2017/07/20

虹の橋の向こう側・・・命の生まれるところ

畜生(ちくしょう)とは、
仏教において、神や人間以外に生まれた生物のことをいう。 

畜生は、苦しみ多くして楽少なく、
性質無智にして、ただ食・淫・眠の情のみが強情で、
父母兄弟の区別なく互いに残害する。

畜生道に堕ちると言うは、
悪業を造り、愚痴不平多くして感謝報謝なき者、
動物のような生き方をする者、死後に畜生に生るという事。

畜生道(ちくしょうどう)とは六道また十界の1つ。

※六道(ろくどう、りくどう)とは、
仏教において迷いあるものが輪廻するという、
6種類の苦しみに満ちた世界のこと。
十界のうちでは迷界、三悪道(趣)に分類される。

                Wikipedia参照

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子供の頃に読んでいた漫画「うしろの百太郎」の中に、
言葉を話す犬シロというキャラクターがいて、
その犬は人間の生まれ変わりという設定だったりするのだけども、
実際のところ、人が動物に転生することはありえない。
(それでも、私はこの口の悪いシロが好きだったし、
ペットが口が聞けて話せたなら便利だなあ、って思ったり)

心霊科学では、ダーウィンの進化論も「違います」って、
話になるんだけども、それはさておいて。
(遺伝子ゲノムが近かろうが何だろうが我々の祖先はサルではなく、
人間は最初から人間であり、このカタチだったということ)

どうして、人間が動物に、そして動物が人間に、
というように生まれ変わることは「無い」のかというと、
それは人間とは肉体の仕組みが違うということと、
動物には「霊」も無いし、「魂」も無いからって話になります。
(昆虫、鳥類、爬虫類も。そして哺乳類であっても)

肉体の仕組みの違いを言うなら、
人間は、目に視える肉体が一つと目に見えない肉体が二つ。
けれども動物は目に視える肉体のみ。

人間は原型としての魂があるから、転生をする。
でも、動物は転生はしないんです。

人間の魂を今風?に分かり易くいうと、
魂はそれまでの作業の経緯含めて、
すべての過去履歴、今後の計画、データが入ってる、
メインサーバでホストコンピュータみたいなもの。
一つの人生を一台のPCだとすると、そのPCが昇天する度、
そのPCで作業した全データがホストコンピュータに移行する。
エラーもバグも、何回ウィルスに感染したとか故障したとか、
インストしたアプリやアップデートの回数や使用履歴も一緒に。

そしてそれまでのデータを元に新しいPCの環境作りをする。
それが転生する際の肉体とキャラ作りみたいなもの。
そのPCを使用して作業するのが新しい人生みたいな。
(この場合、PC廃棄は死亡になるかと)

これは人間一人につき、メイン一台。
(転生の終わりはさておいて)

動物の場合は、その動物の種類別にメインサーバが一台。
共有で使っているって感じかな。
一匹の猫が死んだとき、
猫専用メインサーバにそのデータは回収されるって感じ。
犬は犬専用、馬は馬専用に。

あくまで比喩の言い方ですけどね。

動物は魂はないけど、宿っているもの、はあります。
(ぶっちゃけエレメンタルなんですけど)
まあ、生命エネルギーとして考えても問題ないかと。
この辺り説明するとめんどくさいので。

この動物の「命」は学習しますし、記憶もします。
その人生での体験や恐怖など。人間への警戒心や感情も。
人にされたこと、もちろんメモリーとしてインプットします。
だから動物は進化するし、個性も生まれる。

ペットだったり、人間との接点が多い動物は、
身近な人間が創り出すエレメンタルを吸収して、
それを己が特徴や性格として表現するようになります。
(憑依体質ってわけではなくっっ笑)

だから、飼い主に似てくるのは当然なんですね。
攻撃的な人といると攻撃的な性質を帯びてくるし、
穏やかでのんびりした人に育てられるとそうなるし。

どんな人間に育てられるか・・・
これによって感化される性質が決まるんですね。
つまりペットってのは、
一番身近にいる人間が創り出す想念を表現する媒体ともなる。


そして、その犬だったり馬たったり猫だったり・・・は、
やがて死ぬとひとつの命の源たる塊の中に戻ることになる。

原始の海に還るがごとく…。

その人生での体験、記憶したことすべてを携えて。

それは大きな水瓶の中に水が戻されるようなもの。
組みだされた水の量より、
生きた人生分増えた量が加算されて再び水瓶の中に。
そして新たな命が生まれる時、
水瓶から水が汲みだされることになる。
けれど、必ずしもそれは、
以前ひとつの形骸を持っていたものとは一致することはない。
水は混ざるものだから。

だから、動物に関しては悲しいけれど、
同じ「命」は転生してこない。

過去、人生を一緒に過ごした、
あの可愛い子の一部が混ざっている奇跡に出会えたとしても。
同じ子には出会えない。

とても残念で寂しいことだけど。

犬も、猫も、馬も、牛も、鳥も、うさぎも、
生まれながらにして個別の性格があるのはそういうこと。

転生と言えばそうだけど、転生とはかなり違う。

別の犬や猫が、どこかで生きていたときの記憶、
何処かの誰か(人間)から模倣してコピーしたデータがあるから。

それは虐待の記憶かも知れないし、
愛に満ちた幸せな記憶かも知れない。

捨てられた哀しみや人間に対する絶望や恨みかも知れないし、
可愛がられて、抱きしめられた、懐かしい甘い想い出かも知れない。


 "犬には犬の哀しみがあり、
    猫には猫の喜びがある…"


いずれにしても、
いつかこの子とまた会いたい、
生まれ変わって、またうちの子になりにおいでね、
と思っても、それは叶わない夢。
動物に関してだけは、
その子がその子として生きるのは一度きりの人生になるから。

また、その種類の一匹にすることは、
すべてのその種の動物にすることとなる。
その動物にとって、共通の記憶にもなるので…。

つまり、一人の人間が一匹の動物に対してしたことは、
その種のすべての動物の恨みをかうってことでもある。
その人が生まれ変わって姿形が変わったとしても。

それに関しては、その人がそのような行動をしたという
行為のデータ(エレメンタル)をその人自身が所持している、
というのもあるんだけれども。

動物側にも、
「この人はかつて同胞に酷いことをした」
というデータがインプットされているのです。

だから、やたらと動物から攻撃されたり、嫌われたり、
極端な目に遭ってしまう人というのは、
その人自身の身体から匂い立つ悪しき波動とか、
そうしたものだけに反応しているのではなくて、
過去の行いに対して復讐されているのかも知れませんね。



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そんなわけで動物は人間と違うので、
いわゆる成仏がとても速いです。
死んだらサクッとサヨウナラという感じで。

しばらく飼い主の周囲をエレメンタルとして徘徊してるのもいますが。
人間みたいに自分が死んだ現場を離れられないとか、
自分の死を受け入れられないでいるとか、そんなことはありません。

何年も飼い主の傍にいるようなのは、
ほぼ100%といっていいんですけど、
その飼い主が創ったエレメンタル(生前に創ったコピー)ですね。

(あ゛ーただし、
あまりにも悲惨で非業の死とも言える状況下では、
キレイに上がれず、人霊の地縛霊と同じ状態に陥っている
そうした動物たちもいます。
飢餓状態で死んだとか人によって残虐に殺戮された場合とか。
こういう状況下で結果的に人間に祟ってしまうなど、
「悪さ」をしてしまう子たちは、
一般に言う「動物霊」というのとはまた別種ですケド)

飼い主が死ぬと一緒に回収(人間の方に)されるものだけど、
たまーに、はぐれちゃって迷子になって、
犬好きな人や犬を飼っている人に、
くっついていたりすることがあったりします。

あと前に街中で見たケースでは、電車の中ですけど、
盲導犬に心配そうに寄り添っている犬の霊
(霊ではないけどっっ)を見た事があります。

これもまた、誰かが創った、
ペットのコピーとしてのエレメンタルでしたけど。

犬ってやっぱ優しいんだなって思いました。
人間と違って「心の身体」も「思考の身体」もないけど、
だからこそ、人と違って混じりけが無いというか、
計算なくて、純粋でまっすぐなんだなって、ホント。

あ゛・・・そういえば昔、
実家が肉屋(解体とか含む)だって言う人の、
家に遊びに行った時、牛とか豚とかの霊(正確には違うが)が
たくさんいて、苦しくなって、「ごめーん、用事てきた」と
すぐに飛んで帰ってしまったことがあります。
彼らってボリューミー(体重が)なんで・・・。



さて、ならばどうして動物という存在がいるのかっていうと、
私たち人間がため、だったりするんですよね。
こういうと人類至上主義みたいな言い方になってしまうので、
ちょっとイヤなんですが、そういう意味ではなくて。

地球という天体、
私たち人類が生きていくための母なる大地、
その環境維持のためには、微生物や昆虫や各種の動物、
植物、魚類の存在(生態系)が不可欠で。
動物たちを滅びの道に追い込むことは、
自滅の道であり、環境破壊以外のナニモノでもありません。
我々人類が存続していくためには地球環境を守る必要があり、
そのためには、動物たちの世界もそのままに、
維持して守っていく必要があるのです。
彼らはこの地球を住みよい天体にしてくれている功労者で、
環境を生みだし作り出している自然システムそのものなので。

(だから彼らが生息している地域から彼らを引き離すのは悪です。
命を必要以上に奪うことや彼らの生息地を荒らすことも含めて。)

またそれだけでなく、動物の生きる姿から、
様々なことを学ぶためでもあります。
あと、私たちのために「命」を「糧」として
提供してくれているところもありますが…

でも、いつかは彼らから「命」を頂くことも、
卒業することが目標ではあります。

して、「動物」に対してどう接するか…ってのは、
その人が同胞たる「人間」に対して、
どう想い、どう考えているか、
人を人としてどう扱かっていうバロメーターなんだそうで。

まぁ、だから、
動物虐待は殺人の予兆だっていうのは真理なのか。

子供は虫やカエルなんかを殺すことで残虐性を発揮して、
やがて命の大切さを知って、しなくなるというけど。

動物しか愛せない人、昆虫としか向き合えない人、
植物しか関心がないってのもかなり問題があるとは思いますが。
やっぱ動物嫌いより好きな人のほうがキャパあるかもな。

動物に対してどう接する人なのか…
動物の命をどのように考えている人なのかって言うのは、
その人の「人間」に対する本当の想いを知ることの出来る、
ひとつの目安になるでしょうね。
動物や植物をどう扱っているか、って点がね。



とはいうものの、
私は植物は好きだけど枯らしまくりの炎の手の持ち主だし、
犬も猫も鳥も金魚も飼ってたことはあるけれど…
よその犬には4回噛まれてますのよ、ワハハハ。
(そして蛙とクマとネズミは嫌いだ~!)

動物園も大嫌いで、反対の立場であります。
野生動物を保護する施設は必要だけど、
その土地に生息しない動物を人間の娯楽のために、
別の土地に連れてきて見世物にするのは良くない。
人間のエゴイズム以外のナニモノでもなく・・・。
一般の人が動物の生態を学ぶなら、書物や映像だけで十分です。
野生に戻れなくなった動物を保護飼育する施設が、
維持管理費稼ぎのために見物料を取るのはいいかなって、
そう思いますがね。


てなわけでして、人間が動物に転生することはありません。
動物に人間が、人間に動物が「憑依」することはあったとしても。

(あるんだな、これが)


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