2017/01/31

感想「チャクラヒーリングを受けて気づいたこと」

クライアントさんでGレッスンの生徒さんでもある方が、チャクラヒーリングのセット(二回目)を受けた感想を下さいましたので掲載します。



昨年のチャクラヒーリングで気づいたことをまとめてみました。
箇条書きのようになってしまいましたが、この経験を踏まえて、自分と向き合って生きたいと思います。


【第一チャクラ】

この時はまだ混乱した部分が多く、心は未整理な部分ばかりが表に出ていました。アドバイスや指摘のひとつひとつが心の奥まで行かず、表面的に理解しようとしている感じでした。そのなかで印象的な体験をしました。


●友人を事故で亡くした経験の時の感情

古い過去生の記憶の中に、事故で助けられなかった友人のために悲しむものがありました。
その感情を体験した時、自分の中にこのような心があったということに驚き、その悲しみの中でしばらくとどまっている自分を体験しました。
自分の中に、無情でない部分を発見したひと時でした。

このことは後から考えると、決して育たない心を持ち合わせたわけではなく、自分が経験を理解しようとしなかったということをあらわしているように思いました。


●荒い波動に細かい波動は伝わりにくい

第一チャクラのヒーリングを受けた時、自分の中にあるエレメンタルを全て綺麗にした後にエネルギーを入れると、とても入りにくく感じました。私の中には細かい波動と荒い波動が混在していて、荒い波動の方が割りを占めているように思いました。

荒い波動の多い中に細かい波動を広げていくにはとても時間がかかり、伝わりにくいものなんだと思いました。

この経験から推測したことは、低い波動の人は高い波動の人のものは伝わりにくく、高い波動を持つ人には、低い波動はひどく疲れるのではないか、ということでした。

低い波動はネガティブなものが多いように感じました。それがすべて欲望志向型のエレメンタルだとしたら、欲望志向型エレメンタルを多く持つ人は他者にとってエネルギー的にも痛みを与えやすい存在になるのではないかと思いました。

私は人に痛みを与えやすい人間だったんだと思います。ネガティブなものを心からなくしていくことは、自分だけの解放ではなく、周りへの影響に変化があることにつながると感じました。


【第2チャクラ】

この日は対話の中から自分のありようを見つめたという感じが残りました。
この頃起きた事件などで自分の身に起こったとしたらどうなのか、では過去の記憶を持ち合わせながら、その人に拘らなければならなくなった時どう感じると思うのか。
対話の中から自分の感覚を確かめていく時間のように思いました。

実際第2チャクラを見ても、全てを口にできていない自分がいました。
どこまで話していいのかがわからないという感じです。
見たもの全て、感じたこと全てを言った方がいいのに、なぜか言わないでいる自分がいました。どこまで本当に感じているのか、自分に対して疑問を持っていました。
見たものをすべて話せなかったのは、恐怖に勝つことができなかったからだろうと、今は感じています。

自分が過去に行なったことは、二度と消えることはないということを実感し、エレメンタルをすべて取ったとしても自分が変わらなければ意味がないということが心に響きました。

ヒーリングの間涙が止まらず、後味が悪く、もう二度と過去のような行いはしたくないと感じていました。

ヒーリング後、相手のことを考えること、相手の幸せを考えることは、すぐにうまくできることではないけれど、できないことではないのかもしれないと感じ、また、無意識のエレメンタルに気が付けるようになりたいという気持ちにもなりました。


【第3チャクラ】

この回に気づいたことは、自分の視野の狭さでした。
それは今も昔も変わっていなくて、誰かのアドバイスがなければ周りが極端に見えてなく、気づかないのでした。また、一つの過去生から気づいたことがありました。

それは、3000年前の奴隷の人生だった頃です。
彼は体が小さく、できる仕事は少なかったようでした。仲間は多く、色々助けてもらったのに、そのことと人生観とは別で、もう自分はこんな身分には二度と生まれない、と思っていました。

彼はこの人生で、どんな人生にも人を愛し、学びはあり、変えなければいけないのは社会のシステムだけで、どんな人生にも意味があるということを学ばなくてはならなかったのです。なのに学べませんでした。

それは物事を悲観的に、他者を排除して考える傾向がこの頃にもあったということです。
物事をとても狭い視野からとらえ、その考えを広げられない、その傾向は今の私の性格につながっていました。

また、この人生は、この後の人生に大きな影響を及ぼしているように思いました。この後の道を踏み外した人生に進んでしまうきっかけの人生が、奴隷だったとは思いませんでした。ネガティブなものは本当に怖いことになることを知りました。

アドバイスをいただいて、この過去生の彼の生き方について、私が提案を考えることになりました。私は、過去生の彼に対して、小さなことにも喜びを見出し、仲間が助けてくれることに感謝し、日々のたわいないことに気を向けて、1日1日積み重ねるというようなことを提案しました。

エレメンタルに向き合った時のアドバイスを大事にして、自分で考える癖をつけていこうと思いました。少しでも視野を広げるためには、努力するしかないと思いました。


【第4チャクラ】

●目標を自分で決めて生きることは、とても大切なこと

この回のヒーリングの前に、心に決めたことがありました。自分の生きる目標をしっかり持つということです。たとえ間違っていても、自分で決めた大きな目標に向かって生きるということは、自分の人生を人任せにしない姿勢であるというように思いました。

今までもそうして生きてきたように思うのだけれど、なにが違うのか考えた時に、もしかしたらたて方の方向が違うというか、根本の考え方が違うものだったのではないかと思いました。

今までは、私欲(エゴイズム)に基づいた、生きる目標たったように思います。人並みになりたい、認められたい、人として対等に扱われたい、などなど。そのためにどう生きればいいかという目標だったように思います。

目標とはそういうものではなくて、自分が成長するためにはどうあるべきか、という視点が重要だったのだと思いました。

この項の最初に書いた、「たとえ間違っていても」という言葉の意味は、「(成長するという観点ならば)たとえ間違っていても…」という書き方が正しいのでしょう。
いつか本当の生きる目標にたどり着くために、今感じている生きる目標をしっかり心に据えて生きていこうと思いました。その気持ちを持ってヒーリングを受けました。

第4チャクラにあったものはさまざまなものの残骸で、それぞれの品物に詰まった、作ってくださった人の気持ち、丁寧に管理してくれた人の気持ち、壊した人の気持ちが伝わってくるものでした。
そのひとつひとつは哀しく寂しく、切ないものでした。
何も分かろうとせずに邪険に扱っていた過去生の自分は、一つ一つのものに込められていた気持ちのひとつも気が付かず生きていました。

「壊した人の罪を無くしなさい。元どおりに一つ一つ自分で直しなさい」とアドバイスされたことで、人の罪をなくしていくことも大事なことなんだと感じ、原因を作ったのは自分であることを再認識しました。

この回は他者の様々な感情を追体験し、ただただ悲しくて涙が止まらず、人を大切にしたい、もう二度と悲しませたくない、と思いました。そのために成長したいと思いました。

「羨ましいと思った時、自分にないものを人に見た時は、そのまま認めてあげればいい。
素敵だなって思うこと。それが愛すること。そのことを見られたことに感謝すること。それが愛すること。じぶんにないものをみられたことを、見せてもらえたことを、その人の美徳を、感謝すること。それが愛すること」

愛について教えていただいた言葉です。

終わってみて、気持ちはとてもハードだったけれど、愛する方法、悲しみの実感、寂しさの本質が少しでも感じられたことが印象的でした。私の過去の行いは消えることはないけれど、向き合いたいと思いました。


【第5チャクラ】

前回の後、「やらなくてはいけないと思っていたことが、実はやりたいことだった」ということに気がついた日がありました。
今まで、やらなくてはいけないと思って生活を律してきたけれど、そのほとんどが実はやりたいことでした。
ちゃんと生活したかったし、さぼりたくなかったということは、いろんなことを覚えたかったし、できるようになりたかったんだと思います。

また、人としてどう生きたいかを考えた時に、例えば一番身近な介助の方との関係について頭な浮かび、介助を通しての関係性をビジネスライクに考えて我が道を行く生き方よりも、いろんなことを考えながらベストを尽くす生き方をしたいと感じました。

今回のヒーリングは、私の中にある「見栄」「誤解」「間違った解釈」に向き合う回になりました。寂しさばかりで、そこに愛のない赤ん坊のような心から起こした私の行動は
、多くのひとを傷つけ、悲しみを残しました。

とても悲しく、ただ悲しく、もう二度とこんなことはしないと思いました。
ヒーリングの最中に見えたたくさんのガラスの破片は、私が壊したひとの心だと教えていただきました。「おもちゃのようにひとの心を欲しがったけれど、心は得ることはできなかった」

この日は立ち直れないほどの悲しいきもちで終わりました。この悲しみは、私のものではありませんでした。多くの人が感じていたものでした。


【第6チャクラ】

毎回毎回がとても大事なひとときになりますが、この回は特に私にとって大切な時間になりました。

●人の幸せを願うことをしてもいいということ

私は、人の幸せを願うということが、何か特別なことをしなくてはいけないことなんだと
思い込んでいたようです。私にはできそうもないことなんだと、心の何処かで思っていました。それは、自分と他者を差別していたということかもしれません。

ある過去生と向き合った時に、私も人の幸せを願っていいということに気づきました。今生で私と接してくれる人のなかには、(障害を持つ人と)どう接していいかわからない、
何か特別なことが必要なのかもしれないという気持ちを教えてくれる人たちがいます。

そのような経験の中で、実は私自身の中にある気持ちを見せてもらっていたのかもしれないと思いました。
また、今生で障害を持つ私に足らなかったことは「他者の幸せを願うこと、祈ること」だったんだと感じました。

感謝だけではダメなんだと思いました。人の視点に立つということは、その人の幸せになる視点に立つということなのかも知れません。

どうすればいいかメタトロンに聞くと、心からしあわせを願えばそれでいいと教えてくれました。なにも難しいことではなく、心から幸せを願えるならば、その時にその人に対して自分のできることがわかるように思いました。自分がなにもできないとか、なにをすればいいのだろうと焦る前に、その人が幸せであるように願ってみようと思いました。

また、メタトロンのいるべき場所がエレメンタルでいっぱいだったことにはじめて気づかされました。ネガティブな自分のエレメンタルと向き合えるよう、鍛えたいと思いました。


【第7 チャクラ】
第7チャクラのヒーリングを受ける前に気がついたことは、「提供する方の人生を選ぶということ」です。

自分の人生は求めることばかりだったと気づきました。人生で選べる道が二つにひとつならば、求める人生ではなく、提供する方の人生をこれからは生きてみたいと思いました。なぜならば、求め続けるときりがなく、不安になり、得られないことに不満が募り、エゴイズムが大きくなるだけだとわかったからです。

私はそういう人生を生きてきたのだと思いました。これからはできれば、一つ一つに学びを見いだせるような豊かな人生を生きたいと思いました。
そして、頭で考える、と言っていたことはエレメンタルが考えていたんだということを、
なんとなく感じるようになりました。

サイキカル体とノエティカル体を使って、感じたり考えたりすることが必要だということを実感しました。好きな人たちを幸せにしたいという最初の思いに戻って(自分のことしか人は幸せにできないということを胸に留めて)、自分のやりたかったことをぶれないようにすること、間違ってしまったことで取り返しのつかないことがたくさんあるけれど、
二度とその道は行かないということを誓い、幸せを願おうと思いました。

第7 チャクラのヒーリングを受けて感じたことは、思い込みや恐れなど、自分で作ったネガティブなものはとても手強く、深く大きなものになってチャクラに宿っているということでした。幾つ振り返っても新たなものがあり、不安になればまたできていくような感じを受けました。

また、恐怖は本当に怖いものだと思いました。いつも雲のない空を保つためには、気持ちを強く持たないとと思いました。自分の現実を知り、一歩一歩確実に歩くことが大事なのだと思いました。


【トータルのチャクラヒーリングを受けて】

実はまだまだヒーリングは続いております。私の中で自分と向き合うことに終わりはなく、今回は納得のいくまで向き合ってみたいと思っております。昨年中に自分の中で納得のいった、上記以外のことを記させていただきます。


【障害についての理解が深まったこと】

私が持って生まれた障害は、私に必要な経験を与えてくれるものであり、私が人に与えてきたものを理解するためのものでした。今までの人生の結果であり、一つひとつの行いの重さに気づかないまま過ごしてしまったツケであり、蒔いた種であるということです。
私が今回できないこと、制限のあることひとつひとつには意味があり、その状態を体験しなければならなかった理由があります。

障害のことにすべて向き合うにはまだまだ長い道だとは思いますが、本気で受け入れて、生きてみようと思いました。


【エゴイズムと自分の区別がついたこと】

第4チャクラの2回目のヒーリングを受けた時に、エゴイズムというものは怒るばかりで反省もしないし、自らも振り返らないということを見ることができました。ただ自分の気持ちを押し通すだけで、人のことを考えることもしないエゴイズム。

これは自分とは違うものなんだと気づきました。

振り返らないのがエゴイズムならば、ああそうか、と思う心は私自身なのかもしれないという仮説が生まれました。

明らかにエゴイズムと違う行動なのだと思いました。

自分の姿を見つけた時、こちらの方を大切にしていこうと思いました。エゴイズムと自分を切り離して、日々自分を見つけようと思いました。


【自分の中にも愛を感じたこと】
第4チャクラの2回目のヒーリングの時に、エレメンタルを綺麗にした後、湧き出るようなものを感じました。言葉にならないものでした。それが「愛」なんだと説明していただきました。胸の奥に湧き出るものは熱くなく、硬くもなく、暖かいとかそういう言い方では言い表せない、表現しようとすると涙が出てきてしまうものでした。

私の中にもあったということが驚きでもありました。今でも思い出すと涙がが出てきます。日々思い出して記憶を留めておきたいものです。

「愛は愛である」この時に心に聞こえてきた言葉です。
「愛は許しではない。愛は愛である」
この言葉を聞きながら、脳裏に浮かんだことがあります。愛は許しではない、愛は愛である。そのことを肝に命じました。ことあることに、この時のイメージを思い出している自分がいます。


【傲慢でしかなかった】

私はいつの日も自分のことしか考えず、傲慢でしかありませんでした。そのことに気がつくこともありませんでした。

傲慢さに気づいた時、私の選択のほとんどが間違えていたことを知りました。自分の世界しかないということはとても怖いことだと思いました。

自分の殻の中に入らず、学ぼういう姿勢をいつも持つことは、知らなかった世界を知ることになるのではないかと思います。

毎日を大切にして、一つでも多く知り、謙虚さとは何かをいつも胸にといながら、人として生きることを身につけていこうと思いました。


【自分なりに物事を考えるということ】

私は今まで、いただくアドバイスや意見に対して、そのまま受け取って、直さなくてはと思うばかり、その方向でひたすら考えるばかりでした。今回のヒーリングの中での対話などの体験を通して、アドバイスなどいただいた言葉は、もう一度自分で検証し内省して、自分なりの結論という、見解を出していくことが必要なのではないかと思えました。


【人の気持ちを感じることができるという実感】

今回のヒーリングを受けるまで、自分には人の心を感じられるような心はないと思っていました。いくら努力をしてもできなかったことでした。
今回のことで、感じることは努力してできることではなく、感じたい、理解したい、その人の心をわかりたい、とまず思うことと、自分の中のエゴイズムを捨てていこくとを日々やっていくことが大事なことなんだと思いました。
人を大切に思う姿勢を持ち、経験を積んでいけばできるようになるのだと思いました。


【エゴイズムの奴隷に二度とならないということ。そのためにどう生きるか】

私は、長い間、エゴイズムの中で生きてきました。スクールで様々な知識を学んでいる時でも、そこからなにも気づけずに日々を重ねていました。

習ったことを復習しても、実践していても、そこに自分の生きる目的を持ち、自分が成長する観点から、美徳の観点から「どういう自分になりたいか」という思いがなければ、成長は決してしないということを知りました。
エゴイズムの観点から生きる目標を持っても、エゴイズムを育ててしまうだけで自分自身は成長せず、エゴイズムの強さの中で溺れてしまうのだと思いました。

20回あまりの過去生の中で同じ道を歩んでしまった私は、やはり性格に欠点があったように思います。まず傲慢なこと。自分が正しいという観点から離れられませんでした。差別意識が強いこと。自分は人と違うとどこかでいつも思いたいという欲望がありました。

これらのエゴイズムは、感情が強すぎること、理性を働かせる経験が少ないこと、思い込みに対して執着が激しいこと、そのような傾向が引き寄せたものではないかと思います。

そして、他者に対しての愛を育むことを忘れてしまったということが、転落の大きな原因でした。

自分の弱さ、臆病さがそこにあり、その性格と向き合えないために、他の理由をいつも探して、ひねくれた嘘の正しさ、嘘の正義感の中にいました。

なにかと自分は孤独だと思いがちなのもその傾向があるからだと思います。弱さのために、人との関係を作ることを怠けてきたということに行き着きます。

感じている恐怖や不安の根本に向き合わず、ただ逃げるだけだったということです。そして自分が一番楽な理屈に逃げてしまったのです。

その結果、エゴイズムに囚われてしまいました。本来絶対に手放してはいけない、愛も見失いました。

辛くてもその場にいて、物事を見る目を謙虚な気持ちで養っていけば、自分がその場しのぎの楽な方に逃げなければ、もっと早く道は拓けたかも知れません。多くの人を悲しませることにはならなかったかも知れません。

自分の弱さを変えていくには、忍耐を身につけること、どんなことからも学んでいこうとする謙虚さを育てることだと、今は思っています。
日常の様々なことから教えていただけることに感謝して、傲慢の自分を手放し、胸の中に感じた愛情を増やせるような人間を目指そうと思います。

人は望めば限りなく成長できるという言葉を信じて、わかったと安心しない生き方を身に付けたいと思っています。心から納得のいく人生を探し続けたいと思います。


この機会に、本当に、感謝しています。ありがとうございました。

0 件のコメント:

コメントを投稿