2017/10/28

人生の宝石

人は決して一人では生きていくことが出来ない。

★ ★ ★ ★ ★

唐突ですが、
皆さんには友人と呼べる人たちが何人いますか?
そしてその中に、親友と呼べる人はいますでしょうか?

気の置ける友人や仲間、
一緒にいて楽しい人、会えないことが寂しい人。
何も話さなくても安らげてリラックスできる人。
会うだけで元気をもらえてハッピーになれる人。

本音を打ち明けて、感情の裏表もすべてさらけだせて、
イヤな自分もダメな自分もお互いに見せ合って、
喧嘩もできて、本気で自分を叱ってくれる人。
自分のために一緒に泣いて笑って怒ってくれる人。
何かあったときには駆けつけてくれて、
黙って傍にいてくれる、自分を大切にしてくれる人。
優しさだけでなくキツイためになるアドバイスをくれる人。

様々な感情や同じ時間を共有して、
色んな事を話して、ともに年を取って、
未来への展望や夢、昔話を懐かしめる人…など。

★ ★ ★ ★ ★

まぁ、それはノリコがいけませんよ
わかいのにおばあさんみたいです

おぎょうぎのよい優等生みんなニガテね
おしゃれやB・Fやスターの話
とても楽しいおしゃべりです

私なんか学生時代 寮を抜け出して
シナトラのコンサート行きましたよ
みんないっしょでそれは楽しかったわ

友達を作らないのは 宝石を捨てるようなものですよ

          by 「有閑倶楽部」一条ゆかり

★ ★ ★ ★ ★

話代わって、
人の幸せってどこにあるんだと思いますか?

何が人を幸せにしてくれるのか知っていますか?

お金でしょうか? 恋人(パートナー)でしょうか?
地位でしょうか? 仕事でしょうか? 名誉でしょうか?
健康? 物質? 成功? 権力やすべてを手に入れること? 
それとも心配や不安のない状態でしょうか?
自分の望みがすべて叶うこと?

愛が人を幸せにすると答える人は多いと思います。
でも、その愛というのがなんであるかと問われると、
答えられる人は少ないでしょう。

人の幸せは「愛」にあるといえばそうだけど、
厳密には「愛」がある状態が幸せといったところで。

でも、愛されることが幸せというのでもないのです。
そもそも愛を与えられて幸せになるものではなく、
愛することの意義と意味を知ったとき…
愛を幸せと感じることができるわけで、
人を愛する喜びの中に「幸せ」を見いだせるって感じです。

とはいうものの、
私たちの云うところの「こころ」は、
実際のところ「幸せ」という感情を味わうことができません。
つまり「こころ」というものは、
「幸福感」の疑似体験ができるだけで、
それは一時的な満足感なだけであって、
残念なことに永続的なものではないんです。

真の意味での幸福感は、感情レベルで得ることはできないのです。
なので、一時的に満たされても、
恒久的なものではないから、すぐ飢餓状態に陥ってしまいます。

ようするに、
感情を満たすことは「真の幸福感」を得るにあらず、
幸福の疑似体験を一時的に与える麻薬のようなものです。

物質的なものから得られる満足感は感情を満たします。
ですが、これは本当に一時的なもので、
すぐに次の感情を満たすものを探さないといけなくなります。

男女の恋愛もまた、感情を満たすだけの、
真実の愛とかけ放たれたものがほとんどです。
だから信頼関係も壊れやすく、気持ちも醒めたり、
かんたんに相手を嫌ったり憎んだりもしがちです。
恋は誤解、愛は理解といいますが、
誤解から始まって、一時的な感情の麻薬に中毒し、
それを愛と錯覚して繋がっている人は多いです。
(それが悪いということはありません。
そうしたところからスタートする関係にも意味はあります。
恋愛や結婚という関係は、個人を成長させ、変化をもたらし、
互いにとって人間関係での大きな学びになるからです)


さて、
では人の「真の幸福」というのはどこにあるのでしょう?

それは喜びを分かち合うということ。
感情を「シェア(共有)」し、
あらゆるものを他者と分かち合うことに、
「幸福」への近道があったりします。

そして、自分を犠牲にすることなく、
他人のために生きることができたとき…
他人のために生きることこそ「喜びである」と…
魂の奥底で実感し、知ることができたとき、

人は真の意味での「幸福感」を味わうことができます。

でも、それは
「他人のためにやってあげてる」とか
「他人のためになることをすれば自分は幸福になれるんだ」
などという視点で行っても、到達できる領域ではないのです。

そこに至るまでには、
踏まなければいけないステップというものがあります。

まず自分のために人生を生きること。
これができなければいけません。
エネmeになって、
他人の支配下の中で自己犠牲を強いられて、
搾取されて奴隷のように生きる人生は、
決して「他人のために生きる喜びを得られている人生」
ではありません。

他人を差別・虐待してはいけないと同様に、
自分のことも差別・虐待してはいけないのです。

他人も幸せにするなら、自分も幸せにしないといけません。

自分を幸せにすることが、
私たち一人ひとりがこの世に生まれた主たる目的なのですから。

(もう一つ、その人のお役目を果たすことすなわち、
自分自身のカラー=創造性を表現する生き方をすることが、
魂の充足感と幸福感を得る必須科目たる条件でもありますが)


他者のためになることをして、
自分が満ち足りた充足感と幸せを感じられる。

ぶっちゃけ、
この状態に達することは「悟り」を開くことと同意語です。

まあ、はっきりいって難しいですし、
自分にはまず無理~!って思う人も多いでしょう。


とりあえずそういう人はそれでいいんです。

今生でやり遂げようと焦る必要はありません。
急にそこまで高尚な目標をいだき、
その高みを目指さして、無謀な精神修養に走らなくても、
人類みな輪廻転生を終わらせるために、
誰しもいつかはその山の頂に到達しなければならないので、
来世とか来来世とか、後100回生きればとか気を長く持てば。
数万年先かも知れませんけど。


手っ取り早く、簡単というか、
誰にでもできることで、その学びや機会を得るためには、

「仲間」や「友人」を作り、「親友」を持つことです。

人は人の中でしか学べず、成長できません。
普通の人間関係、社会というコミュニティでもまれ、
自分を形成していくことも大事なんですけれども、
それとは別に、

「友愛」という、「こころ」と「こころ」で結ばれ、
繋がっていける関係を育てていくことです。

もちろんパートナーを持って、
「恋愛」という関係性から
「愛」や「人間関係」を学ぶことも素晴らしいことです。

でも、家族ではなく、血肉の縛りのない他人同士。
同性異性の性別、職業や世代、
肩書や利害関係を超えたところでの、

共に支えあい、助け合い、色んなことを分かち合い、
互いからあらゆることを学び、与え与えられる、
友人そして親友(心友)といった関係作りは、
なかなか容易なものではありません。

失敗もするし、裏切りと思えるようなこともあるし、
恋愛と同じで相思相愛でないと上手く行かないし、
気の合う人、心を許せる人と出会える機会は、
そうそう人生であるものではありません。

だからこそ、縁を大切にして、
たくさんある出会いの中から、
自分にとってしっくりきた「ご縁」を見出して、
大切に育てて、縁を紡いでいく努力が必要になります。

結局、そこは男女間の恋愛も同じなんですけども。


確かに、
友人関係から得られる感情的満足、
色んなことをシェアする感覚も、
一時的に感情を満たす疑似的幸福感には違いありませんが、
それでも、物質的な事物や肉体的感覚、
性的な興奮やクスリから得られるエクスタシーや
エコイムズを満たすだけの疑似的充足感よりも、
はるかに本物の幸福感に近く、
なおかつ私たちの霊的な成長を促進させてくれる
人生の特効薬といっても過言ではありません。

何よりも、歌のセリフではありませんが、
誰かと繋がっている、「独りではない」という状態は、
心の平穏と安心感に繋がり、孤独を和らげますから。

とはいうものの、
ニセモノの、偽りの関係では意味がないのですが。
(妥協して相手にへりくだり、
好きでもなく尊敬のない相手に迎合し、
従属している関係からは何も生まれません。
その逆で相手を縛り付け、相手を認めず軽蔑等あるのに、
力や義理で支配しようとするような関係でも同じです。)

でも、いつわりの自分ではなく、
本当の自分を生きられるようになったとき、
似たもの同士は引き合うので、本物の出会いもやってきます。
自分の力を取り戻すことさえ出来れば…。

FBくらいしか私はやってないのですが、
SNSやツイッター、そしてLINEなどが流行り、
スマホ依存なんかがあるのも、「誰かと繋がっていたい」という、
皆孤立することに恐れを感じているという証拠だと思うのです。
自分に関心を持ってもらいたい(愛されたい欲求でもあり)、
人と話すことで寂しさや孤独感を埋め合わせたい、
…なんかまあ、それも飢餓感かな。

今の仕事ではなく、占いの仕事をしていたとき、
友達がいれば済むようなたわいのない話を、
わざわざお金を払ってしにくるお客さんもいました。

占い師に依頼する内容というより、世間話。
友達にするようなちょっとした相談話とか。

もちろん、
身近な人だから言えないこと、悩みもたくさんあるでしょうが、
決してそのようなものではなく、
お金を払ってまで(大枚はたいて)いう話なのだろうか?
と疑問に思うような話なんかも多くされたものです。
時に命の電話にかけるような深刻な話などもあったりしましたが。

みんな孤独で、自分の話を聞いてもらいたい、
存在や小さな思い、気持ちを分かってもらいたいんだな、と…

そういうのは、今の仕事に移行してからも、あったりします。

友達がいない、友達が欲しい。

そういう悩みを聞くこともありましたよ。


★ ★ ★ ★ ★

憎しみや怒りより、
“孤独”が人間を加害者にも被害者にもさせ、
人間をダメにもする

by 岩井志麻子

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豆知識になりますが、

スピリチュアリズム的には、
人っていうのは、今所有している身体すなわち、
肉体(3次元)・感情体(4次元)・思考体(5次元)の3つの身体では、
実のところ、「幸せ」を感じることができません。

幸福を感じる、味わえることができるのは、
精神体(6次元)という、
私たちが上記の身体を用いて育てなければならない身体です。

知恵(思考体)を愛(感情体)を用いて、
行動・表現(肉体)していかないと、
この精神体は育ちません。

愛のない知恵を用いて行動してもダメだし、
愛だけで行動しても、そこに知恵がなければダメです。
知恵と愛だけで、行動や表現をしないというのもダメ。

真の意味の「幸福」を知っているのはこの身体です。
そして、この身体が育たないことには、
幸福感と充足感を得られず、
いつまでたっても何か物足りず、何をしても満たされず、
どこかに虚無と欠落感があり、ゴールが見えず、
魂の飢餓感のある、彷徨える人生を生きることになります。

(物質的なものは肉体を満たし、感情を満足はさせますが、
精神と魂は決しておなか一杯にはならないのです。
物質的な成功をしてもどこか虚しく、精神は満たされず、
不幸な人がいるのはこのためです。
愛=愛する存在が身近にいるということだけではないので。
なぜなら愛は得るものではなく与えるものだから。
愛は外から与えられて満たされるものではなく、
自分の内側にある愛に気づけないと充足に至らないのです)

精神体は6次元の身体(解脱した身体、悟りの状態)ですから、
ある意味でワンネスの場所とも言えます。

私たちが日々求め、欲している「幸せ」は、
この6次元にこそ存在します。

ですが、私たちはリアルで、
3次元(物質界)と4次元(想念の世界)と5次元(思考の世界)にしか、
身体を所有していず、この3つの次元にしか存在していません。

残念ながら、「真の幸せ」は、
今私たちが意識を向けている物質界たる3次元にはないのです。

それでも自らの身体、
「肉体」と「心」「思考」を大切にし、愛や知恵を育み、
それらを物質社会で行動して自らを表現していき、
自分と他人の境界線をなくして考えたり、感じたり、
(他人の身にに起きていることを、
まるで自分のことのように感じたり、
考えたりできるようになって行動できるようになること)

他人と感情や思想、考えなどを共有し、共に生き、
あらゆるものを分かち合い受け入れていく中で、
様々な事物や他者に対する理解を深め、
与えたり与えられたりする過程において、
自らが幸せになり、他人の幸福も喜べるようになり、
そして、そのような日々を一進一退で繰り返しながら、
いつの日か他人のために生きられる人生を、
それが自分の喜びであると…
他者に与え、支え、尽くし、
他人のためになることをすることが、
その中に自分の喜びがあると気づけたとき、

人の真実の意味での幸福にたどり着けたことになるのです。

ようするに、
人は決して一人では「幸せ」になれないのです。

その「幸せ」を分かち合う誰かがいないことには。

より多くの「悦び」をシェアできる人々を得られたとき、
人は、自分にとっての「幸福」を感じられる場所に、
もっとも近いところにいけるのです。

「孤独」はもっとも「幸せ」に遠いところです。
「幸せ」になりたいなら、
「孤独」から脱出しないといけません。

「独り(ぼっち)」のままではダメなんです。


ですから、まず一歩としての、
周囲の人との関係、友人、パートナー、家族との関係性、
その中で「共有できる喜び」を見いだせる人がいるなら、
その可能性を大切にしてください。

あなたの幸福のタネです。

相手が日々元気でいてくれて、
幸せでいること、満たされていること、
そして相手の笑顔を見れたことに、
悦びと感謝を覚える気持ちの中にこそ、
あなたを幸せへと導く道があります。

見知った誰かの幸せを嬉しいと心から感じられたとき、
見知らぬ誰かの幸せを嬉しいと心から感じられたとき、
それを心から喜び願い祈ることができたとき、
知る人知らぬ人問わず、
誰かの幸せのために働くことができたとき、
私たちは大きく霊的に成長していくことができます。


★ ★ ★ ★ ★

大切にしたい人がいるなら、
大切にできる間に大切にした方がいい。
仲良くしたい人がいるなら、
仲良く出来る間に
仲良くしておいた方がいい。
人間なんて、
本当にふとしたきっかけで
二度と会えなくなったりしてしまうものだから。
驚くほど簡単に
どこかへ行ってしまったりするものだから。


★ ★ ★ ★ ★

一緒にいて楽しい人ではなく、
一緒にいられないことが寂しく、
傍にいてあげられないことが寂しい人を、
友人に選びなさい

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