキカル体とノエティカル体)を
繋いでいるエーテルダブル上にあって、
このエーテルダブルは3つの身体の枠組みでありながら、
同時に3つの身体の組成に必要なエーテルバイタリティ、
すなわち氣(プラーナ、マナ等と呼ばれるもの)を循環させている。
また、経絡という気の流れレイライン(タイの言葉だとセン)は、
このエーテルダブル上に存在する。

で、チャクラは、
このエーテルバイタリティを外界から取り込む場所でもあり、
循環させて振り分ける中継地点ともいうべきところで、
ツボと言われる場所もチャクラに相当する。

チャクラが3つの身体の繋ぎ目にあるということは、
ボルトや蝶番のようなものの役割を担っていると思ってもいい。
(離魂病の人はここがゆるゆるになっている)

なので、チャクラに不具合が起きるということは、
エーテルバイタリティーの取り込みや循環に
不具合が生じるということで、
3つの身体のバランスが崩れるということでもある。

※よくチャクラを開く、などということをいう人がいるけど、
チャクラは3つの身体が十分に成長していて、
なおかつ第4の身体であるサイコノエティカル体が成熟し、
それぞれを個別に引き離しても問題のない状態にある人でないと、
元の結合状態に戻すことが出来なくなってとても危険。
(チャクラが不健康な状態に陥ったり、不具合が生じると、
軽度の場合は、理由のない体調不良や疲れやすさ、
鬱や無気力症、記憶障害、集中力の欠如などで済むが、
重篤なものとしては離魂病、あげく離人症、パニック障害、妄想、
統合失調症や人格障害などの精神疾患を引き起こしたり、
若年性の健忘症、認知症などに導かれることもある。
それだけでなく、憑依されやすくもなり、
クスリをやってないのにも関わらず、近い症状に悩まされたり等)


さて、頸椎と脊椎のところにある7つのチャクラ。
英語ではエーテルセンターと呼ぶここは、
別名ディスクともいい、他のチャクラと比べてとても大きくて、
エーテルバイタリティーを取り込み、循環させるだけではなく、
3つの身体を動かすための、
データを起動させて身体を動かすデータベースであり、
データ(エレメンタル)を読み取るレコーダーであり、
そのデータを7つに種別化して保存する
アーカイブとしての役割も担っていたりする。
この説明じゃちょっと判りにくいかな・・・? 
分からない人、ゴメン。

(分かり易くいうと、今生での
 "肉体"の行動・動作の記録、
 "感情"すなわち心が反応した記録、
 "思考"考えたことの記録
 それらはエーテルバイタリティーを素材として、
 それぞれの身体により想念体・エレメンタルという
 形骸ある記録媒体となる。これはマイクロチップのように
 微細に小さいものから大きなものまで種々様々
 私たちはこの"記憶"でもある"記録"を日々新しく生産し、
 あるいは古いものを読み込みながら生活している。

 エレメンタルは時に外に放たれて、
 ネガティブなものなら生霊となって他人を害することもあるし、
 その人の欲望や願いを叶えるために事物を引き寄せたりもする。
 戻ってきたエレメンタルは首の後、延髄のところ・・・
 ぼんの窪のところにあるチャクラから入り込み、
 7つのチャクラに種別ごとに分割されて収納される)

つまり人体に数多く存在しているチャクラの中でも、
主要かつ特別な場所で、別格扱いと言っていい。
他のチャクラにもエレメンタルは貯まるし、
それなりに重要な役割を果たしているものはあるが。
3つの肉体を機能させているパターン(行動や思考体系など)は、
この7つのチャクラに保存されているデータありきなので。


私たちが行動し、経験し、記憶するのは、
エレメンタルというデータを生産して、
分類保存する書庫であり、
ローディングする7つのチャクラあってこそ。

まさにエレメンタルというレコードをプレスリリースし、
保存し、なおかつ読み込む場所としての"ディスク"というわけ。

とはいうものの、残念ながら、
この潜在意識の宝庫、チャクラというアーカイブは、
綺麗に整理整頓された機能的な書庫にあらずして、
ほとんどの人が支離滅裂なジャングルのような無法地帯。
何があるのか分からない、汚部屋のような状態も珍しくなく。

まあ、大体しっちゃかめっちゃかなわけですよ。
ゴミの山も必要なものも、古いものも新しいものも、
混沌としたカオスを成して、放り込まれていたりして。

(中には空っぽに近い状態の人もいますけど)

7つのチャクラがぐちゃぐちゃな汚部屋状態だとどうなるか・・・
いやさその前に、こういう滅茶苦茶なゴミだらけのとこを
下手につつくと、ゴミが一気にあふれだして大変なことになります。
※チャクラ内のデータが整理整頓されていない状態で、
チャクラに負担をかける過剰なワーク、
霊的トレーニングなどをすると、3つの身体のバランスが崩れ、
心身の健康を損ねるだけならいざ知らず、
下手したら精神障害を起してになったりする。
だからチャクラは人為的に働きかけて開いてはいけないとこなの。

3つの身体の枠組みであり繋ぎ目でもあるエーテルダブルや
そこに存在するチャクラ(7つのディスクたるチャクラ含む)が
おかしくなると、エーテルバイタリティーの摂取と排出も
上手く行かなくなり、エレメンタルの読み込みにも不具合が生じる。
壊れたレコードみたいに同じことばかり話したり、考えたり、
過去の出来事に縛られて、強迫観念に悩まされたりetcetc...



チャクラに対しては、あくまでゴミ出しをして、整理整頓をして、
エーテルバイタリティを補給して、活性化をして、
不具合を起している問題を取り除いて、バランス取って・・・
っていうような働きかけをするだけでいいのです。
それと一度にやりすぎないっていうのも大事。
ひとつのとこだけいじりすぎないのも重要。
チャクラに働きかけをしたら、全体のバランスも見ること。
全身にエーテルバイタリティーを十分に補給して、
ネガティブなデータを取り除いた後に出来たスペースには、
必ずポジティブなデータを入れて、隙間を埋めること。
これをしないと、意味がないというか、
かえって酷い状態になりかねないので。


で・・・前置きとしての説明が長くなっちゃいましたね。



++++++++++++++++++++++++


本題に戻ります。


通常のセッションの時もそうなんだけど・・・
いやさ、
チャクラヒーリングの場合、第1から第7まで順を追って、
それぞれのチャクラに割り振られたテーマに絞っているから、
なおさら分かり易いのかも知れない。

本当に玉ねぎの皮を剥くように、
地層を掘り進めていくように、
少しずつ少しずつ、深いところ、
もっともっと核心に触れる暗部へと進んでいくなあ、と。

そうね。
ケースバイケースで一概には言えないのだけど、
最初にわんさかとショッカーの戦闘員のような、
雑魚がたくさん出てきて、それポイポイ片づけてくと、
そのうち悪い怪人たちがわらわら出てきて、
そいつらを何とか片づけてくと、
そのうちラスボス登場・・・みたいな?


だからまぁ、一度目のときより、
二度目、三度目のほうがその人を支配している
問題行動や想い癖の根っこの部分。
「芯」の部分には近づいていきますね。

最初に「ぎゃあー!」ってビビるような、
そういうものが出てくる場合もありますけど、
さらに掃除を進めていくと、まだこんなものが、
そして意外なものが・・・っていうのもあります。

似たようなもの、同じようなもの、
前に片づけたと思ったのに、
コピーのようなクローンがわんさかまだ残ってた・・・
みたいなのもありますし。

それぞれのチャクラに個別で収納されているというより、
関連ファイルが前後あるいは全部に散らばっているので、
一通り全チャクラを一巡してから、全部が片付いて、
それが片付いたから、
ようやく次(下の地層というか階層に埋もれていたもの)が
浮上して、手を付けられるようになるってのもあったり。

そういう意味では、一回一巡したからそれで終わりって、
そういうわけでもなく・・・

というか、人間自体がとてつもない
膨大な情報を蓄えたデータベースなのであり、
過去生から何回も輪廻転生を繰り返す中で、
積み重ねられ、創られてきたデータ(エレメンタル)の
圧倒的総量の膨大さたるや、とんでもない量です。

これを一つの図書館とした時、
7つの図書館が人間一人の内部にあるわけで、
するってーと、物理的なものに置き換えて考えたならば、
7つの国会図書館(博物館)の書物や展示物を整理整頓して、
データを登録して、ファイリングして区分する。

・・・ってことになるわけですが。

一生かかっても
終わる気がしません


まあ、現実問題として無理です。

今生だけで・・・
今生の人生の僅か一日のうちの数時間だけで、
ある程度メドをつけることが出来るほど、
カオスなジャングル状態のトコを整理整頓、
ゴミ掃除なんてできません。

一番目立つゴミを何とかして、
冷蔵庫の隙間をつくるがごとく、
あたりをつけるかのように、
とりあえず何とか今よりは良い状態に持っていく・・・

そこまでが限界かな、一度のセッションでは。

もち、アーカイブの状態次第ですけどね。
まれにとても綺麗に整理整頓されてる人もいるし、
ちょっと手を加えれば程度の人もいたりするし、
それにその人の霊的成長次第でもあるんで、
他人がサポートしなくても、
自発的にそれは段階的に進むものでもあるので。



でもね。

それでも、データがある人はまだいいわけですよ。
たくさんあると確かに整理整頓は大変ですけども。

それを整理整頓するほうは、
鬼が出てくるか蛇が出てくるか、

ヒー ハー!

なわけで、途方に暮れることもありますが。


気が付いたというか、困らせられるのは、
アーカイブの中にほとんど、肝心のデータがない人。

そう。
それがふと最近、気が付いたことだったりするのです。
ここで冒頭の話に繋がります。

チャクラヒーリングをして分かったことは、

大量のエレメンタルがカオスなジャングル状態を作り出し、
てんこもりに積み重なり、たくさんの地層を形成している人か、

それなりの人生を生きているにも関わらず、
データとしてのエレメンタルをほとんど作ってこなかった人か、

そのいずれか二極化されるということ。

ロクでもない、使えないゴミのようなデータばかり
大量に生産してきた人も困りものなんだけど、
ほとんどないっていうのはもっと困る。

DVDが1億枚あるけどジャンルが偏っていて
同じDVDが大量にある人と、
DVDがたった数枚しかなくて、
ひたすらそれをエンドレスに使い回ししている人では、
やっぱ後者のほうが問題なのねー。


そういう人はね、
不用意にデータを整理整頓して、
ゴミだからといって安易に捨ててはいけないのです。

だって、データがないという状態は問題なわけですよ。
読み込むものがないということになってしまうので。

読み込むデータがない=3つの身体を動かせない=過去もない

その人がその人たるアイデンティティが喪失しちゃうのよ。


例えば、人としての経験が極端に少ない人、
つまりは転生回数のほとんどない新しい魂。
そういう人は確かにほとんどデータありません。
少ない人生でも、色んなことを感じて考えて、
たくさんエレメンタル創っている人もいるけど。

困りものなのは、
転生回数もそれなりの古い時代から生きている人なのに、

ミニマリストかっ!


ってくらい、ガラーンとした、コレってモノがない人。

つまりは、そういう人って、
それなりにたくさんの人生を生きているのにも関わらず、
何も考えてこなかった、心を使ってこなかった人なのね。

考えたり感じたりしてこなかった、
自らの考えで意思決定して行動せず、
流されるまま生きてきたような人は、
サイキカル体もノエティカル体も成長せず、
当然ながらサイコノエティカル体も形成されてない。
(つまりは霊的成長もまったくしてない。
本能のまま、無意識のまま生きてるってだけ)

データファイルとしてのエレメンタルがあまりにも少ないので、
これを整理整頓してしまったら、
3つの身体を動かすデータが無くなっちゃう。

だからできん・・・

良くないものでも、ネガティブなものでも、
何もないよりはマシで、それがないとどうにもならないので、
これ以上はノータッチがベストで、
することなしって人も僅少ながらいましたねー。
(これ以上はチャクラヒーリングをしてはいけないって人が)

そういう人は、
「経験して下さい」「もっと積極的に生きて下さい」
「間違ったことでも正しいことでも、何でもいいので、
色々とトライして、行動してみることから初めて下さい」

てな具合に、

「まず、人としての自分を育てていきましょう」

としかアドバイスしようがないのです、本当に。

ネガティブなエレメンタルを置き換えることも
この場合は無効なんですね。
置き換え、書き換えは元データあってこそだし。

ただ、こう成りたいという自分のイメージを
植え付けることは出来ますけども。
潜在意識の刷り込みってやつ。
ネガティブな元データの横やりがない分、
上手く行きやすい・・・とは思います。
でも、エゴイズムの欲望を叶える方向での
データの植え付けはタブーだから、
行動の指針、正しい考え方や感じ方の方向性としての、
ポジティブエレメンタルをアファメーション的に
インプットするのだったら、OKですが。

とはいうものの、ただひとつネックが。
元データ(エレメンタル)があまりない人・・・
こういう人はサイキカル体が未発達だから、
ビジュアライゼーションが得てして苦手で、
エレメンタルをきれいに創れないの。
そこがねー アレです。
エレメンタルは他人に埋め込まれると洗脳になっちゃうし、
ヒーリング目的以外でするのは良くないので、
なるべく自分で意識的に創ってもらわないと、デス。

んでもって、
「気づき」というプロセスの時期が来てないから、
アーカイブに不具合を生じさせている
邪魔なゴミというか不要なエレメンタルを
いじったりできない人とか、
エレメンタルがほとんどないじゃん・・・ていう人に対しては、
チャクラヒーリングは、チャクラ全体のバランスを整えて、
活性化を図るだけのヘルスケアになるのは否めませんね。
(リーディングした情報もそのレベルの人には
あまり伝えてはいけないというか教えていい段階ではなかったり。
当たり障りのないことしか話せませんの)

でもだからってやって無駄ってことはなく、
病気にならないためのボディケアが大切でもあるように、
良い状態を保つための予防ケアみたいに考えるといいのかな。

でも、何かチャクラから読み取れる情報を知りたい人や
ヒーリングワークを受けることで、
画期的に自分の人生が変化することや、
願望を実現させたいと望んでいる人にとっては、
とっても物足りなく、これといった大きな変化も体感もないから、
損したような気持ちになってしまうかも知れないな。

そこが説明含めて難しいとこ。

結局のところ、期待しすぎないでねって話なんですが。



うちでのチャクラヒーリングの場合、
Gレッスンの生徒さんだったり臼井レイキ取得者だったり、
何かしらのヒーリングやリーディングスキルを
持っていたりする人には、ナビゲートしつつ、
自分で感じてもらいーの、リーディングしてもらいながら、
セルフヒーリング的なワークで進めていたりする。
(それはもしかして手抜きなのか・・・??)

普通の人、そういうスキルありませんな人や
ビジュアライゼーション苦手ですのって人は、
もちろん一方的にこちらで勝手に読みつつ、
進めてしまいますけどね。


でやっぱりそうだなー

どうしても、データとしてのエレメンタルが少ない人は、
チャクラのバランスを整えて、活性化するってのを
するしかないでしょうか、それしかやりようがないというか、
何というかほんちゅうか・・・です。


そういう人は本当に、

「色んな経験してくれ!」

「心の筋肉使って、
たくさんの人と交わって、
喜んで悲しんで、
(喜びも悲しみも幾年月)
泣いて笑ってケンカして、

色んなことして、
失敗も後悔もたくさんして、

とにかく・・
何でもかんでもトライしてくれ!」



だってそうじゃないと、霊的に成長できへんもんなー

輪廻転生の輪から永遠に抜けられませんでー



でもって、あと一つ改めて思ったことは、

セッション時に出てくるものって、
その人のその時の気づきのレベル、
状態に合わせたものなんだと。

手放す時期が来てないと、結局手放すこと出来ないんだなと。

今回2巡目(正確には3度目)のその人の場合、
最初の解放(手放しと気づき)があって、
ようやく2巡目のその問題を問題として、
当人が捉えることが出来たから手放せるわけで、
そうでないと片づけられないようになっているわけです。
手放す「許可」が降りないというのかな。

たから、本人がそれを問題と思っていない以上は、
それがその人の人生を邪魔している
障害を作り出しているものであったとしても、
粗大ゴミとして処理してはいけず(引き取りに来てくれない)、
手放すことは出来ないようになっていたりするのです。

そして、チャクラヒーリングにしても、
他のセッションメニュー・・・セラピーにしても、
その人が覚悟して「受ける」と決めたその日から、
そのテーマを手放すための動きがちゃんとあって、
気づきへの流れというのかな・・・
すべてがそこに向かっていくような現実があるのですよ。

その流れの前では、私は本当に単なる駒でしかなく、
周到にその人のために用意され準備された、
「癒しの道程」すなわち「気づきのもたらし」と
「呪縛からの解放」という祝福のための、
あくまでツールとして、使われちゃっているのだと・・・
大きなプロジェクトの中の一要員として、
ものの見事に配置されちゃっているものだなあ、なーんて、

ひたすら感動するというか感心しているのでありました。

大きな流れの中では、私の役割なんぞそんなものです。
その役割は別に私でなくてもいいし、
でも私がそこにちょこっと加わることですべてが完成してもいる。

たぶん、私のとこじゃなくても、この方法でなくても、
今回ここにきて、チャクラヒーリングをその人が受けなくても、
別のもっと最適なタイミングで最良なものが与えられることになる。
ただ今回はたまたま、その人が私のとこの
チャクラヒーリングという方法を選んだので、
それに応じて引き起こされるように、働きかけがあった・・・

ちゃんとその日にそれが起きるよう、
それまでのやり取りや会話も一つの方向性に導かれてた。

んな感じ。
(抽象的な言い方でスマソ)

一人の人を気づかせるために、
その人を気づきへの道へと促すために、
本当にたくさんの人が関わって、
大きな力が働いているものだと、改めて痛感しました。

言葉はちょっと悪いけど、
一人の人間を更生させるのに、
たくさんの人間の力が必要で、
大勢の人が関わって、それが成されているのと同じこと。

私たちは本当に生かされているのですね。


やっぱり、人間を見て、その人の人生を見ていくこの仕事、
面白くてやめられないです。

0 件のコメント:

コメントを投稿